2022年4月に北海道・知床半島沖で起きた観光船「KAZU I(カズ ワン)」の沈没事故。9月18日、第1管区海上保安本部は、運航会社「知床遊覧船」社長の桂田精一容疑者(61)を、行方不明者6人を含めた乗客乗員26人を死亡させたとして、業務上過失致死などの容疑で逮捕した。ずさんな安全管理の実態、桂田社長の人柄について追った「週刊文春」の記事を再公開する。(初出:文春オンライン2022年4月30日配信。年齢・肩書は当時のまま)

【写真】多角化に失敗し内実は火の車だったという桂田氏


2022年4月、記者会見で謝罪する桂田精一社長 ©時事通信社

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 2022年4月23日、北海道・知床半島沖で消息を絶った遊覧船「KAZU I」。同船を運航する「知床遊覧船」で船長を務めていた松村雅史さん(仮名・34)が「週刊文春」の取材に応じ、「知床遊覧船」の企業体質や社長とのやり取りについて明かした。

 松村さんが、同社に入社したのは約12年前のこと。同社を創業した親戚の伝手をたどり、船に乗せてもらったことがきっかけだったという。

「知床遊覧船」前船長の告白

「同業他社の船長や地元の漁師たちに操船を教わりました。休日の空いた時間に、ベテラン船長の横で操船の練習をさせてもらうのです。ウトロは狭い漁港の中に漁船から釣り船、観光船までとたくさんある。トップシーズンになると、かなり船が密集した港になるんですよ。海上には定置網のロープなどの浮遊物があって、運航にもかなりのテクニックが必要なんです。そこで他社の船にも乗せてもらいながら、操船技術を叩きこまれました。地元の漁師さんには『いやあ、明日どうだべ?』と天候や海の状況を相談することもありましたね」

 松村さんが初めて舵を握るまでに、3年の月日を要したという。

「僕の他にもう1人の船長、営業担当、事務員、駐車場係など計4名の顔なじみのスタッフがいました。その方たちと一昨年のシーズンまで、遊覧船『KAZU I』と『KAZU III』を運航してきました」

 そんなさなかの2017年5月、同社は新たな舵をきる。高齢となった創業社長が、約4000万円で事業を譲渡。その経営権を買い取ったのが、地元のホテルチェーン「しれとこ村グループ」の代表取締役社長・桂田精一氏(58)だった。

 高校卒業後、桂田氏は茨城県工業技術センターで陶芸の技術を学び、都内の大手企業から支援を受けて芸術活動に邁進。2005年に知床へ帰郷し、2015年4月に家業を継いだ。

「経営者が代わって2年目の頃だったと思います。桂田社長が『宿泊のアクティビティの一つとして陶芸体験ができたらいいよね』と言い出したんです。そこで僕たちも手伝って、陶器を焼く窯を『しれとこ村グループ』の倉庫の近くに作りました。でも大して稼働しないまま頓挫してしまった」

 この頃から、事務所スタッフの労働環境に変化が現れ始める。まず、振る舞われていた賄いに変化が起きたという。

「桂田社長は全て自分で持って行っちゃう人」

「地元の漁師さんたちが事務所に遊びに来た時に、おすそ分けをいただくんです。前の社長は『みんなで食うべ!』とスタッフに振る舞ってくれましたが、桂田社長は全て自分で持って行っちゃう人。そこで、僕が辞めるまでは、僕個人がもらったものをみんなに振る舞うようにしていました」

 スタッフの待遇が悪化の一途をたどった背景には、桂田氏の“散財”があった。同社が斜里町の世界自然遺産地域に「ホテル地の涯」をリブランドオープンさせたのは、2018年6月のこと。「しれとこ村グループ」は知床で4館のホテルを運営する一大ホテルチェーンとなっていく。

 だが実際には、グループの経営状況は火の車で、遊覧船事業の収益を旅館業で生じた債務の返済に回す“自転車操業”に陥っていたという。

「スタッフに対するしわ寄せは、かなりあったと思います。もちろん社長のアイディアで新たな事業をやるのは良いんですが、それにも優先順位というものがありますよね。遊覧船のシーズン中は、1日100万円稼ぐこともあるんですよ。その資金をもとに『古い遊覧船も新しくしたい』と社長に意見したこともありましたが……。社長本人は浮ついている様子で、自分のやりたいことを優先している印象を受けました」

 船長の経験がある前社長とは対照的に、桂田氏は船や海に関する知見を持ちあわせていなかったという。

「船に付ける新しいバッテリーを買う時に、桂田社長から『それ、なんぼなの? 調べてください』と。前の社長ならすぐに金をかけると思いますが、桂田社長は『それは本当に必要なの?』という議論からスタートするんです。船って毎日運航するものだから、今すぐに必要なものもあるんですが、腰が重かった」

 桂田氏との意見の衝突が重なった折、松村さんは自身の手で遊覧船事業を買い戻そうと決意した。

「『KAZU I』の船名は、創業社長の名前に因んで付けられたもの。加えて親戚が創業したというのもあり、僕なりに思い入れもあった。経営権や船の価値を見積もった結果、高くても3000万円で譲ってもらえたら良いなと思って交渉したんですが、桂田社長は『5000万円なら』と。結局、すぐに買い取るのは難しかったのですが、ゆくゆくは分割で返済しながらでも経営できればいいなと思っていました」

 だがその矢先の2020年12月、桂田氏は松村さんにこう言い放った――。

「松村さんだけを残して、他の4人を新しいスタッフにしようと思うんだけど」

 刹那、松村さんは憤りを感じたという。

桂田氏から1本の電話が…

「僕は『何を言ってんだろう』と思いました。海は何があるか分からない。経験の浅い人に務まるような、そんな甘い仕事じゃないよ、って。特にもう一人の船長は、僕が丹念に操船を教えた人だから、相当の信頼があったんです。それに、長年一緒にやってきたスタッフがいなくなれば、今回のような万が一の時に連携が取れなくなる危うさもあった。そこで社長に『どうにかならないですか』と直談判しました」

 だが桂田氏は、その訴えに耳を貸さなかった。翌年の2021年3月、桂田氏から松村さんに1本の電話が入った。

「これからシーズンが始まるという1週間前、社長から『やはり他の方たちは雇わないです』と急に言われました。再度、社長に抗議したところ、『僕も考えを変えられない。短い間でしたがお疲れ様でした』と、僕も解雇を告げられました」

 松村さんの後を継ぐことになったのが、甲板員になってわずか3カ月の豊田徳幸氏(54)だった。4月30日現在、事故発生時に船長を務めていた豊田氏の行方は未だに分かっていない。

「突然の解雇だったため、引継ぎもろくにできないまま、ウトロを後にしました。それまで豊田さんには、船の操縦や機器の使い方を説明したこともありましたが、僕がかつて教わったように、つきっきりで指導したわけではありません」

 松村さんの解雇は、遊覧船にこんな脆弱性をもたらした。

「長年、遊覧船のメンテナンスを担当していた修理会社の方が、ちょうど定年退職されたんです。その方は『松村くんが会社にいるなら、定年後も個人的に船を見にいってもいいよ』と言ってくださっていた。でも、僕が解雇され、その話も立ち消えてしまった。その後、遊覧船がどのようにメンテナンスされていたかは分かりません」

 そして悲劇は起きた。

「船を出せない」「なんで出せないんだよ」

「(救助要請のあった)カシュニの滝付近は、風が船に当たるんです。それに、港付近は穏やかでも、沖に進んでいくと荒れていることがある。だから、僕ら船長が『今日は波があるから船を出せない』と言っても、社長はよく理解していないのか『なんで出ないんだよ』と、言い返してくることもありました。海の状況も船のことも、何も分かっていない人なんです」

 カシュニの滝の沖合の水深約120メートルに沈んでいる「KAZU I」が発見されたのは、事故発生から6日後のことだった。この悲劇を防ぐことはできなかったのか。検証が待たれる。

(「週刊文春」編集部/週刊文春