神奈川県高等学校野球連盟のホームページより

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 横浜と東海大相模が、今年の神奈川大会で早くも顔を合わせることになった。

 4季連続甲子園を狙う横浜と、全国屈指の名門・東海大相模。両校が勝ち上がれば、7月16日の4回戦で激突する。例年なら決勝や終盤で見たい顔合わせだが、今回は比較的早い段階で“事実上の決勝戦”とも言える一戦が実現する。【久保田龍雄/ライター】

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初対決は横浜の圧勝

 横浜と東海大相模は、これまで県大会決勝で10度にわたって対戦するなど、神奈川の高校野球史を彩ってきた両雄である。原辰徳、松坂大輔、菅野智之、近藤健介ら、のちにプロで名を残す選手たちも、このライバル対決の歴史に名を刻んできた。

神奈川県高等学校野球連盟のホームページより

 今年の対戦が実現する前に、記憶に残る名勝負を振り返ってみたい。

 両校の初対決は1966年夏の3回戦だった。創部2年目の東海大相模に対し、横浜はすでに甲子園出場歴があり、県大会でも上位を争っていた。両校の間には、まだ実力に大きな開きがあった。試合は15対0。横浜の一方的な勝利に終わった。

 流れが変わったのは、三池工時代に1965年夏の甲子園を制した原貢監督が東海大相模に就任してからである。東海大相模は急速に力をつけ、1969年夏には甲子園出場をかけて横浜と決勝で相まみえた。

 横浜のエース・山本秀樹(元西鉄)は、4回戦の三崎戦で県記録となる20奪三振をマークした好投手だった。しかし、前日の準決勝で延長14回を投げ抜いた疲れから、決勝では球が高めに浮いた。東海大相模はそこを逃さず、3回に連打で2点を奪う。これが試合の帰趨を決し、東海大相模が2対0で勝利。甲子園初出場を決めた。

勝負してほしかった

 翌1970年夏、東海大相模は初の全国制覇を達成する。横浜も1973年春、プロ注目の剛腕・永川英植(元ヤクルト)を擁して初の全国制覇を果たした。70年代以降、両校は神奈川を代表するライバルとしてしのぎを削ることになる。

 1974年夏には、原監督の長男で1年生の原辰徳(元巨人)が5番を打つ東海大相模と、春夏連続甲子園を狙う永川の横浜が決勝で激突した。

 永川は原を4打数無安打に抑えるなど、被安打4の力投を見せた。しかし、2回に味方の失策と悪送球などで3点を失ったことが響き、東海大相模が4対1で勝利した。

 東海大相模は1977年を最後に、長く夏の甲子園から遠ざかる。80年代、90年代は横浜が1998年の春夏連覇を含む全国制覇3度と優位に立った。

 そんな中で、両校の対決が久しぶりに大きな注目を集めたのが、1996年夏の準々決勝である。

 プロ注目のスラッガー・森野将彦(元中日)が4番を打つ東海大相模は、1点を追う4回、森野が右越えに逆転2ランを放つ。横浜のエース・松井光介(元ヤクルト)に、大会20イニング目で初失点を記録させた一打だった。

 その後、一発を警戒した横浜バッテリーは、6回、8回のいずれも2死無走者で森野を敬遠した。1打席目もカウントを悪くして歩かせており、本塁打以外の打席ではストライクを1球も投じることなく、徹底的に勝負を避けた。

 この策が功を奏し、横浜は5対2で逆転勝ち。一方の森野は「勝負してほしかった」と悔し涙にくれた。

悪夢のサヨナラ暴投

 翌1997年も両校は準々決勝で顔を合わせた。

 横浜は2年生・松坂大輔(元西武など)が先発。伸びのある速球にスライダーを織り交ぜ、6回まで無安打無失点に抑えた。

 打線も3回に3番・小池正晃(元DeNAなど)の中前適時打で先制。3点リードの5回には決定的な5点を奪い、柱不在の相手投手陣を打ち崩した。

 だが、9対0の7回、「記録を意識した」松坂は、失策で出した走者を一塁に置いて、榑松直記に初安打となる左越え2ランを浴びる。県内随一の打線を誇る東海大相模は、8回に1点、9回に2点を返したが、反撃はそこまでだった。横浜が10対5で打ち勝った。

 前年秋の県大会準決勝で東海大相模打線にKOされていた松坂にとっては、「絶対勝ちたかった」相手への雪辱でもあった。ただ、次戦の準決勝、横浜商戦では悪夢のサヨナラ暴投で甲子園を逃している。

2年連続で聖地行きを目前で逃す

 今も語り継がれる高校野球版の珍プレーが見られたのが、2007年夏の準決勝だ。

 前年の決勝で、センバツ王者の横浜に7対15と大敗した東海大相模は、巨人・原辰徳監督の甥にあたる菅野智之(現ロッキーズ)を擁し、雪辱に燃えていた。

 試合が動いたのは、0対0の4回である。東海大相模は4番・大田泰示(元巨人など)の二塁打を足場に3点を先取し、なお2死一、三塁で菅野に打順が回ってきた。

 菅野はカウント2-2からワンバウンドの変化球にバットを中途半端に出し、スイングを取られた。ただし、捕手がワンバウンドで捕球していたため、菅野にタッチするか、一塁に転送しない限り、アウトにはならない。

 ところが、横浜の捕手はスリーアウトと思い込み、ボールを三塁手の筒香嘉智(現DeNA)に転送すると、そのままベンチに引き揚げてしまう。他のナインも続々とベンチへ戻った。

 一部始終を見ていた東海大相模・門馬敬治監督は、菅野に「走れ!」と大声で指示する。菅野を含む3人の走者はダイヤモンドを1周し、“振り逃げ3ラン”で3点を追加した。

 結局、このラッキーな3点がものを言い、東海大相模が6対3で勝利。夏の県大会では、1981年決勝以来続いていた横浜戦での連敗を「8」で止めた。

 だが、“最大の山”を越えた反動があったのか、東海大相模は決勝で桐光学園に8対10で敗戦。2年連続で聖地行きを目前で逃す結果となった。

過去の名勝負に連なる新たな一戦に

 2011年は、センバツを制し、春夏連覇と4季連続甲子園を狙う東海大相模を、5回戦で横浜が迎え撃った。

 横浜の先発・柳裕也(現中日)は、3回に臼田哲也に先制ソロを浴びる。それでも、「挑戦者の気持ちで投げた」と球を低めに集め、4回以降は二塁を踏ませなかった。

 1点を追う横浜は4回、先頭の3番・近藤健介(現ソフトバンク)の中前安打をきっかけに、1死満塁からスクイズで同点に追いつく。6回には2死三塁から柳の遊撃内野安打で勝ち越し、8回にも敵失絡みで1点を加えた。

 渡辺元智監督の采配も冴えた。8回1死から柳が安打を許すと、迷うことなく、ピンチに強い相馬和磨へスイッチ。2年生同士の継投で3対1と逃げ切った横浜は、その後も順当に勝ち進み、3年ぶりの夏の甲子園切符を手にした。

 横浜と東海大相模の対戦は、単なる強豪校同士の一戦ではない。時代ごとのスター選手が顔を出し、甲子園への執念がぶつかり、時には思わぬ名場面や珍場面まで生まれてきた。

 勝った側は勢いに乗り、敗れた側には長く残る悔しさが刻まれる。だからこそ、このカードはいつの時代も神奈川の高校野球ファンを引きつけてきた。

 16日に行われる両雄の対決は、過去の名勝負に連なる新たな一戦になるだろう。大会前半でありながら、神奈川の夏を大きく動かす試合になるかもしれない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部