スポニチ

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 サッカーのW杯北中米大会が開幕。森保一監督が率いる日本代表は、1次リーグ初戦でオランダに2度追いついてドローとすると、1勝2分けと負けなしで突破。決勝トーナメント1回戦で王国ブラジルに1―2と逆転負けを喫したが、着実に強くなっているところを世界に示した。私は森保と「ドーハの悲劇」といわれる94年W杯米国大会アジア最終予選を一緒に戦い、あと一歩で涙をのんだ。その時代とは隔世の感がある。森保はいつもニコニコしていて、人の話をよく聞き、よく話す私と性格的にも合った。ただ、私はドーハ組の中で一番監督には向いていないと思った。当時は「俺についてこい」というタイプのリーダーが求められていて、森保はそういうタイプではなかったからだ。時代が変わり、鹿島の鬼木達監督や野球の栗山英樹さんのように、信念があり、選手を第一に考え、選手のいいパフォーマンスを引き出す監督が評価されている。選手を前面に出し、問題が起きたときは自分が前に出る――森保もまさにそのタイプ。本当に素晴らしい指揮官だと思う。

 森保が広島の監督時代にプレッシャーについて聞いたことがある。すると「駄目だったら、辞めればいいだけ」と、覚悟の大きさに感心させられた。彼は日程や審判の判定など、変えられないものには無駄な力を使わない。そして、練習で23番目や24番目の選手が急に紅白戦に出ていいプレーをしたことを喜ぶ。極め付きは整理の付け方のうまさ。シーズン中は次の試合までに数日しか練習ができないことが多い。試合を振り返るといろいろ課題が浮かぶが、森保は「やりたいことが3つ、4つあってもひとつに絞る。あとは見て見ぬふり」と言っていた。この割り切り方が森保の真骨頂だろう。

 私は10代の頃から、自分をコントロールすることが苦手で、何度も指導者と衝突した。責任感が強く「自分がやらなければ」の意識が強すぎて、気持ちを抑えられなくなる。だが、オフトさん、オジェックさんが監督の時は、私が何をやるべきか、私の責任は何かなどを整理して明確に示してくれたので、自分を見失うことがなかった。使ってくれる人次第で変わるということで、これが私の長所でもあり、短所でもあった。

 今年12月には還暦になる。今回、いいタイミングで私の人生を振り返る機会を頂いた。サッカーと出合ったことでガラリと人生が変わり、幸せな日々を過ごすことができた。そして、妻と3人の娘、実家の母にも感謝したい。妻は三菱重工の同期で、家のことなどを全てやってくれたので、私はサッカーに集中することができた。筆まめで、現役を引退した日に帰宅すると、テーブルの上に「10年間楽しませてくれてありがとう」と書いた手紙が置いてあり、感動した。子供が生まれてからは、私も家の近くの公園で一緒に遊んだりして、逆にサッカーを忘れる時間が持てたこともプラスになった。多くの人に支えられたサッカー人生だと感じている。

 ◇福田 正博(ふくだ・まさひろ)1966年(昭41)12月27日生まれ、神奈川県出身の59歳。相模工大付高(現湘南工大付高)から中大を経て三菱重工に入社。Jリーグ開幕後は浦和で95年に得点王、ミスターレッズと呼ばれた。日本代表でも92年アジア杯や93年のW杯米国大会アジア予選などに出場。現役引退後は08年から3年間浦和でコーチとして指導。現在はテレビ解説者やスクールコーチを務めている。