任天堂「ポケモン」「マリオカート」のオープンワールド化は失敗だった…ゲーマーたちのオープンワールド疲れを加速させる「問題作の大きな欠点」

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ビデオゲームにおいて「オープンワールド」はすっかり定着した。オープンワールドとは自由に冒険できる広大な世界のことで、ゲーム機の性能が上がったいま、大作ゲームにおいては当たり前の要素といえる。

一方で、「オープンワールドに疲れた」という声も耳にするようになった。ゲーム開発者たちもゲーマーのこうした疲弊を指摘し始めている。

『シェンムー』、『グランド・セフト・オートIII』、『The Elder Scrolls V: Skyrim』、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』など数々の名作が生まれるなか、一体なにが起こっているのか?

前編記事〈ゲーム開発者たちも指摘し始めた「ゲーマーたちのオープンワールド疲れ」…名作誕生の一方で、もはや無視できない状況に〉から続く。

名作オープンワールドの共通項

さて、前編ではオープンワールドの歴史的名作を挙げた。これらの特徴を見ればわかるように、オープンワールド作品には共通項がある。つまり、オープンワールドの魅力とは実は限られたものなのだ。

まず、作り込まれた世界が重要だ。いくら広大な世界があろうともそれがハリボテだとつまらないし、人々のリアクションがなかったり適当だったりしたらガッカリしてしまう。

『The Elder Scrolls V: Skyrim』のように世界の住人になりきるような作品だと、その世界がウソくさくてはかなわない。ゆえにこのゲームには、作中の世界設定を示す書籍が大量にあり、それを読むのが楽しいのだ。

そして、オープンワールドは広さ以上に密度が重要となる。いくら広大な世界が広がっていようとも、中身がスカスカであれば探索するだけ無駄なのは言うまでもないだろう。

進行順序がどれだけ自由かも重要である。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』はいきなりラスボスに挑めて、しかもうまければ勝ててしまうのだ。こういう遊び方を許すからこそ自由だと感じられるし、魅力的になるといえよう。

ただ、前述のように宣伝文句としてオープンワールドという言葉が使われるようになると問題が生まれてくる。その問題とは、「オープンワールドだがオープンワールドの文法を守らないゲームの登場」である。

ポケモンの話題作は広大すぎて

問題のあるオープンワールドものとして筆者が特に注目しているのが『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』である。

この作品は世界的な大ヒットを記録しているが、それでも筆者はオープンワールドものとしてまったく評価できないことを明確に記しておく。

まず、本作は広い世界が用意されているものの、ランドマークとなるものがほとんどなく、フィールドもやたらと野生のポケモンが住んでいるだけである。まるでポケモンだらけの地域に人間が閉じ込められているかのような感覚を覚える。さながら広大な監獄だ。

また、フィールドのあちこちに脈絡もなく道具が落ちており、勝負をしかけてくるポケモントレーナーも棒立ちで誰かを待ち構えている。世界がきちんと描かれておらず、かつコンテンツ密度も低いのである。

そして、進行の自由もほぼなく実質的な一本道であった。つまり、前述のオープンワールドの特徴がまったくない。ゆえに『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』は、オープンワールドという言葉を宣伝に使いたかっただけではないか?と疑いたくなる。

オープンワールド作品の失敗例としてはNintendo Switch 2の『マリオカート ワールド』も挙げられる。

この作品にも広大な世界を自由に走れる要素があるものの、コンテンツの数が極めて少なく、走るに値しない。オンライン対戦がはじまるまでの暇つぶしに過ぎなかった。オープンワールド部分がメインではないのが幸いである。

結局、「なぜオープンワールドを用意するのか」が重要なのだ。ポケモンは極めてカジュアルなゲームなので一本道の強制力が必要だし、『マリオカート ワールド』はパーティーレースゲームなのでオープンワールドである必要がない。どちらもオープンワールドに向いていないのである。

このように、オープンワールド、あるいはオープンワールド的でありながらもその資質がないゲームを遊ぶと「オープンワールド疲れ」が加速するのではないか。意味のない広大な世界を歩き回れば、疲れるのは当然だろう。

オープンワールドの魔法が解けるとき

オープンワールドはかつてのトレンドであり、宣伝文句として”すごいゲーム”であることを伝える魔法の言葉となっていたのかもしれない。

広大で濃密、かつ自由なゲームというのは、いまでもAAAタイトル(ビッグタイトル)が目指す理想の作品だ。これ自体が素晴らしいのは間違いない。ユーザーもそれを待ち望んでいる。

ただし、オープンワールドが当たり前となってある程度が経ち、これが必ずしも素晴らしいものであるとは限らないとユーザーもわかるようになってきた。当たり前だが、オープンワールドは銀の弾丸ではない。

また、ゲーム機が進歩するうえでゲームの開発費がどんどん高騰している。オープンワールドもののような広大で緻密なゲームを作るコストもまた上がり続けており、実現はどんどん難しく、時間がかかるようになるだろう。

そうなれば当然、オープンワールドとは真逆の手短に濃密に楽しめるゲームも登場する。世界中で高く評価されている『アストロボット』や『バイオハザード レクイエム』は良い例だろう。

何より、昨今は可処分時間の奪い合いもより激しくなり、YouTubeはショート動画すら倍速再生を解禁する時代だ。オープンワールドに疲れ、すでに短いゲームに注目が集まる状況になっているといえる。

ただ、それでもオープンワールドものは決してなくならないだろうし、ゲーム業界の花形であることは間違いない。2026年には『グランド・セフト・オートVI』が発売予定で、本当に出るのであれば世界中が大きく盛り上がるはずだ。

広大で緻密なオープンワールドは魅力的だ。たとえそれに疲れてしまったとしても、小さく美しいゲームが時間に追われる現代人を引き続き楽しませてくれるだろう。

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