メッシの横にはいつもデ・パウル(7番)がいる。(C)Getty Images

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 アルゼンチン代表において偉大なるキャプテンという強固な物語を構築するには、かつてのマラドーナも現在のメッシも周囲の決定的な助けを必要とした。

 1983年のカルロス・ビラルド監督の就任当時、アルゼンチンのロッカールームは前監督セーサル・ルイス・メノッティの思想に心酔し続けるグループと新体制を見据えるグループに二分されていた。前者の中心には前キャプテンのパサレラ、後者の中心には若きマラドーナがいた。

 ビラルドはパサレラのキャプテン剥奪とマラドーナのその後釜への就任を独断で宣言し、これに猛反発したパサレラを不満分子として冷徹に排除した。前キャプテンの絶対的な影が消えたことで解放されたマラドーナは、圧倒的なカリスマ性で周りを引っ張り、1986年のメキシコ大会でアルゼンチンをワールドカップ制覇へと導いた。

 時は流れて、マラドーナは自身の後継者であるメッシの異次元のフットボールに対し、常に賛辞を送り続けた。

 2010年南アフリカ大会で、監督だったマラドーナ当人がW杯2回目の出場だったメッシにキャプテンマークを託した。しかし当時のメッシは試合前の声出しで言葉に詰まり、チームが準々決勝で敗退するとロッカールームでもメディアの前でも沈黙するなど肩書だけのキャプテンだった。

 続く2014年ブラジル大会でもキャプテンを務めたメッシだったが、その実情はマスチェラーノが実権を握り、ルーカス・ビリア、ゴンサロ・イグアイン、アグエロも含めた排他的なベテラングループの陰に静かに身を置くだけだった。

 その傾向は続く2018年ロシアW杯でさらに加速し、アルゼンチンは混沌の中で完全な機能不全に陥って惨敗を喫した。メッシはその後、一度は代表から離れた。

 一方で、崩壊したチームの再建を託されたスカローニはパレデス、デ・パウル、ラウタロ・マルティネスといった頭角を現し始めていた若手を招集した。さらにメッシの憧れであるアイマールをコーチングスタッフに迎えて復帰を促し、それを実現させた。
 
 取り巻く環境も劇的に変化した。ロシアW杯ではルームメイトだったアグエロを除いて部屋をノックするチームメイトすらいなかったのが、デ・パウルとパレデスがメッシの部屋を訪れてマテ茶を共にした。孤立していた大エースが、若手と気兼ねなく同じ時間を共有する仲間へと変わっていった。

 変化は言動にも表れた。2019年コパ・アメリカの準決勝でホスト国のブラジルに敗れた際、メッシは南米サッカー連盟を痛烈に批判する気概を見せた。くしくもこのメッシのかつてのマラドーナを彷彿とさせるボス化を境に、アルゼンチンは2021年コパ・アメリカ、2022年カタールW杯、2024年コパ・アメリカと立て続けにタイトルを獲得し、現在の北中米W杯でも決勝へと駒を進めている。

 若い頃のメッシの周りには、チームメイトであると同時に、ポジションを争うライバルたちがいた。しかし今は自身を心から慕う年下のチームメイトたちが集まっている。パサレラの影から解放されたマラドーナがそうだったように、メッシもまた精神的な解放を手に入れた。

 その変化を端的に表すのがW杯におけるゴール数だ。最初の4大会でわずか6ゴールにとどまっていたのに対し、直近の2大会だけで15ゴールを記録している。

 かつてマラドーナがキャプテンとして君臨するためにビラルドは様々な策を講じたが、対してメッシの心を開かせたのはデ・パウルが差し出した一杯のマテ茶だった。周囲のチームメイトと深く共鳴し、メッシは偉大なキャプテンとなった。

取材・文●ファン・I・イリゴジェン(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸

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