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瀬戸内海に浮かぶ香川県の大島にあるハンセン病療養所で暮らす95歳の東條高(とうじょう たかし)さんがCDアルバムを発表しました。歌手の沢知恵(さわ ともえ)さんと二人三脚で作った作品です。

【写真を見る】ハンセン病療養所“大島青松園”の95歳 東條高さんがCD制作 歌うことが「隔離の島」で生きる証しに【後編】

歌うことが 隔離の島で生きる証しになっていったたかさん

初めてたかさんに出会ったのは2001年。記者として度々通うようになりました。

(2005年 東條高さん)
「イノシシがおってな、ここ」
(記者)
「そうなんですか?」

(沢知恵さん)
「その(ドアから)先はもうさあ、(記者)にとってはハンセン病療養所じゃなかったでしょ。入った瞬間に2人のワールドに迎え入れられ、すっぽり包まれ」

妻の康江さんと、歌。もし出会わなかったら生きてこられなかったと話すたかさん。

2003年には最初のCDを録音しました。

(♪讃美歌 “神ともにいまして”)
「また会う日まで また会う日まで 神のまもり わが身を離れざれ」

歌うことが隔離の島で生きる証しになっていました。

(東條高さん)
「自分も生きとってもあとしばらくやろけん、今のうち元気なうちにもう1枚(CDを)こしらえたらなと思った」

55年前にたかさんに出会っていた沢知恵さん

協力を頼まれた歌手・沢知恵さんは、ハンセン病療養所の音楽文化研究で岡山大学大学院を修了した研究者でもあります。

そのきっかけは、生後6か月のとき訪れた大島。以来、島に深く関わってきました。

(沢知恵さん)
「95歳ですよね。すごいことだと思うんですよ。耳はすごく遠くなってるし、体力もご覧のとおり、もう立つこともできない。あんなにコンサートで立つことにこだわってた人が、立てないんですよね。それでも歌いたい。それでもCD作りたい。なんか切実な思いを受け取らざるをえなかったんですよね」

(東條高さん)
「無口やけん、そんなんしたことないわ。その女の子ひとりだけや。話できたんは」

録音の合間に、沢さんも初めて聞く話が飛び出しました。

(東條高さん)
「空襲があったやろ。また、ここで来て会おうやなと言ったんよ」

(沢知恵さん)
「で、たかさんはここ(療養所に)来た。彼女は知らないで手紙を出した。(たかさんの)お母さんは『もう高は空襲で死んだ』って言ったんだ」
「名前覚えてる?」
(東條高さん)
「あきこさん、言うたな」
(東條さんは苗字も覚えていた)

(沢知恵さん)
「85年前よ、あなた」

(♪“青松園々歌”)
「たのし われらの 青松園」

(沢知恵さん)
「伸ばさない」
(東條高さん)
「♪潮とみつる」

(沢知恵さん)
「今、下がりすぎ」
(東條高さん)
「下がりすぎとった?」

(沢知恵さん)
「ぶら下がってる」(笑)

録音は時間との闘いでした。たかさんの体力を考え、週2日を4週間。日数にして8日間で納得できる歌を録り切る計画です。

何度も何度も、音程や表現を修正しながら1小節ずつ収録していきました。

亡き妻に「もっとしてあげたらよかった」

アルバムの最初にもってきたのは、妻・康江さんに捧げる曲でした。

(♪“君といつまでも”)
「ふたりを 夕やみが つつむこの窓辺に」

譜面台には康江さんの写真。2015年に亡くなりました。

危篤状態の康江さんの手をさすりながら最後まで讃美歌を歌い聞かせていたたかさんを覚えています。

(2011年 妻 東條康江さん)
「病気になってここへ入らなかったら、(高さんと)出会うことってなかったですよね。だから、病気になってここで生涯を送る身にはなったけれども、私にとってみたら、ここでの島での生活というものは、無駄な生活ではなかった」

(東條高さん)
「(康江さんに)もっとしてあげたらよかったかなと思って」
(沢知恵さん)
「今いたら、何してあげたい?」

(東條高さん)
「いやもう手が届かんのやけん、もっともっとしてあげた方がよかったかなあと思うけど、いろいろと」

「♪変わらないいつまでも」

たかさんの集大成 「こころ」をどうしても歌いたい

たかさんがどうしても入れたかった曲があります。沢さんが代表曲として大事にしている「こころ」。アルバムのタイトルにも付けました。

(♪“こころ”)
「わたしのこころは湖水です どうぞ漕いでお出でなさい」

たかさんの人生が詰まったCDになりました。

(東條高さん)
「もう今は独り身やけど、もう歌がなかったら生きていけないね、ほんまに」

「続けます。自分の命がある限り、歌いたいと思います」

(沢知恵さん)
「私はたかさんを見送るんですよ。天国に。たかさんが珍しくね、車の窓が開いてたんだけど、『さよなら、さよなら』って言ったのよ。

そんなことあんまり言わないんだけど、『さよなら』って。

あー、私はたかさんを見送るよっていう気持ちに、きょうなりました。このレコーディングは、たかさんから私への最後の大きなプレゼントだったんだと思う。

たかさんが、『ぼくがいなくなっても、知恵さん、寂しくないように。

あなたはあなたなりに、ちゃんと私に関わってくれたよね』っていうことを私に思わせてくれるためのプレゼントだったなって思います」

全国の国立ハンセン病療養所の入所者は(5月1日時点で)551人にまで減りました。

その数だけ残したい「こころ」があります。

この記事の【前編】を読む
ハンセン病療養所“大島青松園”の95歳 東條高さんがCDアルバム制作 歌手の沢知恵さんと二人三脚で