森保監督(右)と北別府さん(家族提供)

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 サッカー日本代表の森保一監督(57)は現役時代から、広島カープ黄金期のエースとして通算213勝を挙げ、23年6月16日に65歳で亡くなった北別府学さんと親交が深かった。北別府さんの妻・広美さん(65)がこのほどデイリースポーツの取材に応じ、自宅によく訪れていた森保監督との交流を回想。当時から変わらない、森保監督のオフの素顔を明かした。

 北別府さんが亡くなって約10日後、森保監督が広島市内の自宅を訪ねてきた。日本代表監督として、Jリーグの視察を行っていた途中だった。仏壇の前に座り線香をあげて約3分間、手を合わせた。広美さんは「葬儀に出られなかったと言って来てくださった。随分長いこと、後ろ姿を見せていた」と振り返る。

 その後は談笑し、思い出話に花を咲かせた。「本当に怖さや緊張感を全く感じさせない方」で、当時3歳だった孫の孝祐(こうすけ)くんも「おじさん誰?」と、すぐになついた。孝祐くんがじゃれあってパンチしたりしても、森保監督はずっと柔和な笑みを浮かべていたという。

 野球とサッカー、競技は違えど「広島ホームテレビ」での番組共演をきっかけに、九州つながり(北別府さんは鹿児島生まれ。森保は長崎育ち)という縁で2人は意気投合した。北別府さんの現役晩年にはゴルフに行ったり、自宅でバーベキューパーティーを楽しんだ。そこで広美さんは忘れられない光景がある。

 「バーベキューには、いろんなスポーツ選手が来てたんですけど、森保さんはみんなとしゃべらずに黙々と焼くだけ。『写真撮るよ』って言ったらみんな集まってくるのに、森保さんは『おいで!』って言うまでは来ないんです。本当に選手のオーラを外では出さないし、偉ぶったところを見たことがない」

 そんな森保監督に北別府さんも絶大な信頼を寄せていた。普段は辛口な夫が「あんなええやつおる?褒める点しかない」と評したことは驚きだった。森保監督がJリーグ広島の監督時代には、市内のホテルの扉越しに北別府さんを見つけると「ペイさん!」とわざわざあいさつに来たという。立場が変わっても、謙虚さは変わらなかった。

 森保監督が指揮を執った22年のW杯、北別府さんは画面を食い入るように見ていた。「うれしさを隠せない感じで見てましたね。普段は野球でもそんなに白熱しない人なのに」。大谷翔平がどれだけすごい活躍をしても、評論家として冷静に見てしまう夫が「初めて熱狂した姿」だった。

 北別府さんが闘病生活を送っていた23年1月には、森保監督から「体調が回復されることを心から願っています!」としたためられたサイン色紙が届いた。5カ月後に息を引き取ったが、親友の2度目のW杯を心待ちにしていたという。病床では「2期目で疲労困憊(こんぱい)になっていないか、と主人が心配していた。2度目のW杯も楽しんでもらえたらと思っていると思います」。天国からのエールは届いているはずだ。

 ◇北別府学(きたべっぷ・まなぶ)1957年7月12日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。都城農から75年度ドラフト1位で広島入団。79年に17勝を挙げ、チームは初の日本一。82年には開幕11連勝を含む初の20勝で最多勝と沢村賞。86年は最多勝、最優秀防御率、最優秀選手でリーグ優勝に貢献し、2回目の沢村賞も受賞した。92年には球団初の200勝を達成。通算213勝141敗。94年の現役引退後は01〜04年に広島1軍投手コーチを務めた。12年野球殿堂入り。23年6月16日、白血病により65歳で死去。