【吉沢 さりぃ】KABA.ちゃんは強かった…テレビの世界で挫折した”男の娘”が、ニューハーフセクシー女優として成功を収めるまで

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橘芹那さんは、“ニューハーフ初の単体セクシー女優”という前例のない肩書きを持つ。しかし、過去には社会の壁にぶちあたっている。婚約者の親に懇願され、別れを選ばざるを得なかった。

前編記事〈“男の娘”が婚約者の両親に言われた「忘れられない言葉」…異例のニューハーフセクシー女優が突きつけられた「社会の中の自分」〉では、本人が詳しく語っている。

さらに、オネエタレントとしてテレビに出演した際も大きな挫折を味わっている。

芹那さんに一体何があったのか?そしてなぜ今の業界に足を踏み入れ、成功を収めることができたのか?

家庭環境と自己肯定感

自己肯定感の低いトランスジェンダーが少なくない背景について、「親との関係も大いに関係があるのでないか?」と橘芹那さんは推測する。

「親が自分の生き方を認めてくれているかどうかは大きいと思います。言い方は良くないかもしれないけど、友達や恋人は替えがきく。でも親だけは絶対に変えられない。これは別にトランスジェンダーだけではないと思いますが、家庭環境が本人に与えるものは大きいと思う」

芹那さんの家族はこれまでの歩みを全て知っており、特に母親は「日本で1番のニューハーフになりなさい!」と応援してくれるほど良好な関係だと話す。

「豊胸するタイミングで『そろそろ向き合わないとな』と思いました。当時、父には言えなかったけど、母には『女性として生きていくから』とカミングアウトしました。実は、母は私を産む前に流産を経験していたらしく、ホルモン治療をして私ができたことを教えてくれて。『そのせいでおかしくなっちゃったんじゃない?』と笑っていました。

ただ親からしたら、男として生まれた私がどんどん女らしくなっていくのを見て『どっちなんだろう?』ってずっと不安だったと思うんですよ。だから早く言ってあげた方が親も楽だったんじゃないかな、とも思いました」

KABA.ちゃんは強かった

“ニューハーフ史上初の単体セクシー女優”という地位を確立した芹那さんだが、「本当はタレントになりたかった」と本音も明かしてくれた。

「もともとは、はるな愛ちゃんみたいになりたかった。だから飲み歩きながら、当時色々な人に『TVに出たい!』って言ったんです。そしたら、とんとん拍子で話が進み、“AKB 48 vs オネェ48”みたいな企画に出演することができました。でも、ただ若いだけの私は何もできなかった。すごく……すごく悔しい思いをしたんです」

当時のTVが求めていたのはKABA.ちゃんのようなトークの強い人や、何百万円もかけて整形したことをカミングアウトするような人だった。彼女たちだけピックアップされ、芹那さんはひな壇に座っているだけだったという。

「話を振ってももらえないし、自分から話すきっかけもないから本当にいるだけ。あまりに何もできない自分に呆然としました」

だが、この“何もできなかった経験”こそが、次の選択へとつながっていく。番組を見た大手アダルトメーカーのムーディーズより「セクシー女優にならないか?」と打診を受けたのだ。

「当時は小さなメーカーが企画のひとつとしてニューハーフの子のセクシービデオを撮っていましたが、単体の女優はいなかったんです。私には何ができるんだろう?と考えていた時期にこのオファーをもらって、『そうだ、私にはSEXがあるじゃん!』と気付かされたんです。それで思い切ってアダルト業界に飛び込みました」

心と体が痛かった

期待と不安が入り混じったアダルト業界。決して楽な世界ではなかったそうだ。

「他のセクシー女優には『所詮、女じゃない』って見下されました。何より男優さんもニューハーフとの行為が初めての人ばかりで、ガンガンつかれて大量出血……。泣いて楽屋に閉じこもったこともあったけど、あの頃のアダルト業界は厳しくて決まった射精回数をこなさなきゃいけないし、逃げようものなら莫大な違約金を払わされることになる。だから撮影では毎回、出血と号泣がセットでした」

新しいジャンルを作るということは、同時に“誰も守ってくれない場所に立つ”ということでもある。だが、芹那さんはこの厳しい環境を耐え抜いた。

2012年に発売されたセクシービデオの売り上げトップ100に芹那さんの作品がランクインし、ニューハーフ女優も数字が取れるということを証明したのだ。

「売れたことでちゃんと“女”扱いしてもらえるようになりましたし、私がデビューして以降ニューハーフの単体セクシー女優というひとつのジャンルができました。

そこから再びTVにも出られたし、最終的にはNetflixのオリジナルドラマ『This is I』に出演してセリフまでもらえました。ひな壇の背景にしか過ぎなかった私がセクシー女優に振り切ることで、こんなに可能性が広がっていくとは思ってもみませんでした」

一部の後輩からは“神様”と呼ばれ、いまだに感謝の言葉が絶えないという芹那さん。「自分の後輩たちに道を作れたことが何よりも嬉しかった」と優しく微笑む。

「『せりにゃんが私たちの道を作ってくれた』と言ってくれる子もいて、これ以上嬉しい言葉はないです。これからも私自身の頑張りが同じトランスジェンダーの背中を押せていけたら嬉しいし、『せりにゃんみたいになりたい!』といってもらえるように頑張るのみです」

一見すると、芹那さんの人生は場当たり的な選択の連続にも見える。だが、実はその軸は一貫している。“どう見られるか”ではなく、“どうありたいか”で決めてきた結果なのだ。

ニューハーフセクシー女優のトップとして君臨する芹那さんの次なる目的地はどこになるのか。今後も目が離せない。

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