新幹線というものは、実に残酷な乗り物だ。

【画像】東北新幹線「はやぶさ」の“ナゾの通過駅”「白石蔵王」を写真で一気に見る

 もちろん、新幹線のおかげで遠く離れた町から町へとあっという間に移動することができるのだから、とてつもなく便利だし、あらゆる面で欠くことのできない交通手段であることは間違いない。

 だが、その裏側ではすっかり存在感をなくしてしまった町がいくつもあるのだ。

東北新幹線「はやぶさ」が通過する町

 例えば、東北新幹線の「はやぶさ」。大宮駅を出ると、その次は仙台駅まで停まらない。途中には宇都宮や郡山、福島といった名だたる都市があるのに、それらには見向きもせずに一目散に仙台を目指してしまうのだ。

 おかげで、東京と仙台はわずか1時間半の距離。けれどその反面、「はやぶさ」が通過する町の立場たるや……。県庁所在地やそれに匹敵するような都市までもが通過するのだから、それよりさらに小さな町ともなるといよいよ存在感を失ってしまう。


今回の路線図。福島と仙台の間にある“ナゾの通過駅”は……

 新幹線の駅があったとしても、それは「はやぶさ」のような看板列車が停まってこそだ。

 今回は、そんな「はやぶさ」の停まらない小さな新幹線駅のひとつを訪れた。白石蔵王駅である。

 白石蔵王駅は、東北新幹線の福島駅と仙台駅のほぼ中間、福島県から宮城県に入ってすぐの場所にある。

「はやぶさ」は通過してしまうから、この駅に降り立つためには停車駅の多い「やまびこ」に乗らねばならない。白石蔵王駅に停まる「やまびこ」は、1時間に1本だけだ。

全国トップクラスで乗車人員が少ない

 さらに言えば、白石蔵王駅はJRの在来線も他の私鉄も乗り入れていない新幹線単独の駅だ。

 さすがに秘境駅というのは言い過ぎにしても、なかなか到達の難しい駅のひとつといっていいだろう。

 その証拠に、というべきかお客の数も1日平均乗車人員で1000人に遠く及ばない。全国の数ある新幹線駅の中でも、トップクラスの少なさだ。

屋根に覆われた立派な駅舎

 しかしそれでも新幹線の駅である。通過列車が颯爽と駆け抜ける線路を間に挟み、上下線それぞれのホームが向かい合う相対式の高架駅。ホームはなかなか広く、すべてが屋根に覆われた立派な駅だ。

 といっても、降り立つお客は少なく、ホームの上には売店があるわけでもないから、妙に寒々しい。新幹線秘境駅ここにあり、といったところだろうか。

 階段を降りて改札を抜けると、高架下には白石市や駅名にもなっている蔵王連峰などの観光案内スペースがあった。

 ただ、かつてはあったという飲食店、またみどりの窓口もなく、規模としては最小限。このあたりからも、白石蔵王駅のなんともいえない位置づけが窺える。

広大な駅前広場はあるけれど…

 もちろん、駅の西口にはバス乗り場やタクシープールを備えた広大な駅前広場があって、町のターミナルらしい顔を持つ。

 とはいえ、そこに人が集まっているわけでもないし、周りにはホテルがひとつとレンタカー屋があるくらいで、飲食店の類いもほぼ見当たらない。

 さらに駅の東側に至っては、ほんの小さなポケットパークのような一角があるだけで、あとは駅のすぐ目の前から区画整理された住宅地が広がっているだけだ。

 さすがに田んぼの中の新幹線駅、などということはないけれど、かといって何があるかと問われたら答えに窮す。

 駅名になっている蔵王連峰とて、いちおうはこの駅が玄関口なのだろうが、その場所は遥か北。そもそも、蔵王観光の玄関口はどちらかというと山形県側という印象が強い。

新幹線駅がある理由が見出せない

 そんなわけで、せっかく東京から約2時間、「やまびこ」に乗って白石蔵王駅にやってきたけれど、なかなかこの駅の存在について明確な答えを見出せない。

 駅前広場のある駅の西口。そのすぐ西側には、斎川という川が流れている。それを渡る橋の袂には、もはやとうに営業を終えたと思しきレンタルビデオ店の建物があった。

 新幹線の駅ができて、駅周辺が商業エリアとして発展する……。そんな夢の跡、なのかどうなのか。

この駅の本来の役割は?

 斎川を渡ったさらに西側も、変わらずに住宅地が続く。1982年に開業した当時の白石蔵王駅には、いったいどんな期待が込められていたのか。

 もしかすると、ただ単に福島と仙台の真ん中にひとつ駅があった方がいい、といった程度のものだったのか。

 ただ、斎川西側の住宅地の中をしばらく歩いてゆくと、この駅の本来の役割が少しずつ見えてくる。

 白石蔵王駅の西、斎川のさらにもうひとつ西には、在来線のJR東北本線が南北に通っている。そして、この線路を渡った先には白石市の中心市街地が広がっているのだ。

白石城が鎮座していた“城山”

 市街地までは白石蔵王駅からは歩いて15分ほどだろうか。古い居酒屋やスナック、また昔ながらの商店などがポツンポツンと並ぶ、いわゆる昭和の商店街。

 とりわけ、本町大通商店街という道筋が、白石の町のメインストリートなのだろう。さすがに令和のいま、地方都市の商店街が賑わっているということはない。

 それでも、きっと昭和の昔にはたいそう活気があったのだろうとは充分に想像できる、そんな道筋だ。

 この商店街を北に辿ってゆくと、中町という名の交差点に出る。交差点の北側には歩道に庇のある商店街がさらに続き、また交差点から東を見れば在来線のJR白石駅。

 反対に西を見れば、小高い山だ。山の上にはかつてこの町の中枢を担った白石城が鎮座していた。いわゆる“城山”である。

城下町としての白石には何があった?

 白石蔵王駅は、それ単体では取り立てて何があるわけでもない小さな新幹線駅だ。

 が、本質的には白石城を中心にした城下町をルーツに持つ古い都市のターミナル。在来線の白石駅の役割を置き換えて長距離輸送を担うのが、白石蔵王駅なのである。

 では、そんな城下町都市・白石とはどんな町なのか。

 歴史を遡ると、戦国時代にはこの一帯、伊達氏が治めていたという。その後、蒲生氏や上杉氏が短期間治めるが、江戸時代には一貫して伊達氏仙台藩の領地の一部だった。

 当時は一国一城令があって、本来ならばひとつの藩にひとつのお城しか認められていない。ところが何にでも例外はあるもので、白石もそのひとつ。

 特別に城を置くことが許されて、重臣の片倉氏が入っている。藩境に近く、最前線の守りの要だったのだろうか。

 ちなみに、この片倉さん、大坂の陣の折にちょっとした逸話を残している。大坂の陣の後、かの真田幸村(信繁)の娘を片倉重長が後妻として迎え、さらに幸村の次男も保護したというのだ。

 秘かに幸村から頼まれたとか、乱取りの末に東北の地まで連れてきたとか、その経緯には諸説あるらしい。が、いずれにしても幸村の血はその後も仙台藩の一藩士として繋がってゆく。

 そういえば白石蔵王駅の駅舎には、真田の家紋として有名な六文銭があしらわれていた。いったい何の縁があるのかと思ったが、そこにはこんな物語があったのだ。

城下町が育んだご当地グルメ

 そしてもうひとつ、白石の市街地を歩いていると時折目に留まるのが、製麺所。白石には、「温麺(うーめん)」というご当地グルメがあるらしい。

 なんでもこの温麺も、はじまりは江戸時代。城下町に暮らしていた鈴木味右衛門という青年が、病で食が細くなっていた父を案じて油を使わずお腹に優しい麺を作ったのがルーツなのだとか。

 材料は小麦と塩と水。素麺とそっくりだが、油を使っていないことが大きな違いだ(素麺より短く、また太いのも特徴)。江戸時代から数百年の時を超え、いまでも知る人ぞ知る白石の名物になっている。

 現在の白石市の人口は、3万人弱だ。地方都市の中でも小さな町といっていい。ただ、古くは一国一城の時代にありながら城下町として栄え、独自の食文化も生まれた。明治に入っても、仙台とはまた別の宮城県南部の経済の中心として発展していった。

 1887年には現在の東北本線白石駅も開業している。当時物流の中心を担っていた阿武隈川沿いではなく、奥州街道沿いの城下町・白石を鉄道が選んだ。それも大きなプラスになって、県南の中心としての存在感を高めていったのである。

 そして、それが新幹線駅にも繋がったのだろう。新幹線建設時、より東側の阿武隈高地をトンネルでまっすぐ抜けるルート案もあったが、最終的には白石経由のルートが採用されている。

 難工事が予想されるというのがその理由だったというが、少しばかりは白石という小さくも確かな歴史を刻んできた城下町への配慮があったと思っても許されるだろう。

 白石蔵王駅という新幹線駅は、古き城下町が着実に歩んできたことが結実した、そんな存在なのである。

撮影=鼠入昌史

(鼠入 昌史)