名門高校の4軍から「下克上」 元浦和レッズ・坪井慶介のサッカー人生|ドイツW杯DFコンビの中澤佑二も感嘆
Jリーグ・浦和レッズなどでプレーし、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で、番組MC・中澤佑二さんとディフェンスラインを担った坪井慶介さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。
高校、大学、そして浦和レッズでの成長を語った。収録は5月25日に行われた。(読売新聞ポッドキャスト 山根秀太)
4軍からスタート
坪井さんは東京都多摩市出身で、中学で岐阜県付知町(現・中津川市)に転校。
「自然豊かな良いとこですけどね。山と川しかない」
高校ではサッカーの名門・三重県の四日市中央工業高に一般受験で進学した。
「岐阜で山を駆け上がったり、色んなことをしていたので。サッカーはしていましたが、自分のレベルは全く分からなかった。何も分からずチャレンジしただけです」
高校からスカウトされたわけでもなく、四日市中央工業高が強かったからという理由だけでの挑戦だった。
「で、そこでダメなら、もうダメだと」
部員数が100人を超える強豪校。「守備は奪い取れるけど、その後のプレーが。どうやって攻撃につなげていくか。戦術的にどうやって守っていくか。3バックや4バックは、どう守ればいいのか。そういうのを全く知らなかった。その差はすごく感じました。『サッカー脳』っていうところですね」
サッカー部では4軍からスタート。「一番下です。4軍は」。そこでセンターバックとしてプレーし続けた。
定期的に行われる部内の試合で、3軍、2軍へと徐々に序列を上げ、1年生の最後には1軍に昇格したという。
福岡大学からレッズへ

「法政大学のセレクションで落ちて」
高校の監督のツテで、福岡大学の練習に参加。福岡大に「取ってもらった」という。
大学時代は4年生で参加した2001年ユニバーシアード北京大会で優勝している。
そして、2002年に浦和レッズに入団した。1年目からリーグ戦の全30試合にフルタイム、フル出場という記録を持っている。
オフト監督(当時)からは「『こいつにプレーさせるな』と、毎試合ミッションを与えられ、大変で大変で」。
目の前の試合の事だけで手いっぱいだったと言うが、結果としてこの年はフェアプレー賞と新人王(現・ベストヤングプレーヤー賞)をダブル受賞した。
プロフィル
坪井慶介(つぼい・けいすけ)福岡大を卒業後、2002年に浦和レッドダイヤモンズに入団。ルーキーイヤーからディフェンダーでチームを支え、新人王、フェアプレー賞、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞。03年に日本代表に初招集。Jリーグベストイレブン。06年W杯ドイツ大会に出場。15年以降は湘南ベルマーレ、レノファ山口でプレー。19年シーズンで現役引退。引退後はタレントとして活躍している。1979年生まれ。東京都出身。

