鬼塚友章氏

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「事件がなければ彼は今ごろ、順当に出世していたでしょう」

 安倍晋三元首相が銃撃されてもうすぐ4年になる。総理経験者が殺害されるという戦後唯一の大事件を防げなかった責任を取って辞職したのが、当時、奈良県警本部長だった鬼塚友章氏(54)だ。その後、再就職先の不動産会社で社長を務めたが、すでにひっそりと退いていた。いったい何があったのか。

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 鬼塚氏がキャリア警察官僚の職から身を退いたのは、2022年7月8日に発生した銃撃事件の翌月だった。安倍元首相の四十九日にあたる8月25日、会見で辞職を決めた経緯についてこう語った。

「衝撃と責任の重さに押しつぶされそうになる毎日だった。迷いがなかったわけではないが、事態の重大さに鑑みて、職を辞して責任を取るべきだと判断するに至りました」

鬼塚友章氏

 事件現場となったのは、奈良県奈良市の近鉄大和西大寺駅の北口付近。要人警護を担った奈良県警のトップとして、引責辞任を余儀なくされた格好だ。

 鬼塚氏は九州大学法学部を卒業後、1995年に警察庁に入庁した。警備公安畑を歩んだ後、当時の国家安全保障局長だった北村滋氏に見いだされ、同局参事官を務めた。その後、奈良県警本部長となったが、就任して3カ月余りで事件が起きてしまう。

「もし、事件がなければ彼は今ごろ、順当に出世していたでしょう。管区警察局長ぐらいにはなっていたと思います。そして、無事定年まで勤め上げたら、後は数多くの一流企業で顧問に就くなどして、濡れ手で粟の高額収入を得られる余生が待っていた。しかし、警察史上異例の形で辞職したことで、なかなか次の職場が決まらなかったそうです」(社会部記者)

「体調が悪化した一因には、深刻な誹謗中傷問題が……」

 再就職したのは22年12月。64年前に大阪市で創業した不動産会社「HESTA大倉」に入社し、会長室室長を任された。24年6月には社長となり、その3カ月後に代表取締役にも就任した。

 HESTA大倉は従業員数が約1200名。不動産事業やリゾートホテルの運営などを手がけてきた。近年は太陽光パネルも販売する。関西地区では毎年夏、甲子園での高校野球が放送される合間に同社のテレビCMが流れることで有名だ。鬼塚氏は社長として一昨年、ヤクルト、巨人などで活躍した元プロ野球選手で、当時は専務だった広澤克実氏(64)と共にCMに出演した。ところが商業登記簿によれば今年3月、代表取締役の座を退いている。

「昨年末に鬼塚さんは体調を崩して“少し休みましょう”となったんです」

 とは、後任として同社の代表取締役社長を務める広澤氏だ。

「山上徹也被告の裁判が始まって以降、鬼塚さんへの誹謗中傷がひどくなったそうで、本人はそのことで悩んでいました。陰謀論者から“山上氏は銃撃事件の犯人ではない。にもかかわらず、なぜ逮捕したんだ”などといわれのない非難を受けていたといいます。中には鬼塚さんの自宅に押しかけてきた人物もいたとか。体調が悪化した一因には、深刻な誹謗中傷問題があったと思います」(同)

 重い十字架を背負うことになった鬼塚氏の数奇な人生は、今なお続いているようだ。

 7月2日発売の「週刊新潮」では、広澤氏によるさらなる回顧を交えながら、鬼塚氏の波瀾(はらん)万丈の人生を改めて振り返る。

「週刊新潮」2026年7月9日号 掲載