静岡学園の全選手が巻いたテーピング。そこに込められた意味――主将も離脱。幼い頃から共に戦ってきたCBが提案をした【インハイ初優勝の舞台裏】
静岡学園がインターハイ(全国高校総体)を初制覇した。静岡勢の優勝は、1996年に当時2年生の小野伸二を擁した清水商(現・清水桜が丘)が果たして以来、実に30年ぶりだ。
サッカー王国に久々の栄冠をもたらした静岡学園の今大会を振り返ると、決して平坦な道ではなかった。大会直前にエースでトップ下を務める10番のMF松永悠輝(3年)が負傷し、ボランチで頭角を現していたMF杉ノ原芽生(2年)も怪我で離脱。さらには「流れを変えられる」と川口修監督が期待していたFW杉山泰斗(2年)も戦列を離れ、大会に登録できる28人中3人が起用できない状況で大会を迎えた。
それでも一戦一戦をタフに戦い、決勝に進出。4試合を戦ったチームはさらに怪我人が増え、左ウイングバックのポジションで高精度のクロスを連発していたMF小田切颯佑(3年)も大津との準決勝で負傷。決勝には出場できなくなった。「満身創痍だよね」と川口監督も苦笑いするほど。想定外の状況で8月1日の決勝を迎えた。
破竹の勢いで勝ち上がってきた近大附に対し、静岡学園は幸先よく19分にMF泉新(3年)のゴールで先制点を奪う。その後、30分にロングスローの流れから近大附のDF藤川澄生(キャプテン/3年)にゴールを奪われたが、粘り強く攻撃を繰り出して、後半アディショナルタイムに決勝点をもぎ取る。途中出場のMF加藤煌清(3年)の右CKから、FW沢井翼(3年)が単騎でネットを揺らし、ラストプレーで優勝を決めた。
試合後、歓喜に沸いた静岡学園イレブン。川口監督を胴上げし、決勝だけスタンドで観戦していた松永も一緒に記念撮影に入った。
色んなことが起こった今夏のインターハイ。危機を乗り越えての優勝とあって、喜びは格別だ。選手たちは笑顔を見せるなかで、誰よりも特別な想いを抱えていた選手がいる。3バックの一角で奮戦したDF保延昭良(3年)だ。
主将の足立とは小学校2年生の頃に川崎フロンターレのスクールで出会ってから、親交を深めてきた。10番の松永も中学時代から顔見知り。同じ神奈川出身の仲間と奇遇にも、高校でチームメイトになったのは運命だろう。
そうした縁で高校に入ってからも仲が良く、特に最も付き合いが長い足立とはプライベートも含めて多くの時間を過ごしてきた。
そんなキャプテンが大事なインターハイの初戦で負傷。アクシデントが起こった瞬間、保延に動揺が走った。
「大分戦の前半は結構泣きそうだった。試合中だし、せっかくこの舞台に立てたからという気持ちでなんとか切り替えられたけど...」
チーム全員の心がざわつく出来事で、誰よりも保延は気持ちを揺さぶられた。だからこそ、「彼の分まで戦う。その気持ちは僕が一番強かった」。
足立は試合後に病院に直行。翌日には慌ただしく宿舎を出たため、直接話す機会はなかった。そのため、保延は3回戦以降、試合前後にキャプテンとメッセージのやり取りをし、「頑張って」という言葉に勇気をもらいながらピッチに立ってきた。
負傷後、足立は監督との電話で号泣していたというが、仲間とのやり取りでそうした様子を一切見せなかった。SNSでも明るく励まし、弱っている姿を微塵も感じさせない振る舞いでチームを鼓舞。「笑顔のスタンプとか写真を送ってきたので本当に強い」(保延)。そんな姿を見たら、選手たちはやらないわけにはいかない。劣勢になったり、ミスが続けば、ピッチ内では「足立が見ているぞ!」という声が飛んだという。
足立の想いも含め、怪我人続出のチームが一つにまとまるために保延は仲間たちにある提案をする。鹿島学園との3回戦から全選手が手首にテーピングをし、怪我で離脱した3年生の想いを刻むために、足立の7番と松永の10番を書いて試合に臨もうということだった。
不運にも準決勝で小田桐が負傷。決勝は6番の文字もそこに加わった。仲間の怪我がチームを団結させたのは間違いない。
足立に優勝を届けた試合後、保延の表情は安堵感に溢れていた。だが、これで終わりではない。夏冬連覇という次の目標に向かって、静岡学園は王者として走り出す。キャプテンと共に戦った“最後の夏”で得た確かな自信と最高の結果を胸に、新たなスタートを切る。
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
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