78歳、素人からデザイナーを続けられたワケ。「子ども服に好きな色がない」がきっかけ
東京・目白で「mon Sakata」を営むデザイナー・坂田敏子さん(78歳)。夫の店である「古道具坂田」の一角から始め、現在は全国各地で企画展や展示会を行っています。「mon Sakata」のアイテムは、糸や布からこだわって選ばれ、着ている人を引き立てる、シンプルなのにひと味違うデザインです。今回は、「mon Sakata」を始めたきっかけとその歩みを、坂田さんにお聞きしました。
※ この記事は『いつもスタートラインにいる私 78歳、糸好き・布好き・服が好き』(KADOKAWA刊)より一部抜粋、再構成の上作成しております。

子どもが生まれたことがきっかけで

私の服づくりは、こんな具合です。布を見て着想を得たら、イメージを描き起こす。そこから、パタンナーと一緒にデザインに落とし込んでいき、縫製工場や編み手さんに発注します。
子ども服に好きな色がない、わが子にシックな色の服を着せたい、という気持ちが、子ども服の店をもつということにつながりました。そんなことですから、私はファッションデザインを学んでいない、いわばど素人。師匠なし、理想なし、大きな望みなし、というとても身軽なスタートでした。「布が好き」という一点で洋服と向き合っていたのが、よかったのでしょう。
布を手にすると、ワクワクします。楽しくて、イメージがふわっと浮かんできます。こんな形はどうかな? こんな着方、おもしろくない? と。それがうまくいけば形になるし、ダメならそこで消えてゆく。
基本を知らないワガママな服づくりだから、最初から共感者は少なくていいと思っていました。できることからやればいい。案外、肩の力は抜けています。責任感はあるけれど、柳に風。「mon Sakata」を始めたときから今日まで、ずっと同じ気持ちです。
高校時代、制服は自分でオーダー

もし、私が縫う人であったなら、「mon Sakata」はまったく違っていたと思います。縫わないからこそ、生まれた服は意外に多いのです。ぱっとひらめいたアイデアを、縫うことなど考えずに「やってみよう!」の勢いでつくった服。それが積み重なって、「mon Sakata」の個性ができていきました。
私の服好きは、子ども時代から。母が遠足のたびに生地を買ってつくってくれました。高校時代には、銀座のデパートに自分で生地を持ち込んで、ジャケットやスカートをオーダー。随分ませた少女でした。大学時代には、洋裁学校に通う友人につくってもらったこともありました。
「mon Sakata」の私の仕事は、服のプロデュースです。布を選んでデザインを起こしたあと、パターンから縫製、仕上げまでは専門技術を備えたスタッフたちと一緒に。もちろん、進行管理は私の仕事です。布の調達、人の手配。スケジュール管理に商品チェック。そして接客、経理と諸々をこなしてきました。今はほぼ制作だけを任されています。
思えば無邪気な服好きの少女が、夢を叶えたと言ってもいいのかもしれません。
表通りに店を構えるも、お客さまは来なかった

店を始めて6年目。「古道具坂田」を出て、目白通りに、「mon Sakata」の店を出しました。もっとやりたいことが増えたのです。なにかに突き動かされるように、物件を探して契約を結び、勢いで出店しました。資金は借りるしかありません。手もちのお金と信用組合からの借入れ、保証人は坂田(夫)が引き受けてくれましたが、返済するのは私ひとりだけです。私が表に出たいと言ったのですから当然のことです。
当初、以前からのお客さまと「古道具坂田」からお客さまが立ち寄ってくれる程度で、「よかった、今日は数千円売れた!」という具合。借金と家賃を支払うために、最初こそ細かく数字を記録していましたが、途中からはもう考えない。それでも、なんとか借金は減っていき、十数年後に完済したときには、心底ほっとしました。これで、ようやく私のお給料が出せるわと。
あのとき、なぜそこまでしなければいけなかったのかと、今でも不思議に思います。若さ? 本能? たまっていたマグマの爆発? はっきりしているのは、当時の私には、あの決断が絶対必要だったということです。子育てもあり、母の力を借りることになりました。ありがたいのひと言です。
その頃、三宅一生、川久保玲、山本耀司たちが国際的にファッション界をリードしていました。
ターニングポイントは「アジアの風」展
知り合いのギャラリーから、そのお誘いがあったとき、「えっ、私でいいの?」と驚きました。1990年、高島屋で開催された「アジアの風」展への参加です。私はとくにアジアを意識していたわけではないし、聞けば、参加者には大御所の名前がずらりと並び、私はと言えば、催事はほとんど未経験。でも、せっかくの機会です。ドキドキしながら参加を決めました。出品作は、その頃手がけ始めていたニットでした。
当時、ずるっと引きずるような長い丈、ビッグなファッションが流行していました。「mon Sakata」もワイド、ロングで今よりずっと落ち着いたニットばかりでした。その頃は、日本の素材、ムシロとか、織物をイメージした編み地を目指していました。染めは自分で。
色々なジャンルのクリエイターが集まった会場はものすごい熱気で、沸騰するアジアと言われた時代の息吹を、物づくりの最前線で体感できたことは、私にとって重要なターニングポイントになりました。「ニットならできる」との自信を得て、「mon Sakata」の可能性が見えてきたのです。地方のギャラリーからのオファーが増え、各地で展示会が増えていったのも、ここからです。
