本物の役者スピリット

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第75回は俳優の緒形拳さん。息子の緒形直人さんに続いて俳優の道を歩み出した孫の緒形敦さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」への出演が話題です。知られざる俳優としての生き様を秘話で紹介します。

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「役者は胃袋だよ」

 俳優をインタビューする際、出演する作品(舞台)に対して、どのような準備をして臨むかを尋ねることがかなりの割合である。

本物の役者スピリット

 そんな時、取材相手が何かを思い出すきっかけになればと、よくする話がある。緒形拳(享年71)の「役者は胃袋だよ」という言葉と、彼が「誰よりも早くロケ地へ行ってその土地のものを食べまくり、空気になじむ努力をした」というエピソードだ。

 緒形が亡くなる2年前の2006年、彼を22年間にわたって追い続けた映画評論家・垣井道弘氏が評伝『緒形拳を追いかけて』(ぴあ)を上梓した。垣井夫人で同じく映画評論家のおかむら良さんには映画評やコメントなどでお世話になっており、緒形が亡くなった時に垣井氏に追悼原稿を書いてもらえないかとお願いしたところ、快諾いただき、貴重な追悼文を掲載することができた。

 その中で、頭をガンと殴られたような強烈なインパクトを受けたのが緒形の言葉「役者は胃袋」と、垣井氏の「誰よりも早くロケ地に行って…」の一文だった。

 緒形の役者として矜持がその言葉に集約されているような気がしたのと、これこそが本物の役者のスピリットなのだろうと思ったのだ。

 緒形が出演した映画では「鬼畜」(1978年)と、「復讐するは我にあり」(1979年)が忘れられない。

「鬼畜」では、妻役の岩下志麻と、3人の子供を産んだ愛人役の小川眞由美の間でオロオロする夫を演じた。女の業をむき出しにして火花を散らす岩下と小川。小川は3人の子供を置き去りにし、岩下は子供を邪魔者扱いする。緒形はどうすることもできず、子殺しに追い込まれていく。

「復讐するは我にあり」は、佐木隆三原作の5人を殺害した男の逃亡劇だ。殺人鬼の名前は榎津(えのきづ)巌。劇中で何度も出てくる榎津という変わった名前と、凶暴な男の姿が頭の中で完全に一体化し、緒形が演じる物語に引き込まれた。

 垣井氏は「(緒形は)無類の照れ屋で人前では寡黙」と、追悼記事で書いていた。

 しかし、映像などで見る緒形は一般には粗野で無骨、時にギラギラしていて、演技はある意味、泥臭い。それが地なのか、それとも練り上げられたものなのか……。

 そんな思いを抱き続けながら、「緒形拳を追いかけて」を読んでみて気がついたことがいくつもある。

 緒形は兄の影響で、辰巳柳太郎、島田正吾の新国劇で役者人生をスタートさせた。前掲書の前半に、緒形を辰巳につないだ劇作家、北條秀司の娘で女優の美智留がこう語っている。

〈そのころの明伸(緒形の本名)には、噛みついてくるような野蛮な熱気というか、やる気になったらどこでもよじ登っていくような破天荒なところがあったわね〉

 また、女優の高倉典江も〈噛みついてくるような迫力を持っていたから、きっかけさえ捕まえると、どんどんいい目が出てくるんです〉と語っている。垣井氏の〈ハングリーな目でどこかを睨んでいる〉という表現もある。やはり、タダ者ではないのである。役者魂と一言で片付けるのは安易すぎるように思う。

「演じるおれたちにうそがあってはならない」

 ところで、「役者は胃袋だよ」の言葉を聞いたのはどんなタイミングだったのかというと、今村昌平監督「女衒 ZEGEN」(87年)の台湾ロケでのこと。

 ホテル近くの路上に数十軒の屋台が並んでいた。垣井氏は緒形に倣って肉入りスープともち米の粘っこい炒飯を食べたのだが、ひどくまずかったという。その時、緒形が炒飯をかき込みながらこう語った。

〈やっぱり、土地のものを食べなくちゃ。役者は胃袋が勝負だよ〉

 筆者は緒形に接する機会はなかったが、「今あるのはあの人のおかげ」というインタビューで、所属事務所の後輩だった光石研(64)に話を聞くことができた。33年ぶりの主演となる「あぜ道のダンディ」(2011年)公開前だった。光石は高校時代に映画「博多っ子純情」(1978年)でデビュー、緒形がいた鈍牛倶楽部という事務所に入っている。

 光石は緒形についてこう語った。

〈右も左もわからず、オロオロしていると、「今は何でもやりたいようにやればいいよ」って。緒形さんは笑顔で後押ししてくれましたね。

 27歳の時だったか、ニューヨークで緒形さんと地下鉄に乗り、メッツの試合を観戦したオフの日の1日は一生の思い出ですよ。優しいんですけど、曲がったことは許さない。撮影現場に遅刻した時など、「何やってんだ」って大声で怒鳴られました。いま思うと、叱っていただいたんですね。

「いいか光石、映画も演劇も、つくりものの世界だけどな、演じるおれたちにウソがあってはならない。真摯に取り組め、いいな」〉

 垣井氏が見たのが緒形の素の顔なら、光石が見たのは後輩に見せる俳優の顔だったのだろう。

 光石が尊敬するのは最後まで役者として全うしたことを知っているからでもある。

〈緒形さんは晩年、あれだけの大病(肝がんなど)を患いながら、それをおくびにも出さず、最期まで現場に立ち続けていたのですから〉

「とにかく仕事をしたいんだ」

 垣井氏が緒形の訃報を聞いたのは、マネージャーから「撮影が無事終了しました」というメールを受け取った直後だったという。

 垣井氏は肝がんと知らされた時「少し仕事を休んだらどうですか」と言ったのだが、緒形の返事はこうだった。

〈「役者は役でしか生きることができない。とにかく仕事をしたいんだ」とあの野太い声で答えた〉(『緒形拳を追いかけて』より)

 それが緒形の声を聞いた最後だったらしい。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部