5年ほど前、精密検査でがんが見つかった

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【前後編の後編/前編を読む】妻と結婚して30年。恋人とは交際24年。63歳夫が語る「ふたりがいないとバランスがとれない」

 田橋潤之介さん(63歳・仮名=以下同)は、妻・静流さんと結婚して30年。ふたりの娘を育て、穏やかな家庭を築いてきた。その一方で、仕事で知り合い、恋に落ちた紗和さんという交際24年の恋人がいる。初めてふたりで夜を過ごした朝、彼女も既婚者だと知ったが、関係は終わらなかった。家庭を壊したいわけではないが、紗和さんには、妻の静流さんに言えない本音や家族のことまで聞いてほしくなるという。妻は「同じ船」、紗和さんは「別の船に乗りながら同じ島を目指す」ような感覚だと、潤之介さんはそれぞれの関係について言う。

5年ほど前、精密検査でがんが見つかった

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 潤之介さんは紗和さんとの関係を、もちろん誰にも話さなかった。紗和さんも、誰にも言っていなかった。ただ、一度だけ、ふたりで食事をしているところを、潤之介さんの職場の先輩に見られたことがある。

「その場ではもちろんきちんと紹介しましたよ。先輩も『ああ、あのときお世話になった……』と彼女のことを覚えていた。でも翌日、『やけに親しそうだったな。大丈夫か』と言われて。その先輩のことを僕は大好きだったし信頼していたけど、『大丈夫ってどういうことですか』と笑って流しました。先輩は僕の肩をポンと叩いて、『何か困ったことがあったらいつでも聞くよ』と言ってくれた。もちろん、僕は打ち明けてはいませんが、いざとなったら話せる人がいると思うだけで気が楽になりました。そのことは紗和にも伝えた記憶があります」

 無理をせず、でも最大限に努力をして会う時間を作り出す。それがふたりの暗黙の目標となっていた。

私、離婚したの

 5年ほどたったとき、別れ際に紗和さんがさりげなく言った。

「私、離婚したの。引っ越してひとりで暮らしているから、今度、うちにも来てって。本当にさりげなく。その日は僕に時間がなくて、お茶を飲んだだけで別れたんですが、なにを言われたのかすぐには理解できなかったくらいでした」

 すぐにメールを送って確認すると、離婚したのよ、それだけと返ってきた。数日後、ゆっくり会って話を聞いたが、彼女は「重荷を下ろした感じ」と笑顔を見せた。

「僕のせいかもしれないよねと言ったら、『なにしょってるのよ』と笑い飛ばされました。もともとうまくいってないって言ってたでしょう、と。夫は世間体を大事にするから離婚したくはなかったようだが、彼女は実態のない結婚生活は無意味だと突っぱねたそうです。本当かどうかはわかりません。僕がいなければ彼女は離婚しなかったのではないかという疑問もずっと抱いていましたが、彼女がそうだと言うはずもなくて」

 むしろ、自分が離婚したから、あなたはちゃんと結婚生活を続けてねと紗和さんは真顔で言ったそうだ。

いつか叶えたい願望

 潤之介さんは、いつか紗和さんと旅行したいという願望をもっていた。紗和さんが離婚したのだから、自分さえがんばれば行けないわけではないとも思った。だが紗和さんはいい返事をしなかった。

「たとえば、こうやって食事をしているところを誰かに見られたとしても、それは知人だとか友だちだとか仕事仲間だとか、いろいろ言い訳ができるでしょ。でも旅先で誰かに会ったらどうなる? 言い逃れできないのよ。私たちは言い逃れできる環境にいたほうがいいって。彼女の言うことはいちいちもっともでした。『それだけ私はあなたとの関係を長く続けたいの。ずっと会い続けたいの』とも言ってくれた。僕は本当に幸せでした」

 家族がいるのにつきあっているのは私の身勝手なのだから、あなたは罪悪感を覚える必要はないと紗和さんは言った。でもそれは違うと彼も言った。お互いの意志だよ、と。紗和さんはニコッと最高の笑顔を見せた。

「こうやって話すと、なんだか紗和が僕にとって“都合のいい女”みたいに聞こえるかもしれないけど、そうではないんです。彼女は自立した自由な女性。ときどき、ひとりで海外に行くこともあったし、ふらっと国内を旅することもあった。連絡はくれたけど、そのたびに僕は軽い嫉妬を覚えていました。彼女は自由で、僕は不自由。でも、家族がいることからくる不自由さは自分が選んだことだから文句は言えない。しかも、そこに大きな幸福もあった。紗和はひとりの自由さを、僕は家族のいる不自由さを愛したのかもしれません」

順調な家庭、静流さんと紗和さんのおかげ

 子どもたちはどんどん大きくなり、いつしか一緒に遊んでくれなくなった。ただ、「嫌われない父親」でいられたのは、静流さんのおかげかもしれない。進路を決めるときも、娘たちはちゃんと親に話してくれた。反対されないのがわかっていたからだろう。

「長女は美容系の専門学校へ行き、次女は大学の理系へと進みました。ふたりとも今も独身ですが、そのあたりも僕は全然気にならない。結婚だけが人生じゃないから」

 長女はひとりで暮らし、次女はすでに就職したが今も自宅でともに住んでいる。

 家庭がうまくいっているのも、静流さんと紗和さんのおかげだと彼は言う。

「ただ、紗和が50歳になるとき、『年をとるのは早いわね』としみじみ言ったんですよ。彼女が離婚したのは40代になってすぐくらいだった。僕は彼女の人生の邪魔をしてきたのではないか、再婚だってできたかもしれないのに僕がいたから彼女は次の人生を踏み出せなかったのではないかとちょっと考え込んでしまいましたね。紗和にそう言ったら『なに言ってるの。あなたがいたから私の40代は充実していたのに』って。結婚だけが幸せというわけではないとわかっているけど、それは結婚している立場の僕が言っていいことではないような気がしたんですよ」

 お互いの意志でつきあっているのはわかっているが、やはり「男の責任」を考えてしまうと彼は言った。責任のとり方は結婚だけではないということもわかっているのだが、「世間一般の常識」を鑑みずにはいられなかった。

がんの告知を最初に伝えた相手は…

 5年ほど前、健康診断でひっかかり、精密検査をしたところ彼にがんが見つかった。がん家系だとわかっていたから会社の健康診断は必ず受けていたのだが、そのときはコロナの影響で健康診断を受け損ない、翌年、受けたらひっかかったのだ。

「うちは父も母もがんで亡くなっているんです。父は50歳になってすぐだった。見つかったときは手遅れという状態で……。だから僕は50歳を超えるのが怖かった。50歳を越えてからは余生みたいな気持ちが少しありました。でも実際にがんを宣告されると、かなり堪えましたね」

 早期発見だったから手術で治ると医師には言われた。だが彼は、それを妻には話せなかった。手術日を決めた日、紗和さんに会った。

「紗和が『どうしたの、具合でも悪い?』と会うなり言ったんです。宣告されてから会うのは初めてだった。毎日会っている妻は気づかず、紗和には気づかれた。そういうものかもしれませんね。手術をすると最初に話したのは紗和になりました」

 帰宅してから妻に話した。妻は、「ひとりで抱えないで」と言った。そこから手術し、回復に至るまで紗和さんには会えなかった。連絡はとっていたが、病院に来てほしい、会いたいと言った彼を「私の出る幕じゃないもの。大丈夫、すぐ会える」と紗和さんは励ました。

還暦の京都旅行

 その後、還暦を迎えたとき、病気が再発した。恐れていたのだが、医師は楽観的で「怯えないで立ち向かっていきましょう」と言った。その言い方がかえって怖かったと潤之介さんは言う。

 再発を紗和さんに隠したまま、「自分で自分の還暦を祝いたいんだけど、つきあってくれないかな」と旅行に誘った。

「うちの会社は65歳が定年なんです。ただ、その時点で僕は65歳までいられないかもしれないと感じていた。紗和と旅行するなら、それが最後のチャンスだとも思った。だから誘ったんです。紗和はいいよ、行こうと妙に軽く乗ってくれました。3泊で京都へ行きました。楽しかった。もう誰に見られてもいいと思っていたし、紗和もそういうことに触れなかった。最後の晩に、帰ったら別れようと言いました。すると彼女は『あなたがどんな病気であろうが、私は別れないから』と手を握ってくれました。どうやら再発した僕がびびって彼女を旅行に誘ったことがバレていたようです」

 生きるのよと紗和さんに言われ、潤之介さんは手術に踏み切った。その後の治療もつらかったが、紗和さんは病院にも来てくれた。静流さんが、知人の料理教室を手伝うようになったので、絶対に病院に来ない時間帯ができたのだ。

「家族のために生きてきた妻も、子どもたちが自立したので、いろいろ考えたみたいですね。自分のできることを家族だけではなく、もっと広く伝えたいという思いがでてきたのかもしれない。静流も静流らしく生きていけばいいと僕は思っていたから、やりたいことが自然とできるようになってよかったと感じています」

 闘病しながらも、彼は仕事も続けている。会社に迷惑をかけるだけだから早期退職することも考えたのだが、会社側から引き止められた。

「例の先輩が1年ほど前、定年になったんですが、『いられるだけいたほうがいい。健康保険の問題もあるし』って。先輩とは最近、ときどき会っています」

先輩に託した頼み

 そんな中で、潤之介さんはひとつの決意をした。先輩に紗和さんのことを話したのだ。そして「いつか僕が命果てたら、彼女に知らせてやってほしい」と頼んだ。

「先輩は、『オレだっていつどうなるかわからないけど、わかった』と言ってくれました。やはりあのころから先輩は疑っていたようです。『長く続いているんだなあ。そんなことってあるんだね』としみじみ言っていました。僕自身もそう思っています」

 つい最近、また再発が疑われる検査結果が出た。だが、彼は恐れることはなくなった。何かあれば自分から紗和さんに伝えよう、いざとなったら先輩に自分の死を伝えてもらえる目処がついたからかもしれない。

「もしこれが再々発なら、僕に残された時間はそう長くはないかもしれない。そんなギリギリの命を生きているせいか、静流には主に感謝の念が、紗和には濃い情熱がますますたかまっている。そんな気がします」

 とか言いながら、やたらと長生きしたりしてと彼は笑いながら言った。いつ命が果てるかは誰にもわからない。だが少なくとも、彼は60代になっても生の実感を味わいながら生活している。それは決して不幸なことではないのかもしれない。

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 結婚30年の妻への感謝と、24年続く恋人への情熱の間で、潤之介さんは今も生の実感を抱えている。記事前編では、静流さんとの結婚生活と、紗和さんとの出会いを紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部