自民党の中枢を世襲議員が占めてきた中、非世襲で総理大臣に上り詰めた高市早苗首相(65)。政界進出のスプリングボードとなったのが、テレビのキャスター経験だった。では、なぜキャスターになることができたのか。キャスターに起用したプロデューサーが、ノンフィクションライター甚野博則氏&月刊「文藝春秋」編集部取材班のインタビューに応じ、当時の高市氏について語った。

【画像】高市氏の初出馬時におけるリーフレット


「奈良の女」高市首相 ©時事通信社

「米下院議員の事務所にもいたなら政治を語れるだろう」

 このプロデューサーは、現在・茨城大学特任教授を務める村上信夫氏。1989年当時、テレビ朝日の深夜番組『こだわりTV PRE★STAGE』の作家兼プロデューサーを務めていた。水曜日の放送を任されていた村上氏が抜擢したのが、28歳の高市氏だった。

 番組ではすでにクラリオンガール出身で青山学院大学の4年生だった蓮舫氏と、タレントの飯干恵子(現・飯星景子)氏の出演が決まっていたという。

「当時は日本社会党委員長を務めた土井たか子さんの『おたかさんブーム』前夜。テレビ業界でも、女性が政治を語るのが流行っていたんです。だから、番組にはもう一人、政治を語れる女性に出演してもらおうとなった」

 だが、過去にテレビ出演歴のある女性では新鮮味がない。そんな中、村上氏の目に留まったのが、政治をテーマに雑誌に寄稿していた高市氏だった。

「松下政経塾出身で米下院議員の事務所にもいたなら政治を語れるだろうと思い、プロフィールにあった勤務先の短大(編集部注・日本経済短期大学、のちの亜細亜大学短期大学部)に電話しました」

 後日、局のプロデューサーと短大まで会いに行った村上氏は、高市氏について「関西弁の少しおっとりした人」という印象を抱いた。本人も乗り気で、番組出演はすぐに決まった。

「最初は本当に、ただただ素人でしたね。ピンマイクを付けたままスタジオから出てしまうこともあった。でも仕事熱心で、放送2日前に届く台本をしっかり読み込んで質問していた」

芸能事務所にスカウト→朝のニュース番組でメインMC

 しかしテレビに出たことで、周囲のやっかみを招くこともあったようだ。放送とは別の日、村上氏は高市氏と西麻布の串揚げ屋に二度出かけたことがある。

「(短大で)悪口を言われて、どうしたらいいんだろう、と。大変だなと思って励ましたんですが、高市は泣いてしまって。参りましたね」

 結局、高市氏は1年ほどで番組を去った。

「そのうち他の番組からも声がかかるようになって、芸能事務所にスカウトされた。数カ月して、フジテレビの番組でメインMCが決まったと、降板の申し出がありました」

 高市氏は、1990年に放送を開始したフジテレビの平日朝7時のニュース番組『朝だ!どうなる』のキャスターに、フリーアナウンサーの小俣雅子氏や石井苗子氏(現・日本維新の会参院議員)と共に起用された。

番組スタッフに「秘書にならない?」と…

 この頃、高市氏の本当の目標がテレビキャスターではなく政治家であることは、番組スタッフの間では周知の話で、村上氏をはじめとする番組スタッフに「秘書にならない?」と声をかけていたという。実際、高市氏は1992年7月の参院選に出馬することになるが、その際の看板となったのが、キャスターを始めとするメディア露出だった。

 政治家の家に生まれたわけではない高市氏が、いかに若くして政治家への階段を駆け上がっていったのか。高市氏に「妹みたいに思っている」と言われた女性の告白や、“恩人”が怒りを露わにした“裏切り”、奈良のドンと呼ばれた男の側近が語った高市氏との関係など、甚野氏が執筆した「裏切りと涙のサナエ劇場 奈良『鉄の女』の原点」は、7月10日発売の「文藝春秋」8月号および、「文藝春秋」の電子版「文藝春秋PLUS」(7月9日先行公開)に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2026年8月号)