しあわせを感じやすい人と感じにくい人の違いは何か。脳神経外科医の菅原道仁さんは「人間は、現状に満足せず脳を進化させてきたおかげで生き延びてきた。しかし、この仕組みのせいで、何かを達成したはずなのに満足できなくなってしまった人が多い」という――。

※本稿は、菅原道仁『わたしの脳のしつけ方 なぜあなたはしあわせを感じられないのか』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

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■「もっと欲しくなる」脳のカラクリ

いまの収入でも十分に生活できるはずなのに、もっと年収を上げたくなる。「いいね」が100件ついた日は嬉しいのに、翌日にはもっと反響が欲しいと感じる。優しいパートナーがいるのに、「もっとときめきが欲しい」と思ってしまう。いまの自分でも十分頑張っているのに、「もっと上を目指して頑張らなければ」と思う。

こうした現象に大きく関わるのが、脳内で分泌されるドーパミンです。専門用語では「神経伝達物質」と呼びますが、簡単にいえば、人間が「何かを達成しそうだ」と思うときに、脳内で分泌される物質です。ドーパミンが出ると、「嬉しい!」「楽しい!」という大きな快感が生まれ、脳に報酬の感覚を刻み込みます。

ドーパミンはやる気の源泉であり、何か行動を起こす大きな原動力になります。ですが問題は、一度感じた刺激は、回数を重ねるごとに「脳が慣れてしまう」ということ。脳には「適応」という性質があり、強烈な刺激でも何度も続くと、感度は下がる。どんな強い香りにも次第に慣れるように、幸福にも慣れてしまう。そして、「もっと強い刺激」を探し求めてしまうのです。

■人間を生き残らせた仕組みが「敵」に

なぜ、このようなことが起きるのか。それは、またもや人間の進化の過程が、大きく関わっています。

私たちの脳は、食料や安全が保障されていなかった長い時代のなかで進化してきました。

周囲を見渡して自分の立ち位置を把握し、足りないものに気づき、常に「もっと」と手を伸ばす。現状に満足せず次を求める個体のほうが、生き延びやすい環境だったのです。この仕組みのおかげで、人類は厳しい環境を乗り越えてきました。

しかし、現代では、その同じ仕組みが私たちを苦しめています。デジタル社会がもたらす膨大な情報量と比較対象の多さに、脳の仕組みが対応しきれなくなっているのです。

■現代特有の「しあわせなはずなのに苦しい」

かつて生存に欠かせなかったこの敏感さが、いまでは他人の成功やSNSの数字にまで反応し、せっかく手に入れたしあわせをあっという間に色あせさせてしまう。脳の仕組みは変わっていないのに、環境だけが激変した。このギャップこそが、「しあわせなはずなのに苦しい」という現代特有の感覚を生み出しているのです。

ドーパミンの打ち上げ花火が上がるのは、自分の予想を上回ったときだけ。再び同じ花火を打ち上げようとしても、前回と同じ大きさでは打ち上がってくれない。だからこそ、一度味わった刺激を、同じレベルで感じることが難しいのです。

そもそも人間の脳は「刺激」をとにかく求める傾向にあります。

「人間の不幸は、部屋のなかにじっとしていられないことから生じる」という言葉は、17世紀の哲学者であるブレーズ・パスカルの有名な言葉です。

人間は、実は「何もしない状態」がとても苦手だといわれています。これを示す有名な研究があります。

■67%の男性が電気ショックを選んだ

2014年、アメリカのバージニア大学の心理学者ティモシー・D・ウィルソンらの研究チームは、「人は自分の思考だけで静かに過ごすことができるのか」を調べるユニークな実験を行いました。

研究では、被験者からスマホや本などの刺激をすべて取り上げ、15分ほど部屋で一人きりになって考え事をするよう求めました。つまり、何もせず、自分の思考だけで過ごす時間をつくったのです。

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ところが多くの人にとって、この時間は想像以上に退屈で落ち着かないものでした。実験の別の条件では、被験者の前にボタンを押すと軽い電気ショックを受ける装置が置かれていました。被験者は事前にそのショックを体験しており、「お金を払ってでも避けたい」と答えたほどの不快な刺激です。

にもかかわらず、何もしないよりはマシだと言わんばかりに、自ら電気ショックのボタンを押した人が少なくありませんでした。男性では約67%、女性でも約25%が、15分間の思考時間中に少なくとも一度は電気ショックを選んだのです。

※Wilson, T. D., Reinhard, D. A., Westgate, E. C., Gilbert, D. T., Ellerbeck, N., Hahn, C., Brown, C. L., & Shaked, A.(2014). Just think: The challenges of the disengaged mind. Science, 345(6192), 75-77.

■「今日のゴール」を言語化しておく

この実験が示しているのは、私たちの脳が「何も起きていない状態」を驚くほど苦手としているということです。たとえ少し不快であっても、「何かが起きている状態」のほうを選んでしまう。脳は常に外からの刺激を求めるようにできているのかもしれません。

「もっと欲しい」と感じる欲望は、行動を前に進める推進力になる。だから、使い方さえ間違えなければ決して悪いものではありません。しかし、その力をうまく扱わないと、前に進むエネルギーが、いつのまにか自分を悪い方向に責めてしまうことがあります。

何かを達成したはずなのに、すぐに「次はもっと」と基準が上がってしまう。

この現象を防ぐには、あらかじめ期待を言語化しておくのがおすすめです。

感情をぼんやりさせたままにせず、「ここまでできたら、今日は合格」と決めておく。余韻を固定するタイミングをつくることで、達成のあとに自分をねぎらう余白が生まれます。

■「達成してから数十秒」がとても重要

また、「もっと」が暴走しやすい最大の瞬間は、達成の直後です。脳はその瞬間に予測を更新し、ゴールの基準を引き上げようとしがちです。

だから、達成したあとは、感情をそのままにせずに、しあわせを味わうほうがいいのです。

具体的な「しあわせを味わうトレーニング」については本書の4章以降で取り上げますが、まずは一つだけ基本的なものをご紹介します。

仕事でも家事でもなんでもいいので、何かを達成した直後、数十秒でかまわないので、短い区切りを入れてみてください。具体的にいえば、身体の感覚に注意を戻すだけでよいのです。自分の体温や呼吸、身体の重さ、緊張のゆるみなどを観察する。そして、評価の言葉は使わず、ただ感覚だけを感じきってください。

こうした小さな区切りが、達成の実感を脳に刻みやすくします。満足を無理につくるのではなく、満足が消えていく前に「いま確かに自分はしあわせを感じているのだ」と脳に伝える作業だと考えてください。

■山頂に着いた瞬間、次の山を探す人生

アルベール・カミュは『シーシュポスの神話』を、奇妙な一文で締めています。

「シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」と。

シーシュポスは、岩を山頂まで押し上げ、あと一歩のところで転がり落ち、また最初から押し上げる――それを永遠に繰り返す刑罰を科せられた存在です。終わりはありません。完成もありません。報酬もありません。それでもカミュは、彼が幸福だと想像しなければならないと言います。

なぜでしょうか。それは、山頂という“結果”ではなく、岩を押すという“行為そのもの”に意味を見出したからだ、と解釈されています。

私たちもまた、似たような構造のなかで人生を生きています。

目標を達成すれば、さらに高い目標へ。昇進すれば、より高い役職に。フォロワーが増えれば、もっと多くのフォロワーを。

山頂に着いたと思った瞬間、すでに次の山が見えている。これはドーパミンの性質とよく似ています。「もうすぐ手に入る」という予感のときに最高潮に達し、実際に手に入れるとすっと引いていく。そしてまた次の山を探し始める。

■しあわせを感じるためのヒント

もし私たちが「山頂を登りきること」だけを幸福の基準にしているなら、満足は一瞬で終わります。

菅原道仁『わたしの脳のしつけ方 なぜあなたはしあわせを感じられないのか』(扶桑社)

だからこそ重要なのは、「山頂を登りきること」ではなく、「自分が押している岩は、自分にとってどんな意味があるのか」を知ることです。

自分が押している岩は、誰かに評価される岩なのか。社会的に大きく見える岩なのか。それとも、自分が納得して押せる岩なのか。

他人の基準で選んだ岩は、重く感じます。しかし、自分の軸で選んだ岩は、たとえ同じ重さでも意味が変わります。

自分のしあわせを見つけるとは、岩の種類を競うことではなく、この一歩に納得できるかどうかを問い続けることです。

シーシュポスが幸福なのは、山頂を諦めたからではありません。自分の運命を明確に見つめ、それでもなお「これは自分の人生だ」と引き受けたからです。

私たちも同じです。他人の岩を追いかけるのではなく、自分の岩を選び、その重さを引き受ける。そのとき、「もっと欲しい」という焦りは、「いま、この一歩を大切にしよう」という静かな充実感に変わっていくのだと思います。

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菅原 道仁(すがわら・みちひと)
脳神経外科医
菅原脳神経外科クリニック院長。医療法人社団赤坂パークビル脳神経外科理事長。1970年生まれ。杏林大学医学部卒業後、クモ膜下出血や脳梗塞といった緊急の脳疾患を専門として、国立国際医療研究センターに勤務。2000年、救急から在宅まで一貫した医療を提供できる医療システムの構築を目指し、脳神経外科専門の北原国際病院(東京・八王子市)に15年間勤務。毎月1500人以上の診療経験をもとに、2015年6月に菅原脳神経外科クリニックを開院。現在は、頭痛、めまい、物忘れ、脳の病気の予防を中心に医療を行う。著書に『すぐやる脳』(サンマーク出版)など。
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(脳神経外科医 菅原 道仁)