河瀬館のシンボル・イチョウの苗木、夢洲から芦屋へ“いのちの循環”《Expo Legacy》
大阪・関西万博で、映画監督・河瀬直美氏がプロデュースしたシグネチャーパビリオン『「Dialog Theater〜いのちのあかし〜 』(河荑館) のシンボルツリー・イチョウの“苗木”が6月20日、兵庫県芦屋市・翠ヶ丘南緑地(同市翠ヶ丘)に移植された。


河荑館の建物やイチョウの親木は、 泉佐野丘陵緑地(大阪府泉佐野市)への移設が決まり、2028年度の開館を目指し、常設の対話・文化シアターとして整備が進められている。このうちイチョウの“ 親木 ”は先行して4月20日に移植された。


大阪・関西万博会期中、『Dialog Theater〜いのちのあかし〜 』 では、「どうして私たちは、わかり合えないと思ってしまうのだろう。敵と味方に分かれてしまうのだろう」というメッセージを発信。
1時間に1回ペースの「対話=公演」を、会期中に計1633回開催した。


初対面の来場者どうしが、日常生活で失われつつあるとされる“対話”をスクリーン越しに展開。単に「YES・NO」「正義・悪」などで二分化するのではない、”一期一会の、シナリオのない対話”が人気を集めた。


河荑館は、廃校となった京都府福知山市立細見小学校中出分校の1棟と、奈良県十津川村立折立(おりたち)中学校の2棟、計3棟を大阪・関西万博会場・夢洲(ゆめしま)に移築したもの。ほかのパビリオンとは全く異なるアプローチも話題を集めた。
イチョウの木は、推定樹齢100年。福知山の校舎の真横に立ち、多くの子どもたちを見守っていた。
万博開幕前の計画では校舎のみを夢洲へ移築し、イチョウの木は伐採される予定だったが、校舎とともに移植。高さ約14メートルのイチョウの木は、根の部分も含めて寝かせると新幹線1両ほどになるという。
それをトレーラーで時速30キロという低速で慎重に運び、パビリオンの中心にすえ、イチョウの枝から発根させて芽吹いた苗木も育てていた。


河荑監督は万博会期中、「このイチョウの木とパビリオン、閉幕後にどこかへ移植できないだろうか」と考えていた。その頃、翠ヶ丘町自治会から日本国際博覧会協会に 「イチョウの木そのものは(巨大で)難しいが、苗木を提供してもらえないか」 と相談があった。そこで残り1つの苗木の譲渡が決まったという。


■「命の循環」2度再生したイチョウと阪神・淡路大震災を経験した石碑が共存、「新たに対話の歴史が…」


梅雨の長雨の中、移植セレモニーは翠ヶ丘緑地にほど近い集会所で開かれた。初夏を迎え、イチョウの葉は鮮やかな緑に色付いた。河荑監督はあいさつで、故郷・奈良の樹齢数百年から数千年の歴史を刻んだ大木が並ぶ風景を思い浮かべ、「これらの大木や神木には、必ず人の手が関わっている。だから生き続けている。映画監督としてどう進むべきか悩んでいた頃、森の中の木漏れ日(こもれび)を見て、思わず涙したことがある。そこに、言葉ではない対話があるような気がした。今の社会は“二律”の中に正解を求めがちだが、 森はすべてを受け入れてくれる。河荑館が万博で目指したのはそこだった」と振り返った。
そして、「2度も伐採の危機にさらされたが、その苗木から見事に葉が芽吹き、色付いていく。緑の葉が喜んでいるように見え、千年先まで続く“いのち”が宿ったような気がする」と話した。


高島崚輔(りょうすけ)・芦屋市長は、 市民力を最大限に引き出すために“対話を中心としたまちづくり”を理念に挙げている。そのうえで、「行政主導ではなく、 地域の最小単位・自治会のみなさんが積極的に働きかけてイチョウの苗木を芦屋に連れて来てくださったことが尊い。これが“いのちのあかし”。分断という言葉が飛び交う時代に、このイチョウがきっかけとなり、対話を通じたつながりを育むことができたらと思う。言葉を交し、思いを伝えればお互いの共通点が見いだせる」と喜んだ。


芦屋市翠ヶ丘町自治会・小林拓也会長は、「大阪・関西万博の会場を訪れ、かつてのように各国が技術力の成長をアピールする場から、社会問題の解決について語り合う場へと変容したことに感銘を受けた。“対話”という理念を受け継ぎたいという思いだけで、自治会として企画し、実現できたことの意味を感じていただけたらと思う。高齢化が進み、 地域社会はさまざまな課題を抱えている。だからこそ、いのちの循環を感じて一人ひとりがつながり、対話することで物語がもっと広がりますように」と語った。 苗木は今後、自治会が育てる。


翠ヶ丘南緑地には、阪神・淡路大震災で倒壊した大邸宅(大正時代に建造)の庭園から震災後に翠ヶ丘南緑地へ移された石碑がある。
この石碑は、桃山時代の茶人・古田織部が創案した型の石灯籠の一部とされる。廃校した小学校の敷地で生き延びたイチョウとの共存が実現した。



