今年も祭典の日が(日本野球機構の公式HPより)

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 今年もオールスターゲームの時期になりました。スター選手が勢ぞろいする「球宴」でどのようなドラマが生まれるか……ファンにはたまらない2試合です。でも、オールスターって、昔は3試合やっていなかった? などなど、オールスターにまつわる雑学を、東海ラジオで35年間、プロ野球実況をつとめた村上和宏さんが解説します。

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交通事情が大変だった時代

 7月28日(火=東京ドーム)、29日(水=富山市民球場)の2日間、NPBオールスターゲームが行われます。

 かつては「オールスター休み」という言葉があったように、開催中は一週間近くリーグ戦が中断されていました。現在は試合の前後1日ずつ、ということはオールスターに出場しない選手には、試合のない日は4日間しかありません。このような日程になった理由は何でしょうか?

 オールスターゲームは、プロ野球がセ・リーグとパ・リーグに分裂して2リーグ制になった1951年から行われています。初年度は7月4日に甲子園球場、7日、8日に後楽園球場の3試合、翌52年は7月3日に西宮球場、5日に後楽園球場の2試合、53年は7月1日に後楽園球場、6日に甲子園球場、8日に中日球場の3試合と、日程が飛び飛びでした。

今年も祭典の日が(日本野球機構の公式HPより)

 これは当時の交通事情が大きく影響しています。東海道新幹線が開業したのは1回目の東京オリンピックが開催された1964年。それまではいわゆる在来線しかありませんでした。その当時、一番人気のあったのが「特急つばめ」です。1960年、機関車が客車をけん引するそれまでの運用から、初の特急専用電車を導入し、「所要時間を1時間も大幅に短縮した」というのがウリでしたが、それでも東京〜大阪間は6時間半を要しました。

 当時の国鉄は、1961(昭和36)年10月「サンロクトオ(36年10月の意)」と呼ばれる白紙ダイヤ改正(これまでのダイヤに一部手を加えるのではなく、0からダイヤを組むこと)を実施し、昼夜にかかわらず、特急や急行などの優等列車を大増発して輸送力とスピードアップを図りました。それでも在来線を走る列車は、新幹線とは比較にならない時間を要しました。

 このような交通事情です。オールスター初年度の1951年を例にとると、7月4日に甲子園で試合を行い、東京に移動して翌5日に後楽園で試合するのは無理があります。特に51年は、東京〜大阪間は特急でも8時間を要していたからです。

 戦後、GHQにより全面禁止されていた民間航空会社も、1951年にやっと規制が解除されたばかりで国内の路線は限られ、現在のような国内移動は夢のまた夢という時代です(機会があれば改めて、交通事情とプロ野球の関係について触れたいと思います)。

 さて、このような移動の負担を考え、1956年は後楽園球場で2試合、翌57年は中日球場で2試合、59年は西宮球場と大阪球場で2試合など、同一球場、あるいは近隣の地域で移動の必要がない球場での開催で連戦を実現していました。

 また、オールスターゲームが3試合制となった1963年は、まだ新幹線が開業していなかったことから後楽園球場、前年にオープンした東京スタジアム、そして神宮球場での東京3連戦でしたが、新幹線開業後、初の開催となった65年は後楽園球場、西宮球場、平和台球場での開催となり、各地のファンを喜ばせたのです(大阪から福岡への移動は寝台特急)。

 この3試合制は1988年まで続きましたが、選手会側から「負担が大きい」という声が強かったこともあり、89年から原則2試合制となりました。しかし、オリンピックで野球が正式競技になり、オリンピックに関する経費や協賛金ねん出のため、オリンピック開催年の92年と96年は3試合制が復活し、第3戦は地方球場での開催になりました。

 その後、NPBの収益強化のためや、2011〜13年は東日本大震災復興支援を目的に3試合となった年もありますが、2014年以降は2試合制で行われています。

日程との兼ね合い

 試合数が減れば、移動も含めた日数も短くなります。オールスター休みが短くなった一因ですが、私はもう一つの大きな原因があると思います。

 それは交流戦です。

 NPBの交流戦は、MLBのインターリーグゲームと違い、集中して試合を行い、スポンサーをつけて交流戦での順位を付け、優勝チームには賞金が渡されます。

 このため、期間を区切って交流戦のみを行い、順位確定のため交流戦で雨天中止になったカードは「交流戦予備日」で完全に消化する仕組みになっています。今年がまさにそうでしたが、梅雨時期と重なるため、中止になる試合がでます。そのため、予備日は交流戦終了の翌月曜日から木曜日まで、4日間設定されています。

 交流戦が始まるまではシーズン中に試合がない日が続くのはオールスター休みだけでしたが、今は交流戦予備日とオールスター休みの2回になりました。

 長年続いた130試合制が崩れた1997年以降は徐々に試合数が増え、多少の増減を経て現在は143試合制となっています。両リーグとも、日にちが決まっているクライマックスシリーズを経て日本シリーズという流れの中で、クライマックスシリーズ開始までに全日程を終了するためにはシーズン中に「試合がない日」が多くなると、雨天中止代替試合などもあわせ、シーズン終盤に日程がタイトになるという問題が生じます。

 ある程度の雨天中止を見込んで、予定通り日本シリーズまでの日程を消化するために、かつての4月初め開幕が3月末に一週間前倒しされているのも終盤に日程がタイトにならないための対応です。

 そのため、2試合のゲームと前後、計4日のオールスター休みになったのでしょう。

 シーズンが進めば進むほど、体のどこにも問題(けがや不調)を抱えないでプレーしている選手はいないと言われます。

 痛みを抱えた選手にとっては、オールスター休みはシーズン中にチームに迷惑をかけることなく体を休めることができる、よい期間です。しかしその期間は以前に比べ、かなり短くなっています。日程との兼ね合いは仕方ないにしても、このシーズン中の、貴重な休みが短くなったことで十分な休息をとることができないとなると、その後のプレーに影響が出ないか心配です。

 また、プレーとは関係ありませんが、常にチームとともに行動するスタッフや裏方さんにとって、オールスター休みはつかの間の休息でした。特にお子さんがいる人にとって、夏休みに入って、ちょっとした旅行に連れていける唯一のチャンスでした。今の若いスタッフたちは、きちんと家族サービスができているのか心配になります。

 ちなみに、我々スポーツアナウンサーのオールスター休みはというと……放送時に使いやすいよう、自分で工夫して作るチームや各選手のデータ作成をやらなくて済む、ありがたい期間でした。

 交流戦が始まってからは、12チームのデータを毎日つけていますが、私の場合だとトータル2時間かかります。休みの日でもやっておかないと、やらなかった翌日に4時間かかってしまうため、シーズン中は休みでも2時間は資料作りをするという生活でした。

 ほんの数日とはいえ、データ作成から解放されるオールスター休みは、本当の意味で休める貴重な時間だったのです。

高木守道監督の差し入れ

 オールスター休みが一週間近くあった時代に、印象的な思い出があります。

 中日ドラゴンズで高木守道さんの第1次政権のこと。日中、炎天下での練習が終わろうとしている時、高木監督がマネジャーを呼んで何か指示しました。しばらくすると、氷を入れたバケツに、さまざまなメーカーの缶ビールが満載に盛られて運ばれてきました。

 高木監督は意気揚々と、こう仰いました。

「報道陣もこんな暑い中、取材して大変だろう。これは球団にお中元で送られてきたビールだ。遠慮しないでみんな飲め」

 しかし、私たちは勤務中。突然のことに戸惑う我々、報道陣でしたが、お酒には目がない私などは、思わず手を伸ばしそうになりました。その時、中日新聞運動部のキャップが「我々は勤務中です。アルコールをいただくことはできません」ときっぱり断りました。

「そうか」と、寂しそうに答えた高木さんの顔を、今でも忘れることができません。良かれと思って出したビールでしたが、断られた高木さんは「俺は下戸で飲まないから、みんなに飲んでもらおうと思ったんだけどな」と残念そうに見つめていました。

 今の若い人にとっては、これも年寄りが語る「古き良き時代」の一節なのでしょうか。

村上和宏(むらかみ・かずひろ)
フリーアナウンサー。1967年、広島県出身。専修大学法学部卒業後、91年に東海ラジオ放送入社。制作局アナウンサーとして、主にスポーツ実況を担当。2025年の退社まで、プロ野球をメインに多くの番組制作に携わった。現在、バンテリンドームナゴヤのDAZNドラゴンズ戦実況、「プロ野球ニュース」(フジテレビONE)などに出演中。

デイリー新潮編集部