「昭和15年」という覗き穴から描く「戦争への分岐点」…17年ぶりの新作小説『三鬼』をめぐって

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作家・小林恭二さんの17年ぶりの新作小説『三鬼』(講談社)が発売されました。

舞台は大戦前夜の昭和15年。治安維持法違反で新興俳句の俳人たちが一斉検挙された「京大俳句事件」を皮切りに、史実とフィクションを融合させて天才俳人・西東三鬼の流転の運命を描く歴史エンターテインメントです。

本書の刊行を機に、著者の特別エッセイを「群像」2026年8月号から先行公開します。

まだ引き返すことができた?

十七年ぶりに小説を書いた。タイトルは「三鬼」である。当初違うタイトルを考えていた。それは「昭和十五年の〇〇」というようなものであったが、どうも「〇〇」の部分がしっくりこない。「昭和十五年」の方は話のキモなので「〇〇」に何を入れようかと苦慮していたのだが、編集部はむしろ「昭和十五年」の方を切って、小説の主人公である西東三鬼の「三鬼」にしてはどうかと提案してきた。確かに「昭和十五年」は語呂的にあつかいが難しく、これに従うことにした。

『三鬼』は昭和十五年の五月三日から九月一日までの四ヵ月弱を描いた小説で、この時代の空気が主たるテーマだった。小説のストーリー部分には新興俳句弾圧事件、特別高等警察、陸軍、シンガポール華僑、インド独立連盟、エアガール、安倍源基警視総監、山下奉文、高浜虚子がいれかわりたちかわり現れてまことに騒がしいのだが、わたしの頭の中には常に「昭和十五年」があり、それを軸に書き進めた。

昭和十五年頃を舞台にした文芸作品というと、最後にはざっざっざという軍靴の高鳴る音で終わるのがお約束で、おかげでどれだけ面白い切口でも、結末がわかっている探偵小説を読むようなあじけなさがあった。

軍靴は軍靴であっただろうが、そうでない昭和十五年もあっただろう。もちろん、昭和十五年は決して平和な時代ではない。すでに第二次世界大戦は始まっており、日本自体も徐々に戦時体制に移行しようとしていた。

しかし視点を変えると、少なくともわたしが描いた期間は、仏印進駐もなく、アメリカによる対日石油禁輸もない。大政翼賛会もなく、日独伊三国同盟も締結されていないのである。東条内閣もゾルゲ事件もハル・ノートもまだまだ先である。

実際できるかどうかは別にして、いまだ引き返すことができる段階にあった。いわば可塑的な時代だったといっていい。

破滅の前の一瞬の輝き

幸い、わたしには昭和十五年に対する身近な覗き穴が三つあった。

ひとつは他ならぬ自分の父である。かつてわたしは父に関する小説を書いたことがあり、その際、なんとなく「戦前」のイメージができた。父は当時十七歳から十八歳で、四修(旧制中学校を四年生で修了)だったため第一高等学校の二年生だった。どんな時代であっても青春はそれなりの輝きをもっているが、父から覗いた昭和十五年は実に楽しげであり、彼自身も十分エリートとしての青春を満喫しているようだった。もちろん彼の人生はその後わずか数年で深刻に暗転するわけであるが、それはまあ後の話だ。

更にわたしは父と同世代の俳人である三橋敏雄や飯田龍太との交流もあった。三橋敏雄は本作の登場人物でもあるが、彼はすでに特高にマークされる俳人だった。ただこの当時未成年の十九歳で、おそらくそのために検挙を免れた。飯田龍太は文学青年で、どうせ死ぬのだからと釣りなどして気楽に過ごしていた。二人に当時の話を聞くと、口裏を合わせたわけでもないだろうに「意外と呑気だったねえ」と同じことばで表現した。

最後の覗き穴は本作の主人公西東三鬼である。彼とはもちろん会ったことはないが、それでも事績については知っていた。三鬼は特高に検挙される直前(実際は八月二十九日、小説では八月三十一日)、仲間と一緒に葉山でヨット遊びをしており、同行した石田波郷によると「緑の潮を浴び、激しい太陽に肌を焼かれ、原始の喜びをほしいままにした」のであるが、この時点で三鬼の逮捕は既定事項であり、実際、二日後の早朝三鬼は逮捕され、京都へ連れ去られた。

わたしの覗き穴となった人物たちはその時点で、誰ひとりとして十年後自分が生きているとは夢にも思わない境遇にあったが、それでも、あるいはそれだからこそ、強烈に人生を楽しんでいたといえる。

昭和十五年を生きた人間たちがみなそうだったとはもちろん思わないが、逆にいうとそういう人間もいたというのも事実としてとらえていいだろう。

これから始まる戦争は、彼らにとって死までの長い休暇だった。彼らにはあらゆる意味で未来はなく、そうである以上、未来に対する備えはせずともよく、その一瞬一瞬のベストを尽くせばよい。

もっともこの覗き穴を提供してくれた人々は、幸か不幸か戦争を生き延びてしまい、そこからきわめて暗鬱な戦後が始まる。彼らは生きざるをえなかった。父は結核が深刻な状態であったが、喀血しながら家の朝鮮半島からの引き揚げのために奔走した。三橋敏雄は戦後という時代への違和感から、俳句を書くことをしばし停止して海上に逃走した。のどかに死ぬつもりだった飯田龍太は、兄たちすべてが死んだためにすっかり左前になった実家と家業である俳句と亡兄の妻を引き継ぐことになった。

そして三鬼は寝業師だの俳壇政治家だのと誹謗されながら、新たな地歩を求めて奔走することになった。戦前あれほど光り輝いていた三鬼の俳句は、初心者のようなおぼつかなさと不安感の中に沈んでゆく。もっともそれがいちがいに悪いともいえないのであるが。

こういうことをいうとおそらく不謹慎の誹りを受けるだろうが、昭和十五年という年には破滅の前の一瞬の輝きがある。それを西東三鬼や特高部長から警視総監になった安倍源基やシンガポール攻略を命じられた山下奉文や高踏的にやりすごそうとする高浜虚子の中に描きたかったのだが、さて、ちゃんと書けたかどうか。

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