「生まれ変わってもまた妻に…」中村玉緒(享年86)が最期まで貫いた“勝新太郎への純情”と、晩年の「赤坂パチンコ伝説」
「とにかくパチンコとスロットが大好きで週2回ほどはTBSに近い東京・赤坂のパチンコ屋さんに通っていました。趣味が高じて自身の名前を冠する台のオファーやパチンコ屋さんでの営業のお仕事も来て、とても喜んでいましたよ」
こう語るのは、6月9日に亡くなった女優・中村玉緒(享年86)の所属事務所の元スタッフだ。

バラエティ番組でも活躍した
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明石家さんまとの共演を楽しみにしていた
中村は1939年、京都生まれ。53年に松竹映画「景子と雪江」でデビューすると、大映と専属契約し、時代劇を中心に活躍した。90年代からは『さんまのスーパーからくりTV』などのバラエティ番組に出演。天然ボケのキャラクターがウケて、お茶の間の人気者となった。
前出の元スタッフの話。
「バラエティでブレイクするきっかけは明石家さんまさんでした。『さんまのまんま』(フジテレビ系)に玉緒さんが出演した際、さんまさんが『(夫の勝新太郎は)すごいですねえ』といじったところ、『ええ〜や〜』と変な声を出した。それがウケて、さんまさんの番組によく呼ばれるようになったんです」
さんまとの共演については特別な思いを持っていたという。2人が共演した『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP』(TBS系)では、
「玉緒さんは毎回この番組の収録のために自腹で着物を新調していました。それくらいさんまさんとの共演を楽しみにしていたし、恩義にも感じていた」(同前)
「パチンコは友達」と語るほどの異常な愛情
一方、テレビ出演の合間やオフに中村が楽しんでいたのが、パチンコだった。「パチンコは友達」と語るほど異常な愛情を注いだ。
「玉緒さんは自分が打っているのと同じ機種を打っている人みんなに自分で買ったコーヒーを配って歩くんです。例えば、『海物語』を打っている人全員に『どうぞ、どうぞ』と。コーヒーをおごってもらった人は相手が中村玉緒ですから、びっくり仰天です」(同前)
無類のおしゃべり好きでもあった。
「新幹線で移動中はずっと喫煙ブースにいて、席に帰ってこない。ブースにいる一般客と喋っているうちに目的地に着いちゃうんです(笑)」(同前)
「亡くなったあともラブラブだった」
夫の勝については、「亡くなったあとも想いは変わらず、ラブラブだった」(同前)という。2013年6月に勝の十七回忌の「偲ぶ会」が行われたが、
「その会でも玉緒さんは『勝新太郎の妻でよかった』『生まれ変わっても勝の妻に』と語った」(同前)
晩年も勝の話になると饒舌になり、夫婦の思い出話をすることもあった。
「勝さんの生前、夫婦茶碗の片方が割れたことがあったそうです。玉緒さんは勝さんに『夫婦茶碗の片方が割れたらどちらも買い直しなさい』と言われたそうで、そのエピソードを懐かしそうに披露していました」(芸能関係者)
勝は12億円ともいわれる借金を遺したが、
「勝先生が亡くなった後も玉緒さんが返済しようとするとあるタニマチが『これは勝新太郎に貸した金だ』と受け取りを拒んだんです。ご夫婦の人柄あってのことでした」(前出・元スタッフ)
スタッフ思いの一面も。
「新橋の『京味』という京料理の名店(19年に閉店)で、月に1度食事をするのを楽しみにしていて、スタッフをそこで慰労してくれた。1人8万円ほどする高級店でしたが、40万円近い会計を気風良く払ってくださいました」(同前)
認知症の中村玉緒を支えたのは…
だが、徐々に認知症の症状が出るようになり、3年ほど前からは都内の介護施設に入所していた。
「認知症が進み、自宅の場所が分からなくなり、警察に保護されることもあった。施設に入所している時に玉緒さんを支えたのが若手時代に勝さんの付き人だった俳優の松平健さんでした」(前出・芸能関係者)
多くの人に慕われた中村。今は最愛の夫と再会を果たしていることだろう。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2026年6月25日号)
