2026年4月17日、春の園遊会に臨まれた愛子さま(写真:代表撮影/共同通信社)


 2026年7月10日、皇族数の確保策を盛り込んだ皇室典範の改正案が衆議院本会議で可決され、参議院へと送られた。

 今国会での成立が確実視される中、「愛子天皇待望論」に象徴される世論の動向と、現行の「男系男子」による継承を維持しようとする制度設計の間には、依然として埋まりきらない議論の溝が存在している。

皇室典範改正案を審議する参院特別委の理事懇(2026年7月13日、写真:共同通信社)


 一見すると、この問題は「現代のジェンダー平等や人権意識」と「伝統的な国家観」の不毛な衝突、あるいは政治的な妥協の産物のように映るかもしれない。政府が第一案として進める「旧宮家の男系男子を皇族の養子に迎える」という案に対し、世間からは「一般国民として育った男性を、急に皇族とする不自然な方針ではないか」との戸惑いや違和感も拭いきれないのが現状である。

 しかし、なぜこの方針が選択されたのか。そこには単なる政治的配慮を超えた、日本という国家のアイデンティティの根幹、すなわち「私意を挟まない客観的システムとしての万世一系」を守ろうとする強固なロジックが存在する。

 今回、元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司氏へのインタビューを通じ、法案通過の背景にある思想的深層と、そこから浮き彫りになる現代の制度改革の課題について多角的に検証する。

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恣意を排除するシステム、「男系継承」という統治の論理

 皇位継承を巡る議論において、世論の動向と実際の制度設計の間にこれほど大きな乖離が生まれるのはなぜか。問題の本質は単なる宗教的な制約や近視眼的な政治の思惑ではなく、純粋に「歴史の連続性をどう定義するか」という国家観の衝突にある。

「男系男子による万世一系」の思想には、現代の合理主義や効率主義の枠組みを超えた、一つの高度な統治システムとしての説得力が存在する。

 歴史を振り返れば、時の最高権力者(平清盛、足利義満、織田信長、徳川家康など)がどれほど圧倒的な武力や政治力を持っても、決して天皇に代わって自ら皇位に就くことはなく、朝廷や天皇の権威との関係を保ちながら権力を行使した。

 天皇を政治闘争のはるか上空にある「聖域(超越的な権威)」として位置づけ、前近代には、朝廷の官位や宣下が武家政権の権威づけに用いられ、天皇・朝廷の権威と実際の政治権力が併存する構造が形成された。

 そして、この「聖域」の客観性を担保した唯一の厳格なルールこそが、人間の好悪や政治的思惑、あるいは時の権力者の恣意を一切介入させない「男系継承」というシステムであった。

 もし「人気があるから」「能力が秀でているから」という主観的な理由で皇位継承者を決めるルールを一度でも導入すれば、それは天皇の正統性を「世論の支持」という民主主義やポピュリズムの論理に委ねることを意味する。そうなれば、天皇の地位は時々の政治闘争の具と化し、その神聖性や超越性は揺らいでしまうだろう。

 過去には女性天皇が八方十代存在しているが、その継承の背景には、天皇となるべき次世代の皇子が幼かったり、あるいは政争の渦中にあった場合、一時的なつなぎとしてやむを得ず即位していた。それも寡婦となった皇后や、早世した皇太子の姉か妹と、前の天皇とごく近い立場にあった。

 そして、独身のまま皇位についた場合、その女性天皇は生涯独身であることが不文律。なぜなら、結婚して夫を持ち子どもができれば、その子の処遇が問題となる。もしも、その子が次期天皇として推戴されれば、天皇を母に持つ女系天皇が誕生してしまうことから、意識的に避けられてきたのではないだろうか。したがって女性天皇はいても、女系天皇は過去ただのひとりも存在していない。

 愛子さまを天皇にという世論が、女性天皇に対する好意的な支持であることはよく理解できる。しかし、実は女性天皇と女系天皇は、一体として考えるべき問題なのだ。

 過去1600年以上にわたり、先人たちがつないできた「時間の連続性」そのものが日本という国家のカタチ(国家像)であり、一時の現代人の価値観でそれを不可逆的に変更することは、国家のアイデンティティの根源を見失うことに等しいという強固な論理がそこにはある。

 今回の旧宮家の養子案は、この「人間の私意を排除してきた歴史の連続性」を令和の時代にも維持するための、一つの冷徹な合理主義の産物と言えるのではないだろうか。

皇位継承を棚上げした「皇族数の確保」がもたらす制度の歪み

 しかし、その歴史的連続性という「大義名分」を維持しようとするあまり、今回の法改正で提示された具体的な制度設計には、生身の皇族方や当事者の人権・意思を巡って極めて不自然な歪みが生じていると山下氏は指摘する。

 最大の問題は、政府立法府としての案は、「皇位継承問題と皇族数の減少を切り分け、まず皇族数の確保を進める方針」を採った点にある。山下氏はその矛盾を次のように分析する。

「本来は、皇位継承の制度を決めたうえで、皇族数確保の方策を考えなければならない。しかし、大本の皇位継承問題を先送りにして、皇族数確保の議論をしている。本末転倒ゆえに、今回のようないびつな改正案になるのです」

 伝統の維持と皇族数確保の妥協点として、女性皇族が結婚後も皇室に残る案を併せて出さざるを得なくなった結果、「夫と子供は一般国民のままで、本人だけが皇族として残る」という、実質的な夫婦別姓とも言える極めて変則的な家族の形が提示されることとなった。

 男系男子での皇位継承を絶対のものとし、家族のあり方や当事者への配慮が二の次になっている点は否めない。

図表:共同通信社


一度皇族に入れば離脱は困難、旧宮家男系男子が背負う重責

 さらに議論の本質として見過ごせないのが、今回の改正案で可能となる「旧宮家の男系男子の養子縁組」で、養子として皇族になった人に対する厳しい法規定である。

 今回の改正案では、旧宮家の男系男子が皇族の養子に入る際、15歳以上であれば本人の意思で決められることになっている。

 しかし山下氏が疑問に思ったのは、一度「王」として皇族になった養子は、その後、自分の意思で皇籍を離脱することができないという点である。現行法で王や女王、内親王には認められている「本人の意思による離脱の権利」が養子皇族にはなく、「親王」と同じ扱い(自分の意思では皇族を辞められない)にされているのだ。

 山下氏はこの制度が内包する、個人の人生に対する非常に重い側面を次のように表現する。

「15歳以上の人が、人生において希望を表明できるのは『一度だけ』という説明でした。これは15歳以上の王、内親王、女王が本人の意思で皇籍を離脱(皇室会議の了承が必要)した場合、もう皇籍には復帰できないというのと同じだとしています。

 本人の自由な意思とはいっても、しがらみなどによって皇族にならざるを得なくなった人は、人身御供といってもいいと思っています。さらに、一旦皇室に入ってしまうと、本人の意思による皇籍離脱の道が閉ざされています」

 この法案が衆院を通過したことで、今後は水面下で具体的な「候補者探し」が始まると見られる。

 対象となる男系男子は10人程度と極めて限定されており、情報が漏れれば、かつてのお妃選び以上の過酷な報道合戦や過度な世論の視線が彼らを襲うリスクは避けられない。伝統の護持という大義のために、特定の個人や家族が多大な負担を強いられるのは、火を見るより明らかだ。

図:共同通信社


好感度で皇位を左右するリスクと「愛子天皇待望論」の盲点

 翻って、世論の多数を占める「愛子天皇待望論」についても、山下氏は制度論としての脆弱性を厳しく指摘する。

「女性天皇を認めるという話も、結局のところ『愛子さまを天皇にしたいだけでしょう』と言われれば、その面は否定できません。それは属人的な感情です。人気や好感で制度を変えてはいけない。

 直系を優先すべきだと今になって力説しているメディアや人々は、愛子内親王殿下がお生まれになった直後から、悠仁親王殿下がお生まれになったあとも一貫してその制度論を訴え続けてきたのでしょうか。そうではないでしょう」

 人物を基準にして制度を動かせば、過去に悠仁さまがお生まれになった際、山下氏が当時の政府高官に「これで議論は難しくなりましたね」と言ったように、純粋な制度論ではなく特定の個人に対する感情論の対立に陥ってしまう。

 現在の皇位継承順位が存在する以上、それを世論の空気で安易に変えるべきではなく、まずは「成年皇族としての愛子さま」への敬意と、彼女に公務を担い続けていただくための環境を整えることこそが先決ではないだろうか。

人気投票や数合わせを排し「天皇とは何か」の本質を問う局面

 今こそ、皇室が日本に存在する真の意味と、それを未来へ紡ぐことの本質を冷静に見つめ直さねばならない。

 しかし、伝統の護持という大義名分が、その担い手である「生身の人間」の犠牲の上にしか成り立たないのだとすれば、それは制度の瓦解を意味する。伝統を守るための改革が、伝統の担い手を追い詰めるものであってはならない。

 今を生きる国民に求められているのは、単なる属人的な人気投票でも、組織の都合に合わせた本末転倒な数合わせでもない。

「皇室とは、国家の根幹たる天皇とは何か」という本質論から逃げずに、歴史に対する当事者として、真の「国民の総意」を問い直すべき局面に立たされているのではないだろうか。

筆者:つげ のり子