【日本代表応援特集】森保監督の恩師・松本育夫が語る”判断ミスをしない男”森保一の強み

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――日本代表は、なぜ強くなったのか?

北中米W杯の開催地の一つ、メキシコで58年前に開催されたオリンピック。サッカー日本代表は銅メダル獲得という快挙を成し遂げた。

当時の3トップの一人、松本育夫氏(84)が冒頭のように問いかけると、森保一監督(57)はただ一言、こう回答したという。

「日本人……じゃなくなりました」

この言葉に日本サッカーの現在地が凝縮されていると、松本氏は受け止めた。

「日本人は自分を殺してでも組織に尽くすところがあります。それは日本文化の良さでもあるけれど、サッカーには不向きな考え方とも言える。

野球なら監督やコーチがバントや盗塁などの指示を随時出せるけど、サッカーはそうは行かない。試合が始まってしまえば、選手たちがその場その場で、自分で判断せねばならない。

“個の力”が必要なのです。“自分”を表現せねばならない。日本人には長らく“表現力”が足りていませんでした」

唯一の例外がメキシコ五輪の日本代表だった。組織への献身が重んじられた時代に、釜本邦茂という点を取ることに徹する“個”を持つストライカーがいた。

松本氏がいまも鮮明に覚えているのが、釜本と10歳以上年上の大先輩、八重樫茂生との試合中のやり取りだ。

「通算で3度もオリンピックに出場しているのは日本サッカー史上、八重樫さんただ一人。キャプテンでかつ中盤を務めた八重樫さんはトータルサッカーの信奉者で、釜本に『ガマーっ、守備せんか!』と注意した。すると彼は大先輩に向かってこう言い放ったのです。『先輩、点を取ればいいんでしょう?』と。当時の代表では釜本だけが“日本人じゃなかった”。

ただ、いまは違う。200人近い選手が欧州でプレーしている。自分のサッカーを作り、表現してレギュラーを勝ち取らなければ給料が上がらない世界で揉まれ、そのなかで“個”が磨かれた。そんな彼らが代表に戻り、そこに国民性である協調性が加わって森保ジャパンができた。ようやく日本代表イレブンはサッカー選手本来の姿になったのです」

松本氏と森保監督はサンフレッチェ広島の母体となる東洋工業(現マツダ)の先輩後輩にあたる。

98年、松本氏が京都パープルサンガ(現京都サンガ)のゼネラルマネジャーの任にあった際は、当時まだ現役だった森保監督の獲得交渉にも関わった。森保監督が日本代表を率いるようになってからは「年2回ほど、食事をしながら話し合っている」という。その席で出たのが冒頭の問いだった。

彼の目に“森保一”はどう映っているのか。

「判断に間違いがない。じっくり構え、落ち着いて決断できる。焦って動いてミスすることがない。日本代表の監督ともなると色々なプレッシャーがあると思いますが、彼は自分を崩さない。現役時代、森保は中盤の守備的な選手でしたから、危ない場面や場所を予測する力、読む力がある。それが監督としての振る舞いに出ているのだと思います」

松本氏は今回、現地でW杯を観戦する。58年前ぶりにメキシコの首都・メキシコシティを訪ね、五輪の3位決定戦で日本が銅メダルを摑んだアステカ・スタジアムにも足を運ぶ予定だ。

「僕の座右の銘は『全力に悔いなし』。精一杯やって負けたら仕方がない、と言う人がいますが、そうは思わない。全力を出せば必ず勝つ。それが僕の信念です」

かつてメキシコの空の下で日本サッカーの歴史を動かした男が、森保ジャパンの戦いを見届ける。

『FRIDAY』2026年6月26・7月3日合併号より

取材・文:栗原正夫