ドコモ苦渋のiPhone導入、第3のOS「タイゼン」断念…「土俵を完全に変えられた後で遅すぎた」
[検証デジタル ニッポンの苦境]スマホOS編<3>
「独り負け」
第3のスマートフォン基本ソフト(OS)「タイゼン」がスペインで華々しく披露された2013年、NTTドコモでは「国内問題」が深刻化していた。
米アップルの大人気スマホ、iPhone(アイフォーン)。08年にソフトバンクモバイル(当時)が国内で独占販売し、11年にKDDIが追随する形で売り出した。携帯大手3社で唯一販売していなかったドコモは、他社への契約者流出が止まらなくなっていた。
「ドコモ独り負け」――。メディアが苦境ぶりを報じる中、経営陣は焦りを深めていた。
実はドコモはソフトバンクと同時期の07年から、長期にわたってアップル側とiPhone導入に向け交渉を重ねていた。だが条件面で折り合えず、合意に至らなかった。関係者によると、アップルがドコモに求める販売台数が過大だったことが主因だ。
アップルはドコモの全端末販売台数のうち、iPhoneが「メジャーな量」を占めることを強く要求。当時、ドコモが販売する端末は日本メーカーの携帯電話が大半を占めており、iPhoneの販売契約を結べば日本メーカーの携帯販売を減らさざるを得ない。メーカーと二人三脚で携帯産業を成長させてきたドコモにはとれない選択肢だった。
交渉でアップルは強気の態度を崩さなかった。求める販売台数は交渉の度につり上がり、ドコモ側は首を横に振り続けた。
「タイゼン」頓挫
一方、他社への顧客流出が止まらない状況に、ドコモ経営陣の我慢も限界に来ていた。12年後半から13年にかけ、「番号持ち運び制度」による契約の転出超過は多い時で月20万件に達し、その分がライバルのKDDIやソフトバンクに流れた。iPhone導入の本格検討を迫られる状況で、タイゼン搭載スマホを発売するという話が重なった。
タイゼン推進組織の議長を務めたドコモ取締役の永田清人にとって、これは誤算だった。
ドコモが販売できる端末の数は限られている。当時の販売台数は2000万台強で、日本メーカーの携帯電話、アンドロイド搭載スマホが中心だった。永田はそこにタイゼン搭載スマホを割り込ませ、「全体の2割をタイゼンにしたい」と考えていたが、大量のiPhoneを売るとなればタイゼンを売る余裕はなくなってしまう。iPhoneを導入すれば、タイゼンの発売が難しくなるのは明らかだった。
何の実績もないタイゼンに賭ける余裕は、もはやドコモにはなかった。経営陣が選んだのは、iPhoneだった。
13年9月、ドコモはiPhoneの販売を開始。東京・丸の内のドコモショップの前には初日に約300人が行列を作った。来店客を出迎えた社長の加藤薫は「本当に長い間お待たせしました。私も興奮しています」と頭を下げた。
「iPhone導入は副作用が大きすぎる」として導入に反対していた永田はこの年の6月、関西支社長に転じていた。
タイゼン計画はその後、漂流を始める。13年中としていた搭載スマホの発売は延期を繰り返し、メドが立たなくなった。主要市場と見込んだ日本での導入が頓挫し、参加企業の期待感も急速にしぼんでいった。
ドコモは15年、タイゼン推進組織の理事会から離脱する。他の主要企業も次々と去っていった。スペインで試作機を披露してから、まだ2年しかたっていなかった。
「タイゼンを出そうとしたのはアップル、グーグルに携帯ビジネスの土俵を完全に変えられた後。遅すぎた」。NTT関係者は「中止は当然の判断だった」と振り返る。
ドコモを屈服させたことでアップルの力はさらに強大になり、日本の携帯大手は「アップルの代理店」とやゆされるようになる。プラットフォームを完全に奪われた日本勢。その余波はアプリ業界にも広がっていく。(敬称略、肩書は当時)

