スポーツに打ち込んだ青春時代を、多くの人が懐かしく振り返るのも事実だが、それは少し前の人が、軍隊時代について懐かしむのとよく似ている。過ぎてしまえば過酷な体験もよき思い出になるのだ。日本の“体育会系”で、スポーツの楽しさを教えられた人はそれほど多くないのではないか。



近年、何でも指導者の言いなりになる日本人選手の限界があちこちで叫ばれるようになった。特にサッカーでは、プレーの一瞬一瞬に自らの判断や、考えが要求される。“体育会系”の頭の悪いサッカーでは、国際舞台に通用しないことが確認された。

Jリーグは、その発足時に「サッカーをはじめとするスポーツをやること」を目的にした。栄誉や、金銭ではなく、「スポーツをすること」が目的。この発想の転換以降、日本のサッカーが飛躍的に進歩したのは言うまでもないことだ。

しかし、それ以外のスポーツ、とりわけ野球は、そうしたパラダイムシフトを経ることなく現在まで来ている。
日本のプロ野球では、シーズンが終了すると多くの選手は「しばらく野球から離れたい」という。
「野球のことを忘れて、のんびりしたい」という。これは日本の選手にとって、野球が「仕事」であり、「苦行」をともなうものだからだ。彼らはシーズン中、「野球から開放されたい」と願いながら、プレーしてきたのだ。

しかしアメリカではそうではない。ワールドシリーズが終わって、半年以上に及ぶペナントレースを終えた選手の中には、故郷に帰ったその日に、近所の子供たちを集めて野球をするものがいる。
荷物をまとめて飛行機に乗って、カリビアンリーグで冬の間限定のユニフォームを着てプレーする選手がいる。
彼らにとって、野球をすることが何よりの楽しみであり、野球をするこそが「最大の報酬」だからだ。

彼我の差は想像以上に大きいといわざるを得ない。