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「奇妙な果実(Strange Fruit)」は、リンチで殺され、木に吊るされた黒人の死体のことで、1940年代にビリィ・ホリデイが歌ってアメリカ社会に大きな影響を与えた。今年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた映画『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』がこの名曲をテーマにしているように、80年以上経った現在でも、人種差別は肌の色のちがいを理由とした暴力的な抑圧だと思われている。

 これに対しては、「黒人を殺して木に吊るすような事件は半世紀以上、アメリカでは起きていないではないか」という反論がある。スティーブン・ピンカーなどによる「合理的な楽観主義」によれば、さまざまな問題がありつつも、世界は「リベラル化」の大きな潮流にあり、ひとびとは人種のちがいに徐々に寛容になってきているのだ。

[参考記事]
●極右もみんなリベラルになった社会で「保守派」の役割を考える

 ピンカーが膨大なデータを渉猟して示したように、アメリカにおいて、レイシズムを理由とした犯罪件数が大きく減少していることは間違いない。問題は、これが人種差別が解消しつつあることを示しているのか、それとも差別の質が変わっているのかで大きく意見が分かれることだ。

 後者の立場で強力な主張をするのが、デラルド・ウィン・スーの『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション 人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』(明石書店)だ。スーは中国系アメリカ人で、コロンビア大学ティーチャーズカレッジおよびソーシャルワークスクールのカウンセリング/臨床心理学部教授。マイノリティの心理学や多文化心理学の先駆的な研究で知られているという。そのスーは本書で、次のような主張をする。

 有色人種にとっての最大の脅威は白人至上主義者たちやクー・クラックス・クランのメンバー、あるいはスキンヘッドではなく、善良で、平等主義の価値観を持ち、自身の道徳性を信じ、公平できちんとした人物であり、けっして意識的に差別など働かないという自己認識を持った人々である。

 マイクロアグレッション(microaggression)とは、リベラルな白人による善意の「無意識の差別」であり、それは「奇妙な果実」で歌われたような露骨な人種差別よりもさらに有色人種(あるいは女性、LGBTなどマイノリティ)を傷つけるのだという。

リベラルな白人による善意の「無意識の差別」

 マイクロアグレッションとはなんだろうか。それは、「私はもううんざりだ」というアフリカ系アメリカ人の詩によく表われている。その冒頭部分は次のようにいう。

「私はもううんざりだ」
 大したことない白人たちが次々と権威や責任のある地位に昇進していくのを見ることに。
 私がエレベーターに乗り込んだ時、白人女性が急いで出て行ったけれど、本当にここで降りるつもりだったのだろうかと、思い巡らせることに。
「黒人っぽくない話し方だね」と言われることに。
 白人たちとやりとりする時、「人種など関係ない(don’t see color)と言われることに。
 人種についての会話になったときに、水を打ったように静かになることに。
 私が「アフリカ系アメリカ人」と呼ばれることを望んでいる理由を説明しなければならないことに。
 ものごとはよくなるのだろうかと、思い巡らせることに。(後略)

 マイノリティが日常的に感じているささいな「アグレッションaggression(攻撃、侵害、敵意)」は、それが曖昧であるからこそ、受け手の精神的なエネルギーを奪い、自尊心を低め、適応しようと努めることや問題を解決するためのエネルギーを枯渇させ、心理的・身体的なトラウマになるのだという。

 スーは、マイクロアグレッションを「アサルトassault」「インサルトinsult」「インバエリデーションinvalidation」の3つに分けて説明している。まずはそれを簡単に説明しておこう。

●マイクロアサルトmicroassault
「アサルトassault」は法律用語では「暴行」「脅迫」「強姦」などで、身体的・言語的な暴力をいう。「マイクロアサルト」はそれを日常化したもので、「環境に埋め込まれた(意識的かつ意図的な)サインや言語、または行為によって、周縁化された人々に伝えられる人種、ジェンダー、性的指向に対する偏った態度や信念、行為」と定義される。

 具体的には、「KKKのずきんやナチのかぎ十字、首吊り縄、南部同盟の旗といったものを飾ったり、十字架を燃やしたりすること、男性の経営者のオフィスにプレイボーイのバニー写真を吊るしたりすること」で、違法とはいえないものの、差別や偏見の意図が誰にでも明示的にわかる言動だ。日本においても、「差別」が問題になる場合、ほとんどはこうしたケースだろう。

 だがスーは、マイクロアサルトの「露骨なレイシズム」は「その意図が明確なため、周縁化された人々にとっては曖昧なものよりも対応が容易である」という。なぜなら、それが差別かそうでないのかを判断するための心理的なエネルギーを浪費しなくてもいいから。

●マイクロインサルトmicroinsult
「インサルトinsult」は相手を侮辱するような無礼な言動のことで、「マイクロインサルト」は「ステレオタイプや無礼さ、無神経さを伝えるコミュニケーション」と定義される。かすかな無視のようなもので表現され、加害者の意識的な自覚は伴わないことが一般的で、以下のような例が挙げられている。

・知的能力を出自に帰する
「あなたは、あなたの人種にとっての誇りですね」オバマ元大統領のような秀でた黒人に向けられるこうした賞賛には、「有色人種は一般的に白人ほど知的でない」という侮辱的なメタコミュニケーションが含まれている。

・二級市民
 特定のグループは価値が低く、重要でなく、丁重に扱われることに値せず、差別的な扱いを受けても仕方がない存在であるという、無意識のメッセージ。「レストランでは、黒人の常連客が、ウェイターやウェイトレスが絶えず出入りする、厨房のドア近くにある小さいテーブルに座らされる」「女性の内科医が緊急治療室で、男性の患者から看護師と間違われる」など。

・異文化の価値観やコミュニケーションスタイルを病的なものとして扱う
 マジョリティの文化に同化や変容を強いる。ラテン系の学生に「君が背負っている文化を教室に持ち込むのをやめなよ」といったり、黒人に向かって「どうして君はそんなに声が大きくて、感情的で、活発なんだい?」と訊くことは、白人の文化に同化することを暗に要求している。

・犯罪者もしくは犯罪者予備軍と決めてかかる
 特定の有色人種は危険で犯罪者予備軍で、法を犯しそうで、反社会的であるとの信念。「白人女性がラテン系アメリカ人を見てハンドバッグを持つ力を強める」「白人男性が歩道でアフリカ系アメリカ人の集団とすれ違う時に財布を確認する」「店員が小切手を現金に引き換える時に黒人に対して白人よりも多くの身分証明書を要求する」など。

・性的なモノ扱い
 女性が男性にとって性的に思い通りに扱うことができたり役立ったりする「モノ」や所有物に変えられるプロセス。「アジア系女性を性的な対象、家事労働者、そして芸者のようなエキゾチックさの象徴としての役割に従属させる」など。フェミニズムの価値観やフェミニズム運動の反動として、白人男性はしばしば、「アジア系アメリカ人女性は女らしくて従順」という魅力を感じているとされる。

・異常者扱い
 個人の人種、ジェンダー、性的指向を異常で、逸脱していて、病的だと認識すること。「ゲイ男性が内科検診に行くと初診の内科医からHIVエイズと疑われる」など、LGBTのグループが頻繁に経験する。

●マイクロインバリデーションmicroinvalidation
「バリデーションvalidation」は「検証・証明・承認・妥当性確認」のことで、「インバリデーションinvalidation」はこれらを否認すること。「有色人種、女性、LGBTといった特定のグループの人々の心の動きや感情、経験的なリアリティなどを無視したり、否定したり、無価値なものと扱ったりするコミュニケーションや環境の中のサイン」と定義され、マイノリティとしてのアイデンティティを否定するような言動をいう。3種類のマイクロアグレッションのなかで、これがもっともダメージが大きくなる可能性があるとスーはいう。

・よそもの扱い
 いつまでたってもよそ者と見なされることや、生まれ育った国なのに外国人扱いすること。アジア系アメリカ人が「英語を上手に」話すことを褒められることや、どこで生まれたかしつこく訊ねられるなど。

・人種、ジェンダー、性的指向を見ない
 人種やジェンダー、性的指向のちがいについて、認めたり、目を向けたりしたがならいこと。「君を見るときにね、僕は君の人種など見ていないんだよ」「たったひとつの人種だけがある。それは、人類という人種さ」「私たちはみんなアメリカ人だよね」など。こうした態度は「カラーブラインド」といわれる。

・個人がもつレイシムズ/性差別主義/異性愛主義の否認
「同性愛嫌悪ではないよ、ゲイの友達がいるんだもの」「異人種間結婚にはまったく反対しないよ、ただ子どもたちのことが心配なだけだ」「雇用主として、すべての男性と女性を平等に扱います」などの一見リベラルな言葉には、「異性愛主義に毒されるはずがない」「異人種間で関係を結ぶことに躊躇する理由はただ子どもたちの心配をしているだけであり、決して個人的な偏見によるものではない」「女性差別などするわけがない」という隠れたメッセージが埋め込まれている。これらは、相手の人種的偏見などにまつわる個人的経験を否認することになる。

・メリトクラシー信仰
「あらゆる人はこの社会で等しいチャンスを与えられている」「最良のものが頂点に昇る」「充分に一生懸命やれば、誰でも成功できる」などのメリトクラシー(知能と学歴・職歴による専制)は、人種やジェンダー、性的指向は人生の成功になんら影響しないとする。ここから、「アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)は逆レイシズムだ」との主張が生まれる。

 メリトクラシーによれば、成功は個人的な努力が報われたことの証しであり、当然のことながら成功者に広く支持されている。だがこの論理は、社会的・経済的に脱落してしまったひとに、(充分に努力していない、など)なんらかの欠陥があるという責任を負わせることになる。

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