テレビの取材に「死ぬのは怖い」と涙を浮かべ…まだ数十年は生きられる体なのになぜ? 54歳男性が“安楽死”を選んだ切実な理由
〈「若い肉体を再び手に入れる」億万長者が17歳息子の血を自分に輸血…年間200万ドルかけた“不老長寿”作戦の効果はあったのか?〉から続く
2016年にMAiD(安楽死法)が導入されたカナダは今や、死亡者の20人に1人が医師の手によって死亡する安楽死大国になった。しかし、そんなカナダ社会に一石を投じたのは2022年に放送された1本のテレビ番組だった――。
【画像】貧困を理由に「安楽死」を選ぼうとした54歳のアミール・ファルスード
国際ジャーナリストである堤未果氏は、人間の生や死、老いすらもテクノロジーによって操作しようとする世の中の動きについて、1932年にオルダス・ハクスリーによって書かれたディストピア小説『すばらしい新世界』と重ね合わせる。
ここでは堤氏の『堤未果の『すばらしい新世界』 スマホで赤ちゃんを注文する日』(集英社新書)より一部を抜粋してお届けする。貧困を理由に「安楽死」を選ぼうとした54歳のアミール・ファルスードが浮き彫りにする、安楽死制度が抱える問題とは……。(全4回の4回目/最初から読む)
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家賃が払えず「安楽死」を選んだ54歳男性
「私は死にたいわけじゃない。ホームレスになるのが怖いだけなんだ」
54歳のアミール・ファルスードは、安楽死を申請した理由を聞かれ、カメラに向かって震える声でこう答えた。
何年も前に背中を怪我したせいで、アミールは毎晩痛みで眠れず、苦しみながら暮らしていた。
不安とうつ症状のために、日常的に向精神薬も服用している。
だが、彼が死を望んだのは、病気や痛みが辛いからではなかった。
背中は慢性的にひどく痛んでいたものの、主治医からは「まだ数十年は生きられる」と太鼓判を押されている。
本当の理由は、「貧困」だった。
年々物価が上がり、国が社会保障をカットし続ける中、住んでいたシェアハウスが売りに出され、新しい部屋を借りようにも障害者年金だけでは払えない。
頼れる家族もいない上に、生きたくても国は助けてくれず、ついに路上生活(ホームレス)が確実になった時、アミールはMAiDの申請を出したのだ。

画像はイメージ ©AFLO
カナダの法律では、安楽死が認められるためには2人の独立した医師が評価し、判断を下さなければならない。患者の苦痛が「医学的」なものか、それとも「社会的・経済的」なものかを見極める必要があるからだ。
「安楽死を望むのは病気ではなく家を失うのが怖いからだ」と伝えられていたにもかかわらず、主治医も二人目の医師も、慢性的な背中の痛みを理由に「医学的基準を満たしている」としてアミールの申請を承認する。
審査を通過した感想をテレビのインタビューで聞かれたアミールは、「死ぬ権利が認められたのはありがたい」と答えたものの、「死ぬのは怖いですか?」と聞かれると、一瞬言葉に詰まった後、目に涙を浮かべてこう言った。
「……はい」
サービスの一つとして提供される安楽死
アミール・ファルスードのこの番組は、安楽死制度の本来の目的について、カナダ国内のみならず、世界的に大きな議論を巻き起こした。
カナダ国内では、「十分な福祉や住居を提供できない政府が、解決策として『死』を提示しているのではないか」という批判が高まり、法案ができた当初は末期患者のためだった「安楽死法」が、なし崩し的に「経済的理由」で利用されるまでに拡大している現状に、多くの専門家が警鐘を鳴らしだした。
安楽死を制度として認めているのは、カナダの他に、欧州ではオランダとベルギー、ルクセンブルク、オーストリア、スペインそれにスイス。米国では、ワシントン、オレゴン、カリフォルニアなど10州とワシントンD.C .。その他の地域ではコロンビア、オーストラリア、ニュージーランドだ。
欧州で安楽死法の先陣を切り、カナダと同じように、最初は「末期患者を苦しみから救う」はずだった基準が、その後政府によって徐々にゆるめられているオランダやベルギーでも、アミールのこのニュースはネットを中心に炎上し、多くの批判が飛び交った。
どちらの国でも、すでに安楽死は未成年者や精神疾患患者、認知症患者へ適用され、安楽死をサービスの一つとして提供するクリニックや、関連するビジネスモデルが、着々と確立しつつある。
クラウドファンディングの成功
だがカナダのこの事例をきっかけに、自分を社会的な「お荷物」と感じる高齢者が、死を選ばされる心理的圧力を受けていることが再び問題視されてゆく。
また、番組を見てアミールに同情した視聴者たちがクラウドファンディングを立ち上げたところ、世界中から6万カナダドル(約650万円)以上の寄付が集まり、当面の家賃を確保できたアミールは、すぐに「安楽死制度」の申請を撤回した。
SNS上には、「行き過ぎた安楽死制度がハッピーエンドに転じた好例」「人の善意は最後の砦」「市民の連帯が社会を動かした」「人間性の勝利」といった、肯定的なコメントが、次々に現れては消えてゆく。
だが本当にそうだろうか?
「救済の選別」の正当化
アミールがクラウドファンディングによって救われたこの結末は、一見すると確かに「人間性の勝利」に見えるものの、その美談の裏側で静かに進むのは、「生存権の民営化」という冷酷なシステムだ。
本来なら国が保証するはずの「住居」や、日本の憲法25条にあたる、最低限の「健康で文化的な生活」は、今やテレビ視聴者やネットユーザーの同情心や、人気投票のようなクラウドファンディングの仕組みに委ねられてしまっている。
そこでは、アミールのように、たまたま運良くテレビに取り上げられたものだけが生き残るという「救済の選別」が正当化されてしまう。
不特定多数の他者による寄付で凌ぐことができたアミールは、その後のインタビューで、感謝の言葉の後にこう訴えた。
「僕は運が良かったけれど、見えないところで僕のように苦しんでいる人が山ほどいることの方に、注意を向けてほしい」
個人の善意による一時的解決は、機能不全を起こしている安楽死制度の構造的欠陥を覆い隠し、社会が向き合うべき問題を「心温まるエピソード」で上書きしてしまう。
アミールの言葉は、メディアの光が当たらず、世論の注意を引けない環境にいる人々が、誰にも知られないまま「安楽死」という名のシステムの出口へと、静かに押し流されてゆくことに抗う、当事者としての叫びだった。
生きる権利を奪われ、死ぬ権利を与えられる
ハクスリーが描いた『すばらしい新世界』の中で、社会の歯車として機能しなくなった個体が、効率的に「処理」されたように、先細りする福祉制度の隙間で苦しむ者たちの救済も、私たちがその本質を見誤れば、注目という名の「選別」を通過した者だけに与えられる、期限つきの処方箋になってしまうのだ。
ハクスリーの『すばらしい新世界』に登場する「野蛮人」ジョンは、システムの管理下にある「幸福」を拒絶し、あえて苦しみや不幸を選ぶことで、人間としての尊厳を守ろうとする。
「僕は不都合が好きなんだ」
「僕は不幸になる権利を要求しているんです」
だがアミールは、ジョンのようにシステムに反抗したのではない。
システムが用意した「唯一の逃げ道」に、感謝せざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。
「生きる権利」を奪われて、「死ぬ権利」を与えられる。
これは慈悲でもなんでもない、国による、「生存権の民営化」に他ならない。
(堤 未果/Webオリジナル(外部転載))
