「ここ香港?」と思わず言ってしまう大自然 (c) Lost Atlas Productions

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【写真】「これぞ香港!」見渡す限りの山と海、コンビニ休憩、ゴールは古い郵便ポスト…獅子山が見守る過酷レース

「こんな香港が見たかった」

 立ち並ぶ高層ビル、行き交う車両と人の群れ――。「香港」と聞いて多くの人が思い浮かべる風景は、実のところ一部に過ぎない。衛星写真を見れば一目瞭然、香港島では北側の沿岸部、九龍半島なら先端から根本とその左右までがいわゆる都市部で、それ以外は郊外。全体は山を中心とした緑の面積のほうが居住地よりも広い。

 この“香港の大自然”には多数のトレイルコースが設けられ、山深くに入る上級者向けコースも存在する。しかも、代表的な4つの長距離コース、計298キロを“3日間で制覇”するトレイルランのレースまで開催されているのだ。その名も「香港フォー・トレイルズ・ウルトラ・チャレンジ」である。

「ここ香港?」と思わず言ってしまう大自然 (c) Lost Atlas Productions

 日本公開されたドキュメンタリー映画「フォー・トレイルズ 限界を超えてゆけ」では、このハードなレースの一部始終を知ることができる。ただし、観客が目の当たりにするのは単なるレースの概要だけではないようだ。昨年の香港公開時に「こんな香港が見たかった」「すべての香港人が見るべき」という声も上がった本作について、監督のロビン・リー氏に話を聞いた。

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香港を縦横に走るタフなレース

「ウルトラ・チャレンジ」の初回は2014年。主催のドイツ人男性はその2年前に4つのトレイルを4日間で走破したが、当時は「無謀な挑戦」と言われた。いま聞いても同じ感想を抱く人は多く、かつてリー監督もその1人だったという。

「最初に聞いた時はとても驚きました。僕は4つのトレイルがどんな場所なのか知っているので、合計300キロを“走る”だけでもすごい。しかも、一度ですべてを走破する、つまり寝ずに走り続けるなんて本当にすごいことです」

 レース最初の「マクリホース・トレイル」は、香港の中ほどを西から東へ横断する100キロの最長コース。連なる山々を抜けるため獲得標高は約4800メートルに達する。次に北から南へ78キロ縦断する「ウィルソン・トレイル」は、九龍半島から香港島へ移動する地下鉄乗車や1キロ以上続く山の階段もルートの一部だ。

 香港島を東から西へ横断する3つめの「香港トレイル」は50キロと難易度は低いが、選手たちが挑むのは2日目の夜。ほとんど睡眠を取っていないため、幻覚が見えることもあるという。最後は香港島からフェリーで移動してランタオ島の「ランタオ・トレイル」へ。70キロのコースには高い山が2つあり、限界が近い選手たちの体力を容赦なく削る。

香港社会の縮図

 現在31歳のリー監督は英国人だが、これら4コースの位置関係や距離感、自然環境などをすぐに理解できたという。その理由は生まれ育ちが香港というバックグラウンドだ。

「香港に住む中国系の人たち、香港人たちと比べると、性格やパーソナリティー的には僕はやっぱり西洋人だと思います。けど、香港出身であるという誇りや、香港が故郷であると思う気持ちは地元の人たちと同じです」

 香港は英国領時代から外国人の出入りが非常に多い。リー監督のように「香港は故郷」の層といつか帰国する層に分かれるが、どちらの層も多国籍だ。そして香港は、各自のスタイルで生活する彼らを受け入れている。本作が香港で公開された際、レースの出場選手たちはそうした香港社会の縮図に見えるという声もあった。

「100パーセント同意します。それがこのレースの面白いところだと思うんです。背景や仕事、ジェンダー、家族、年齢など本当に様々なバックグラウンドの人たちがいる。その人たちがこのイベントに挑戦する状況は、人生と同じだなと。僕たちもそれをとても意識して撮影していた。できるだけいろいろな人たちを選んで映すことで、鑑賞者は『この人はわたしのようだ』と共感できますから」

顔ぶれと彼らの挑戦こそが香港

 撮影されたレースは2021年のものだが、リー監督は先にこのレースの短編ドキュメンタリー「ブレイキング60」を制作していた。2017年のことだ。

「最初のレースを知った時は60時間のタイムを切った人がいなかったので、果たして可能なのかという興味から『ブレイキング60』を撮影したんです。その時に初めて60時間を切りました。その4年後に『フォー・トレイルズ』を撮影しましたが、焦点は60時間や誰がトップかということではなく、彼らの“ストーリー”を見せることでした」

 2017年のレース以降、60時間以内にクリアした選手は「完走者」、72時間以内は「生還者」と呼ばれている。コロナ流行中だった2021年大会には、過去の「完走者」と「生還者」である18選手が出場した。

 リー監督はそのうち主に9人の姿を追った。香港トレイルランニング界のレジェンドあるストーン(2017年・完走)や、最年少で4度目の挑戦となるサラ(2020年・生還)、韓国生まれアルゼンチン育ちのチャン(2020年・完走)、大会前に大けがを負ったポン(同)、ギリギリまで出場を悩んでいたジャッキー(同)といった顔ぶれである。

「50時間切りの綿密な計画を立てるサロモン(2018年・完走)や、女性唯一の完走者であるニッキ(2019年・完走)といったいろんな人たちがいます。観客が誰か1人にでも思い入れを感じる、共感できるようにと考えると同時に、この顔ぶれと彼らの挑戦こそが香港であり、香港らしいと見せたかったんです」

不屈の香港を示す「獅子山精神」

 彼らの顔ぶれはたしかに香港社会の縮図だが、なぜ挑戦する姿も“香港らしい”のか。

「香港には『獅子山精神』という言葉があります。諦めないこと、耐えて乗り越える力があることを意味する言葉です。このレースに出場した人たちは全員、このスピリットを持っていると思います」

 九龍半島の北にそびえる獅子山(ライオン・ロック)は、70年代に始まったドラマ「獅子山下」をきっかけに香港のシンボルとなった。貧困の時代から経済成長、香港返還と常に変化を迫られる庶民に勇気を与え、奮い立たせる存在である。「獅子山精神」には人を助ける意識も含まれており、このレースでは選手たちとサポートチームの強い絆にそれを見ることができるだろう。

 撮影中のリー監督もまた「獅子山精神」を発揮した。制作班にとっては、撮影こそが体力と精神力を削るレースのようなものだったからだ。

「最初の2日間は大丈夫なんです。撮影に胸が弾んでいることもあって、寝なくても平気。でも3日目が大変です。たとえば最後のコースでウィル(生還2018年)を撮るとき、GPSトラッカーで彼の位置を確認して少し眠りましたが、本当に熟睡してしまった。それでも起きて撮影できたけど、寝ながら歩いているような状態。どうやって撮ったのか自分でも覚えていないくらいですよ」

 続く編集作業はコロナ禍のロックダウンと重なったが、時間を贅沢に使えるという利点があったという。およそ3年をかけた結果、選手たちのストーリーに雄大な香港の大自然がオーバーラップする、開放感にあふれた作品が生まれた。

名監督が「フィクション映画化できる」と

 作品を評価したのは香港の大手製作・配給EDKO FILMS。2025年1月から劇場公開が始まると、動員15万人のサプライズヒットを記録した。リー監督は香港映画の最高アワード・金像奨の新人監督賞など複数の賞を受賞。フィクション映画化の噂も報じられたが、実際はどうなのか。そう問うと、香港を代表する名監督ピーター・チャン氏とのエピソードを明かしてくれた。

「試写で観たチャン監督がとても褒めてくれたんです。『自分が撮っているフィクション映画のような要素がある』『君がやりたければ、脚色してフィクションにすることもできる』と。僕はそれを本当に誉め言葉として受け取りました。というのも、僕と共同制作者のベン(実兄)は、観た人が楽しかったと言ってくれる作品を撮りたかった。ドキュメンタリーなので嘘はありませんが、ストーリーの伝え方がよかったと思ってくれるような作品を」

 ただし残念ながら、リー監督がフィクション映画化をやりたいかといえば微妙なところだという。いまはドキュメンタリーへの意欲が強いからだ。まだ31歳の彼の前には、選べるルートと可能性が多くある。

 本作が見せた大自然に心をつかまれ、選手のストーリーにも見入った香港人たちは「こんな香港が見たかった」と言った。そして名優チョウ・ユンファは「すべての香港人が見るべき」と絶賛した。若き監督が獅子山精神で撮影した本作に、香港が持ち続ける不屈の力と可能性を見た観客は多かったのだろう。

「フォー・トレイルズ 限界を超えてゆけ」
ヒューマントラストシネマ渋谷、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー公開中
配給:ザジフィルムズ

デイリー新潮編集部