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地方移住の関心は高まっており、ふるさと回帰支援センターの2025年の移住相談件数は7万3003件と、5年連続で過去最高を更新した。退職後の地方移住や古民家購入は理想の暮らしに見える一方、想定外の生活コストや夫婦の認識のズレが後悔につながることもある。移住の落とし穴について、財務コンサルタントの見解もあわせて見ていきたい。
◆理想だった古民家移住の始まり

「雑誌の特集を見て、理想を描きすぎました」

長野県の山間部に移住した元広告ディレクターの高橋浩二さん(仮名・61歳)は、自嘲気味に笑う。

東京の中堅広告会社で長く働き、58歳で早期退職。退職金は約2900万円、預貯金を合わせると手元資金は3300万円ほどあった。都内のマンションを売却する選択肢もあったが、「老後は自然の中で、夫婦で静かに暮らしたい」という思いが強く、雑誌で見つけた長野県の古民家にひと目惚れした。

築70年超の古民家を購入し、断熱改修や水回りの全面リフォーム、薪ストーブの設置などで追加費用は800万円近くにのぼった。それでも高橋さんは満足していた。

「これで終の棲家ができた。都会のせかせかした暮らしから抜け出して、ようやく自分たちの時間を取り戻せると思ったんです」

朝は縁側でコーヒーを飲み、昼は畑をいじり、夜は夫婦で地酒を楽しむ。そんな“晴耕雨読”の老後を思い描いていた。だが、現実は雑誌の見開き2ページのようにはいかなかった。

まず苦しかったのは、想像以上に地域との距離が近いことだった。町内会、草刈り、用水路の掃除、祭りの手伝い、防災訓練、消防団の寄付。高橋さん自身は「郷に入っては郷に従え」と前向きだったが、妻の美和子さん(仮名・58歳)は徐々に疲弊していった。

近所の人は親切ではあった。ただ、その親切は都会の感覚とは少し違った。野菜をもらえば、こちらも何か返さないといけない。畑を放っておくと、「せっかく土地があるのにもったいない」と言われる。平日の昼間に車がないと、「奥さん、どこか具合悪いの?」と噂になる。

「悪気がないのはわかるんです。でも、妻にはそれが全部しんどかった。東京なら隣に誰が住んでいるか知らなくても平気だったのに、ここでは“知らない”では済まないことが多かった」

◆妻を追い詰めた田舎の濃密さ

決定的だったのは、人間関係の密度よりも、妻の孤立だった。高橋さんは地域の寄り合いに顔を出し、畑の話題で会話もできた。一方、美和子さんの友人はみな東京や横浜にいた。気軽に会える相手はおらず、電車一本で出かけることもできない。車社会の土地で、冬になれば道は凍る。雪かきすら、都会育ちの彼女には大きな負担だった。

移住1年目の終わり頃から、妻は口数が減った。食卓でも「うん」「別に」としか返さない日が増えた。高橋さんは「そのうち慣れるだろう」と軽く考えていたという。

「自分は会社も辞めて、都会も捨てて、やっと理想の暮らしを手に入れた気分だったんです。だから、妻も同じように満足していると勝手に思い込んでいました」

移住2年目の秋、朝起きると、食卓の上に一枚のメモが置かれていた。

《少しのあいだ、実家(横浜)に帰ります》

最初は、数日もすれば戻ると思った。だが、「少しのあいだ」は1週間になり、1か月になり、やがて3か月を超えた。電話で「いつ戻る?」と聞くと、妻は静かにこう言った。

「あなたはここが好きなんだろうけど、私はずっと、息が詰まりそうだった」

その言葉で、高橋さんは初めて、自分が手に入れたかったのは“夫婦の老後”ではなく、“自分が憧れた田舎暮らし”だったのかもしれないと思い至った。古民家の購入と改修で使った金は取り戻せない。簡単に東京へ戻るにも、住まいも仕事もない。理想の移住生活は、わずか2年で、静かにほころび始めていた。