あの日の子ども達の言葉を次世代へ 800を超す作文・日記から「記憶や人を″つなぐ″」教材 熊本地震10年
熊本地震の発生から10年になります。
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教訓を風化させないため、当時の子ども達の作文や日記などを元に作られた教材があります。
作成したのは熊本県内の先生たち。そこに込められた思いを聞きました。
熊本県立ゆうあい中学校 小原ひとみ校長「教材のタイトルは『つなぐ』ということで、熊本地震を語り つなぐ。人同士が助け合いつながっていく。そんな人と人とが『繋がる』『繋ぐ』という思いも込めてこの題名になっている」
熊本県内の小中学校などで道徳の教材として使われている「つなぐ~熊本の明日へ~」。
この教材は、熊本地震を経験した子ども達の作文や日記などが元になっています。
教材に記された子ども達の言葉
「私たちには何ができるだろう?私たちは何をすべきだろう?」
「今も、よしんがあってこわくなるけれど、わたしの周りには、やさしい人がたくさんいる」
この教材が完成したのは、地震の発生から2年後のことです。
県立ゆうあい中学校の小原ひとみ校長は、この教材を作ろうと提案した一人です。
熊本県立ゆうあい中学校 小原ひとみ校長「熊本地震が発生した時に、子ども達が避難所とかで、自分にできることは何かと考えて行動した。その思いやりの心や感謝の心とか、これをどうにかして、熊本地震の経験を語り継ぐ方法はないのかなというのを考えて」
集まった800を超す作文や日記
学校に呼びかけたところ、800を超える子ども達の作文や日記が集まり、80人以上の先生たちが教材づくりに関わりました。
その一人が、南阿蘇村立 白水小学校の中島美鈴教頭(50)です。
10年前、南阿蘇村の別の小学校で1年生の担任をしていました。そして、入学式から1週間が経たないうちに熊本地震が発生しました。
南阿蘇村立 白水小学校 中島美鈴教頭「朝顔の種を保護者の方と一緒に種まきをして、お花が咲くのが楽しみだねと、お話しをしながら帰って行きましたけれども、それから1か月ほど休校に」
南阿蘇村では、本震で震度6強の揺れを観測し、甚大な被害がでました。
南阿蘇村立 白水小学校 中島美鈴教頭「とにかく子ども達の声が聞こえない。学校の中に響かない。こんなに寂しいんだと思いました」
熊本地震後に感じた子ども達の変化
ようやく再開した学校生活の中で、子ども達の言葉の変化に気づいたといいます。それは「感謝」でした。
南阿蘇村立 白水小学校 中島美鈴教頭「『いっぱい咲いてありがとうございます。僕も頑張るよ。それにもっと強くなるよ。いっぱい咲いてくれてありがとう』と」
南阿蘇村立 白水小学校 中島美鈴教頭「地震の本当に大変な中、一緒に頑張ってきた朝顔に、声をかけるような言葉がシートにあって、いつもの年とは違った子ども達の言葉だなと」
こうした子ども達の言葉を聞いて、中島さんが作ったページが、「村のすてき」です。
「地しんで トンネルやはしが こわれました」
「けれども たくさんの人たちが 夜も工じをがんばってくれて だんだんもとにもどっています」
教材にふれた子ども達の反応は?
中島さんは去年12月、教材「つなぐ」を使って、熊本地震を知らない小学2年生に向けた授業を行いました。
授業を受けた子どもは…
授業を受けた子ども「地域の方々が、みんなのために一生懸命働いているところが、心に残りました」
業を受けた子ども「地震が起きたときに、村の人の命が大切だから、助けたいなと思っています」
10年が経ち、地震を知らない世代が増える中、中島さんは、伝え続ける大切さをより感じています。
南阿蘇村立 白水小学校 中島美鈴教頭「そういう苦しい、厳しい状況の中でも助け合って、そして励まし合って、周りの人のことを考えながら行動に移した。そういう熊本の人たちの姿をしっかり伝えていけたらと思います」
子ども達が、あの日残した言葉を、次の世代へ。
熊本地震から10年、記憶をつなぐ取り組みが続いています。
