「80年代はシティポップだけの時代」は、盛大な勘違い…なぜ売れた?「エイティーズ演歌」の知られざる魅力

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スージー鈴木の『Now And Then』第24回(前編)

演歌は「敵」だった少年時代

今回のテーマは1980年代の演歌=「エイティーズ演歌」である。その名の通りエイティーズ(1980年代)に大ヒットした演歌を追ってみたい。

なぜか? それは「まったく語られないからだよ、演歌が」。

付け加えれば「私もまったく語ってこなかったからだよ、演歌を」「まともに聴いてすらこなかったんだよ、『エイティーズ演歌』なんて」。

私の1980年代は、中学・高校・大学時代がほぼすっぽり入る。当時、大の音楽好き、さらにはニューミュージック好き、ロック好きだった少年として、はっきりいって演歌は「敵」だった。テレビの歌番組に演歌歌手が出てきたらチャンネルを変えたし、ラジオだったらスイッチを切った。

あと高校生、大学生へと成長して、小理屈を少々憶えたら、「演歌なんて前近代的男尊女卑風土の名残だ」と息巻いたりもした。

でも還暦を前にして思う。本当に演歌ってクソなのか、と。そして、あらためて当時のチャートを見て、思ったよりも演歌がヒットしていた、上位に君臨していたことを確かめ、焦るのだ。

1980年代はシティポップだけの時代なのか? 1980年代は完全イコール「サザン・ユーミン・達郎」なのか? 違う違う、そうじゃない! そして「いや、実は『エイティーズ演歌』の時代だった」と言いきってみたい。

というわけで今回は、1980年代各年の年間チャートで、ベストテン級に大ヒットした「エイティーズ演歌」を時系列で追っていき、いつものように音楽的な分析も踏まえながら、「ザ・演歌の時代」としての1980年代を見ていきたいと思う。

「エイティーズ演歌」を語ろう、今からでも遅くはない!

五木ひろしと八代亜紀の「五八戦争」

まずは1980年。この年に大ヒットした「エイティーズ演歌」といえば、共に前年1979年にリリースされた、五木ひろし『おまえとふたり』と、ロス・インディオス&シルヴィア『別れても好きな人』である(なお「演歌」の定義については、以下便宜的に、私の個人的判断で進める)。

まず五木ひろし『おまえとふたり』から思い浮かべるのは、八代亜紀『雨の慕情』との「五八戦争」である。「五木」と「八代」で「五八戦争」。この2曲が、この年、レコード大賞を激しく争ったのだ。

結果、受賞したのは『雨の慕情』だったが、しかし売上的には、約57万枚の『雨の慕情』を約92万枚の『おまえとふたり』が圧倒している。それどころか、五木ひろしのオールキャリア最大ヒットなのだ、『おまえとふたり』は。

そんな『おまえとふたり』をあらためて聴いてみる。

先に「エイティーズ演歌」を聴いてこなかったと書いたが、さすが彼のオールキャリア最大ヒット、一聴しただけで思い出し、全部歌えたのだから、「エイティーズ演歌」恐るべし。

『雨の慕情』との差異は、その音楽性にある。『おまえとふたり』がシンプルかつ、当時としても古臭い音階を使っているのだ。

具体的にいえば「ヨナ(47)抜き短音階」。短調の主音(キーが「Am」の『おまえとふたり』ではAの音)を「ラ」として、短音階「ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ」の4つ目と7つ目、「レ」と「ソ」のない「ラ・シ・ド・ミ・ファ」という、たった5つの音だけで、すべてのメロディが作られているのだ。

『おまえとふたり』はなぜ売れた?

この「ラ・シ・ド・ミ・ファ」、楽器の心得のある人は、ぜひ順番に弾いていただきたい。「♪ラ・シ・ド・ミ・ファ」と弾くだけで、いかにも「ザ・演歌」という感じの、昭和の酒場の哀しげなムードが立ち込めてくるのが分かるはずだ。

私が弾いてみよう。

そんな「ラ・シ・ド・ミ・ファ」を本稿では「マイナー演歌音階」と名付けたい(注:私の造語。のちに「メジャー演歌音階」も出てくる)。つまり、あえて復古的な「ザ・演歌」に徹することで、(普通の=よりモダンな音階の)『雨の慕情』よりも売れたと推測されるのだ。

逆にいえば、その復古感こそが、根本的にモダニズム志向の日本レコード大賞の審査では評価を下げたのかもしれないが。

しかし『おまえとふたり』についていえば、そんな古臭い音楽性にもかかわらず、五木ひろしの圧倒的な表現力で、一気に聴かせる。そして演歌とは、作品性だけでなく、歌い手のフィジカルが、強く影響する音楽ジャンルだとあらためて確認する。

対して、ムード歌謡風のデュエットソング『別れても好きな人』含め、「エイティーズ演歌」の大ヒットを支えたのは、明らかにカラオケ需要である。

カラオケボックスの登場はまだ先だが、スナックやクラブにおけるカラオケは、すでに定着していた。この時分、繁華街のスナックでは、8トラックカラオケから映像付き「ビデオカラオケ」へのシフトが、すでに始まっている。

寺尾聰、大瀧詠一がいた1981年に…

「ラ・シ・ド・ミ・ファ」の「マイナー演歌音階」の時代が続く。翌81年に特大ヒットとなったのが、竜鉄也『奥飛騨慕情』である。

驚くのは、竜鉄也、この曲がデビュー曲で、かつ作詞作曲も自身によるものであることだ。さらに失明も含めた、自身の怒涛の経歴は、まさに演歌的というべきだろう。

こちらは『おまえとふたり』よりも、さらに復古調である。「マイナー演歌音階」を使っていることはいうまでもなく、「♪かぜのうわさに ひとりきて ゆのかこいしい おくひだじ」と歌詞も全編、いかにも古臭い「七五調」。

つまり、徹底して古臭さにこだわることで、「軽薄短小」騒がしい時代の中での存在感を高めたのだ(これ、実は70年代前半の「ド演歌」から共通する傾向と考えられる)。

それにしても、ここでも竜鉄也のフィジカルに注目する。声質がいい。当時ちゃんと聴いてなかったから、今さらながらに驚く。香ばしい声質に、私などは少し浜田省吾に近いものを感じたのだが、どうだろうか。

そんな曲が、寺尾聰『ルビーの指環』、大滝詠一『A LONG VACATION』の1981年に大ヒットしたのだから、何とも痛快である。

恐るべし、竜鉄也

ここで少し先を急ぐと、同系統のヒット曲として、1983年にいちばんヒットした曲=大川栄作『さざんかの宿』がある。こちらは「作詞:吉岡治、作曲:市川昭介」という、プロ中のプロの作家陣によるもの。

完全に「マイナー演歌音階」で、かつ歌詞もほぼ七五調。一人旅と不倫旅の差はあれど、どこか哀しげな旅に出るという歌詞の設定も『奥飛騨慕情』共通。『奥飛騨〜』を、プロの視点でブラッシュアップした感がある。

大川栄作といえば、私などはタンスを担いでいるイメージしかなかったのだが、竜鉄也とは違い、1969年デビューのベテラン歌手だった。

以上2曲、1980年代前半に大きく開花した復古調演歌。両方ともミリオンセラーとなったが、売上的には約121万枚の『さざんかの宿』を、約148万枚の『奥飛騨慕情』が上回っている。竜鉄也、恐るべし。

【後編を読む】細川たかしの「黄金時代」から美空ひばりの死まで、80年代「演歌の大ヒット曲」が生まれた時代的背景

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