知識やノウハウを得るためではなく「考えるよろこび」を味わう読書をめざして。哲学を通じて、世界をあれこれ解釈して遊ぶことのススメ
誰かが考えた「正解」もいいけど、自分だけの「?」を探す贅沢な遠回り。田村正資さんの新刊『思考のストレッチ』の発売を記念して、哲学を専攻することに決めたときのことや、本に込めた思いをめぐってご寄稿いただいたエッセイ「世界をあれこれ解釈して遊ぶことのススメ」(『群像』2026年7月号掲載)を特別にお届けします。
哲学を学ぶと決めたとき
哲学を専門的に学ぶと決めたのは19歳のときだった。大学には理系の課程で入学したものの、必修になっている数学や物理、実験以外のコマは人文系の講義ばかり履修していた。高橋哲哉や石原孝二の授業を受けながら、丸山圭三郎や加賀野井秀一の本を自分で読み進めていくうちに、言語と人間をめぐる問題の面白さにのめり込んでいった。
言語学や認知心理学のような分野にも惹かれたが、不遜にもそれらを見渡してなにかを考えることのできる哲学がやはり魅力的だと思った。専攻を哲学に変えるなら、大学院まで進学して研究をしてみたい。その後のキャリアがどうなるのかは、よくわからなかった。
進路を選択する最終的な決め手はなんだったのだろう。哲学のコースに進んで大学院にも進学するかもしれない──そう打ち明けてすぐパートナーにフラれると知っていたら、それでも決意しただろうか? 結局は大学の研究者にならず企業に勤めることになると知っていたら、それでもこの道を選んでいただろうか?
たらればを考え始めたらきりがないが、あのとき僕が考えていたのは、哲学や思想を学んで日常的な世界をあれこれ解釈しながら生きるという趣味であれば一生楽しめるんじゃないか、という仮説だった。
だから、5月28日に上梓した『思考のストレッチ』を、まずは19歳の僕に捧げよう。これは、哲学を学ぶことに決めたあの頃の僕が思い描いた生き方をそのまま実践した本だ。2億円が突如自分の口座に振り込まれることを妄想しながらロト6を買い続ける生活について、サン=テグジュペリがスペインの内戦を取材中あわや殺されそうになったときに起こった奇跡について、10年ぶりにクイズ番組に出演したときに考えた「記憶」の不思議な側面について、等々。
約1年間をかけて、僕の日常と思索について言葉を紡いできた。そうしてみてわかったのは、僕によって生きられた世界にはすでに、僕が学んできた哲学や思想が浸透しているということだ。大学で哲学の研究者としてやっていくことは諦めてしまったけれど、生活のなかに僕なりの哲学を根づかせることはできたと思う。僕にとって哲学は、この世界をあれこれ解釈しながら遊ぶためのチュートリアルだった。この本は、そういうことにするための既成事実だ。
そして次に、読書がシリアスな悦びをともなったものだと(いまだに)信じているあなたにこの本を捧げたい。執筆を進めるなかでもっとも心を砕いたのは、この本を読むことが、知識やノウハウを得るための読書ではなく、誰かの世界に共鳴したり反発したりしながら考える悦びを味わうための読書たりうるような文章を紡ぐことだった。
あらゆる本が新書化し、ビジネス書化していくなかで失われつつある読書の悦びを、僕は擁護したい。「この本にはこう書いてあった」と参照先にするのでもなく、「面白かった!」とエンタメのトレンドにのるのでもなく、誰にも理解されないかもしれないけれど頭に浮かんだことをぽつりとつぶやきたくなるような、そういう読書の領域を守っていきたいし、「撤退戦」だなどと言わず開拓していきたい。
それがどれくらい上手くいったのかは読者の判断に委ねるしかないが、この本を読むことを通じて、僕とあなたの思考が、そして主語が、伸び縮みする面白さを体験してもらえるはずだと信じている。あえて特定の章をオススメするなら、第3章「いつか白馬の王子さま(一等賞金・二億円)が……」や第5章「二〇〇〇年前の哲学者と人生について語り合う」がとりわけ面白い文章になっていると思う。
2024年に出版した『問いが世界をつくりだす』は、博士論文をベースとした哲学者・メルロ=ポンティについての研究書だ。『行動の構造』や『知覚の現象学』を残したメルロ=ポンティは、哲学と心理学のはざまで思想を鍛えた哲学者だった。そんな彼が『思考のストレッチ』にも何度か登場する。
第1章ではサッカーのグラウンドに引かれた白線がもつ力について論じた者として、また第2章ではパイプやスプーン、鈴といった道具の知覚のなかに他者の痕跡を認める者として、そして第11章では、異なる映像を繫ぎ合わせたときに「新しい現実」が生まれるのだと宣言する映像理論家として。
研究書ではなく批評/エッセイを執筆しながらメルロ=ポンティと向き合ってあらためて、メルロ=ポンティのテクストが、いつのまにか僕が生きる世界のコンテクストになっていたことを実感した。
この本のもうひとつのテーマは、「コンテクスト」だ。それがこの本を批評とエッセイのどちらでもなく、その中間に位置づけていると思う。
ポケモンや『ちいかわ』、『葬送のフリーレン』といった作品について抽象的に論じつつも、それらの作品を自分にとってかけがえのないものにしている文脈(コンテクスト)を決して手放さないこと。評論を書きながら自分史を編むこと。ラッパーが地元をレペゼンするような仕方で、自分の生をレペゼンするように書くこと。しかしそれが、自分の傷やトラウマの一方的な開示にならないようにすること。そういったことを意識しながら執筆した。
自分の生をみずからレペゼンすることは、実はとても難しい。そのためには、肩書きや派閥に搦めとられるのでもなく、誰にも伝わらない言葉を叫び続けるのでもなく、かといって自分をなにか完結した事物として提示するのでもない仕方で自らの生を表象しなければならない。
全体としては自分にしか当てはまらないようなコンテクストを提示しながら、部分的には誰かの世界が重なって地続きになっているのだと示すバランス感覚が必要だ。もしそれが上手くいっていれば、面白い本になっているはずだ(そう信じている!)。そんな祈りとともに、拙著『思考のストレッチ』をみなさんのもとにお届けする。
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つづく「QuizKnockの人気企画を哲学者が分析!なぜクイズプレイヤーたちは超人的な速さで正解を導き出せるのか」では、QuizKnockの人気動画「【限界を超えろ】問題文の一部だけ聞いて全員で正解せよ!【第3回】」がなぜ面白いのかを考察しています。
【これまでの記事】
・高校生クイズ王者の哲学者が実践!一度しかない人生を最高に楽しむための「思考のストレッチ」法
・正解を知っているはずなのに、選択肢を見ると迷ってしまうのはなぜ?高校生クイズ優勝者が、10年ぶりのクイズ番組に出演して考えたこと

