金髪のモネ(秋山才加)。「もしがく」第2話場面写真(C)フジテレビ
 1984年の渋谷を舞台にした群像劇『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(フジテレビ系、水曜夜10時)。潰れかけたストリップ劇場「WS劇場」を、崖っぷちの演出家(菅田将暉)らワケありの面々が立て直そうと奔走する――。
「面白くなってきた!」と話題の第2話では、秋元才加らがみごとなダンスを見せる(以下、ドラマ批評家・木俣冬さんの寄稿)。
◆見えそうで見せない華やかなストリップ

 華やかなステージからはじまった第2話。84年のヒット曲ヴァン・ヘイレンの「Jump」に乗って、倖田リカ(二階堂ふみ)、パトラ鈴木(アンミカ)、毛脛モネ(秋元才加)、いざなぎダンカン(小池栄子)が真っ白な衣裳でステージに現れる。ファッションショーのランウェイみたいに華やか。

 舞台は84年だが2025年のいまのコンプライアンスの問題で、ストリップ劇場とはいえ露出度は抑えめ。そのなかで秋元才加と小池栄子の露出度の思いきりが比較的良いのは、かたやアイドル、かたやグラビア経験のあるふたりだからであろうか。

 小池栄子はいまや演技派女優(あえて女優と書く)のひとりだが、『新宿野戦病院』(24年)ではSMの女王様の扮装もしていた。てらいがないというか、作品への奉仕精神が高い。断っておくが、ほかの俳優には奉仕精神が足りないというような比較をするつもりはない。

 皆、それぞれのスタンスがあるだけだ。照明スタッフとして働き始めた久部(菅田将暉)はリカのダンスレッスンを見て、背筋がまっすぐと絶賛している。彼には露出度は関係ないのだ。

◆元アイドルの秋元才加、仕草が完璧だった

 冒頭のダンスはダンカンがいたのと客席が満員だったので夢の場面なのだろうか。現実はダンカン不在でリカとパトラとモネの3人体制。客はおそろしくまばら。でもここでのモネのパフォーマンスがすごかった。

 郷ひろみの『2億4千万の瞳』に乗って現れて、ジャケットを脱ぐと、背中ががばっと大きく空いた衣裳。きれいな背中をくねらせて、腰を振りながらスカートを脱ぐ。それから黒いブラをじわじわと焦らしながら、とる! とったところはけっして映さない。光で誤魔化す。見えないアングルに工夫する、など、とにかく映さないようにしているが、脱ぎ方の手つきがそれっぽくて説得力があった。

 演じる秋元才加はさすが元アイドル、ステージ慣れしていて、観客あしらいの仕草が完璧。全力で魅力を振りまく。ステージと客席(ずいぶん少ないけれど)の相乗効果で、モネは乗ってきて、ついに紐パンの紐を解き……。

 エロい動きをするときの表情が淡々として、でも堂々としているのが、プロらしくてかっこいい。オフィスで猛然とパソコンを打っているような表情と変わらない。自分できっちり計算づくで、客席全体を感じながら、パフォーマンスしている。

◆AKB48劇場と、本格演劇で鍛えられた

 モネのストリップ劇場とは全然違うとはいえ、秋元も劇場育ち。秋葉原のAKB48劇場で鍛えられてきた。以前彼女にインタビューしたとき「“板”(舞台のこと)ってカッコいいなーって。憧れでした」と話してくれたことがある。

 アイドル時代は、アイドルの舞台経験と演劇における舞台経験は比べられないと思っていたが、いざ本格的な舞台に立ったとき、観客の視線や照明の当たる位置など身体感覚で理解できるように経験を積んでいる点では共通するものがあると感じたというようなことも。今回のモネの本物感はまさにそれだと思う。

 三谷幸喜作品では、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(23年)で眉が一本つながった巴御前を演じて話題だったが、三谷の舞台にも3本も出ている。

ナチスのゲッベルスが主人公の『国民の映画』(14年)、ミュージカル『日本の歴史』(18、21年)、三谷の劇団東京サンシャインボーイズの出世作の令和版、『マクベス』を演じる舞台裏を描いた『ショウ・マスト・ゴー・オン』(22年)とどれも傑作で、秋元はそれぞれまったく違うキャラを鮮やかに演じ分けていた。筆者が好きなのは『日本の歴史』のクールで知的な歴史の先生。