ルノー4CV、化けるための大衆車|Losange Passion International 2026
今年は記念年が重なった。4CVの生誕80周年、ドーフィンの70周年、クリオの35周年、アヴァンタイムの25周年。展示棟「Le 1924」ではクリオの歩みが競技車から市販モデルまで並び、ミニチュアの世界ではドーフィンの70年が祝われた。だが、この日の主役は疑いなく4CVだった。それも、ただ並んだのではない。バルケッタに、ベルリネットに、競技仕様に--あらゆる姿に化けた4CVが、次々とコースへ解き放たれていったのだ。
なぜ4CVは、これほどまでに化けたのか。
答えは、この大衆車の生まれと素性にある。1946年に登場した4CVは、戦後フランスが初めて手にした本格的なマイカーだった。後車軸の後ろに水冷直4を積むリアエンジンの小型セダンで、軽く、安く、そして何より、いじりやすかった。ルノーの子会社は、競技版「1063」(ツインキャブで武装した速い4CV)のための部品を、誰もが買える市販パーツとして売った。だから当時こう言われた。「シリーズの4CVは、どれも自分がそうと気づいていない1063だ」と。
そこへ、戦後フランス特有の事情が重なる。当時は無名のアマチュアでも、自分の手で造った車をル・マンのような大舞台に持ち込めた時代だった。手頃で軽く、改造の素地が整った4CVは、夢を見る者たちにとって格好の土台となった。あるいは素のセダンを鍛え上げて競技へ。あるいは車体ごと軽量なボディに載せ替えてバルケッタへ。あるいはカロシエの手でクーペやスパイダーへ。土台は同じでも、造り手の数だけ解釈があった。展示棟に置かれた4CVのカットモデルが、その共通の核、(後置きの直4とトランスアクスル)を解剖して見せていた。ボディこそ違えど、コースを走るスペシャルたちは皆、この同じ機構の上に立っていた。
その広がりは、国境すら越えていた。記録挑戦に挑んだ作り手、航空技術者が翼断面の車体を与えた記録車、未来のアルピーヌ創業者が手がけた一台。フランス国内だけでも系譜は豊かだが、海の向こうのアメリカでも、自前のグラスファイバー・ボディに4CVのメカニズムを組んだ者がいた。スペインの名カロシエは、フランスの大衆車を米国趣味のスパイダーに仕立てた。質素な働き者の4CVは、世界中で「化ける素材」として愛されたのだ。
そして、この系譜には到達点がある。4CVのスペシャルづくりに端を発した一人の男、ジャン・レデレは、やがてアルピーヌを興す。4CV、A106、そしてA110。大衆車から始まった夢は、世界的な名車へと結実した。この日、チェコから一台のA110が駆けつけていたのは、偶然ではあるまい。
走りの主役は4CVだけではなかった。もう一人の主役、生誕70周年のドーフィンも、ゴルディーニ譲りのチューンを施した競技仕様でバンクを攻めた。デモランでは、コマスが1987年にフランス・スーパープロダクションを制したR5マキシ・ターボや、ラリーの歴史を刻んだクリオ・グループAが、白煙とともに観客を沸かせた。こうした記念すべき競技車のうち数台は、The Originals Renault - La Collectionの所蔵。メーカーが自ら保存し、見せ、そして走らせる車たちだ。
その「メーカーが遺産をどう扱うか」という点で、思い起こすべき出来事が昨年末にあった。2025年12月、The Originalsはフリンスの新museum開館を控え、重複する所蔵車を競売に放出した。本サイトでもその「The Renault Icons」を報じている。だが今回のLPIで見せたのは、その対極の姿だった。手放すのではなく、選び抜いた一台一台を磨き、走らせ、人々と分かち合う。出口を見せた半年後に、メーカーは入口、保存と継承、そして愛好家との祭典、を見せたのである。
4CVの80年に始まった一日は、その血を継ぐA110で静かに幕を閉じた。化けるための大衆車。その懐の深さこそが、80年を経てなお人々を惹きつけてやまない理由なのだろう。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

