大阪府立桜ノ宮高校バスケットボール部生徒の体罰、自殺事件は、改めてこの国に“スポーツ”が根付いていないことを実感させた。
本来、スポーツとは何かの目的のための手段ではない。人々にとって、体を動かすこと、そして体を使ってゲームをすることは、それ自体が喜びであり、快感だった。

少し賢そうな言い方をすれば、スポーツとは人が本来持ち合わせている闘争本能や、狩猟本能を一定のルールの下で安全に開放するものであり、余剰な肉体的エネルギーの発散だった。
また、見方を変えれば、スポーツは人類が進化とともに身に着けてきた「非暴力化」の代償行為として洗練されてきたものだった。
スポーツは、それ自体が目的であり、それをすることが、人々に喜びをもたらすものだった。

スポーツをすることによって得られる栄誉や報酬などは、あくまで副次的なものであり、どうしても必要なものではない。
人々は、スポーツをすることですでに喜びや満足という「報酬」を得ている。そういう意味では、もっとも正しいスポーツのあり方は「市民スポーツ」だといえよう。

人々か自ら進んで体を動かし、競技に打ち込むことがいかにすばらしいか。勝敗や成績のよしあしではなく、スポーツをする人一人ひとりが自らの目標を決め、それに打ち込み、結果に対して満足を得ることが、いかにすばらしいか。

その結果として、人々はより健康になり、労働意欲がわき、労働力は再生産される。生産性が上がる。そして医療費が削減される。国家、社会とスポーツの関係は、本来こうあるべきだろう。

残念ながら、日本では“スポーツ”は、いびつな発展の仕方をしてきた。

明治維新直後に野球やサッカーがこの国に入ってきた。とりわけ野球は人気を博したが、柔道や剣道などとともに「学校の栄誉のため」という「大義名分」が掲げられた。
また、ストイックな武士道に染まって「野球」は「野球道」になった。

この結果、日本の野球は極端に勝敗にこだわり、失敗に厳しいものになった。指導者は、失敗したものを叱責し、猛練習、ときには鉄拳制裁によって選手たちの怯惰をたたきなおそうとした。どんなときにも自己犠牲の精神が求められ、私心は「あるまじきもの」とされた。

選手は、チームや学校、地域、国家のために身命をささげることが求められた。
その背景には、「富国強兵」の一環として、スポーツが奨励されたことがある。
要するに、日本のスポーツは「兵士を育成する」ために、導入されたのである。

体罰は、怠惰な選手に対する必要な教育であり、指導者への絶対服従を求めるものだった。戦前においては、「スポーツを楽しむ」という発想は、根底からなかったといえよう。

戦後、民主主義の社会がやってきたが、高度経済成長までの日本社会は、個の自由をある程度抑制し、人々が企業に身命をささげることで成り立っていた。「企業戦士」とは、まさにこのことだ。
そして擬似的な「軍隊」として成長してきたスポーツも、戦前と根っこの部分は変わらないままに、現代まで続いてきたのだ。

世の中が豊かになるとともに、「市民スポーツ」も盛んにはなった。しかしプロやアマチュアの選手や指導者は、こうしたレベルの低い「市民スポーツ」を一顧だにしなかった。彼らは一般人がスポーツに興じることを軽んじ、自分たちとは違うと思ってきた。

その結果、日本には“体育会系”という世間一般とは異なる価値規範をもつ人々が生まれた。“体育会系”の人々は、民主主義やスポーツの理念とは別個に存在した。そして、彼らにしか通用しないルールを設けて、ここまでやってきた。

もちろん、“体育会系”がすべて「悪」であったわけではない。厳しい修練を経ることで人間的に成長することも事実だ。また、魅力的な指導者がたくさんいた。