【鎌倉殿の13人】ハニートラップ失敗!渡邉梨香子が演じる常(つね)、史実のモデルは誰?

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「亀の前事件」の影響で伊豆に引っ込んでしまった北条時政(演:坂東彌十郎)にとって代わろうと野心を燃やす比企能員(演:佐藤二朗)と妻の道(演:堀内敬子)。

能員「(源氏一門に)送り込むか……娘たちを」
道「食い込むのです。ぐいぐいと(能員のほっぺたを指先でぐいぐい)」

さっそく一族縁者の中から妙齢の娘二人を選び出して源範頼(演:迫田孝也)と源義経(演:菅田将暉)にそれぞれあてがおうとしますが、範頼はその手に乗ってくれません。

しかし、女性に対して免疫が少なかったのか、義経は里(演:三浦透子)に心惹かれて術中に。後に義経は彼女を正室に迎え、生涯を添い遂げることになります。

伝承では郷御前(さとごぜん)と呼ばれるため、それで役名も里としたのでしょう。

どうやらご縁がなかった模様。常はその後どうなるのか(イメージ)

一方、あぶれてしまった常(演:渡邉梨香子)。ちょっとかわいそうですが、彼女に史実のモデルはいるのでしょうか。

史実では下河辺政義に嫁いだ?

常が里(郷御前)と姉妹であると仮定すれば、常に相当する女性は下河辺政義(しもこうべ まさよし)の妻である可能性が高いでしょう。以下、そういう前提で話を進めます。

父親は武蔵国の御家人・河越重頼(かわごえ しげより)、母親は河越尼(かわごえのあま。実名不詳)。彼女は比企尼(演:草笛光子)の次女なので、劇中で紹介される通り「比企尼の孫」ですね。

劇中の比企夫妻は「比企尼の身内」と言えば打ち解けてくれると思ったのでしょうが、一度もお世話になっていないであろう範頼&義経にはピンと来ない様子。

下河辺政義はかつて平将門(たいらの まさかど)を討伐した藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)の子孫で、小山朝政(演:中村敦)とは従兄弟の関係です。

奮闘する兄の下河辺行平。菊池容斎『前賢故実』より

治承4年(1180年)5月に京都で以仁王(演:木村昴)が挙兵した際、京都にいた父の下河辺行義(ゆきよし)と兄の下河辺行平(ゆきひら)が、伊豆に流されていた源頼朝(演:大泉洋)にその情報をいち早く伝えます。

そして8月に頼朝が挙兵するとこれに呼応、兵備を整えて11月の佐竹討伐に従軍しました。

寿永2年(1183年)2月には下野国で頼朝と対立していた志田義広(しだ よしひろ。叔父)を小山一族と共同で撃破(野木宮合戦)。後に残党の足利俊綱(あしかが としつな)が討たれた時は、面識があったため首実検に呼ばれています。

その後は兄の行平と共に頼朝の近臣として奉公し、元暦元年(1184年)に常陸国(現:茨城県)南部を所領として与えられました。

元暦2年(1185年)には平家討伐のため源範頼に従い、豊後国(現:大分県)まで遠征。みんなで力を合わせ、ついに平家を滅ぼします。

これで頼朝の大願成就、めでたしめでたし……と思っていたら、同年11月。源義経が頼朝に対して謀叛を起こすと、義経の舅であった河越重頼が改易(所領没収)の上で誅殺されてしまいました。

重頼は政義の舅でもあるため、政義本人は何もしていないのに、連帯責任で改易されてしまいます。

まったく理不尽極まりない……さぞや落胆したことでしょうが、それから2年後の文治3年(1187年)に頼朝の使者として活動再開。御家人に復帰できたようです。

一方で義経は文治5年(1189年)に平泉で郷御前と共に自害。姉妹の死に“常”は何を思ったでしょうか。

一ノ谷の合戦では愛馬を担いで崖を下りるなど、怪力で知られた重忠。葛飾北斎筆

ともあれ御家人の列に復帰した政義は、文治6年(1190年)に頼朝の上洛へ随行。建久3年(1192年)には寺院の御堂を建立する際、畠山重忠(演:中川大志)らと共に巨大な梁棟(りょうとう。建物の梁)を曳いて怪力ぶりを見せつけています。

幕下渡御新造御堂之地。畠山次郎。佐貫四郎大夫。城四郎。工藤小次郎。下河邊四郎等引梁棟。其力已如力士數十人可盡筋力事等。各一時成功。觀者驚目。幕下感給。

※『吾妻鏡』建久3年(1192年)6月13日条

以降、政義は『吾妻鏡』からフェイドアウトしていきます。妻との間には野本時員(のもと ときかず)、益田行幹(ますだ ゆきもと)を授かり、それぞれ家を興して子孫は栄えていくのでした。

終わりに

以上“常”が嫁いだであろう下河辺政義について、その生涯をたどってきました。

彼女本人については、実名を含めて記録が残っていないため、特にこれといったトラブルもなく政義に添い遂げたと見て問題ないでしょう。

(常という名前は、恐らく義経の「つね」程度の理由で命名されたのではないかと推測しています)

しかし、もしも“常”が(大河ドラマの創作であろうとは言え)範頼に嫁いでいたら、彼女はどんな運命をたどっていたのでしょうか。

もし範頼と結婚していたら……太寧寺蔵 源範頼肖像

範頼は頼朝に忠義を尽くしたものの、つまらぬ言いがかりで伊豆修善寺へ幽閉され、建久4年(1193年)8月17日に暗殺されてしまいます(諸説あり)。

劇中においても、別に範頼に好意を持った訳ではなさそうなので「嫁がなくてよかったですね」と思うばかりです。

恐らく下河辺政義が大河ドラマに登場することはないでしょうが、さすがに出番がこれっきりということもないでしょう。

渡邉梨香子さんが演じる“常”が今後どういう場面にどういう立場で登場するのか、これからも注目したいですね!

※参考文献:

埼玉県立歴史資料館 編『中世武蔵人物列伝』さきたま出版会、2006年3月佐藤和彦ら編『吾妻鏡事典』東京堂出版、2007年8月