妹猫さくらをかわいがったという寅次郎(住民提供)

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 寅次郎(別名グリ)、シマちゃん、ミーちゃん、クロちゃん、げん、ちび、くろ、とら。

【写真】「140.0以上」と赤字で測定値突破が示されていた、げんの腎臓の数値

 命を落とした8匹にはみんな名前があった。人によって別の呼び方をするケースもあった。東京都葛飾区鎌倉と江戸川区北小岩にまたがって昨年11〜12月にかけ、突如、体調が急変して死亡した「地域猫」たちだ。

 一帯は京成小岩駅に近く、半径100メートルにおさまる狭い範囲。複数の住民が「毒入りのエサを食べさせられたのではないか」と疑念を抱いている。現場を訪ねると、路地でお母さんたちが立ち話をしていたり、昔ながらの商店街に活気があふれるなど下町風情の残る街だ。

ありえないほど腎臓の数値が悪い

「寅次郎」(推定1〜2歳、オス)を看取ることになった山口忍さん(51)が振り返る。

「世話していた3匹のうちの1匹が寅次郎で、昨年12月上旬に突然姿を消しました。たっぷりごはんを食べる子で体重は6・5キロぐらいあったと思いますが、ごはんを食べようとしないんです。水も飲まず、動きが遅くなっていて、動物病院に連れていくと、“腎臓の数値が測定上限値をオーバーしている。いますぐ痙攣(けいれん)を起こして死んでもおかしくない”と言われました」

 地域猫とは、殺処分を避けるため、地元自治体と市民団体、住民らが協力してその生命をまっとうさせる飼い主のいない猫を指す。繁殖を防ぐため不妊・去勢手術を施し、その証として片耳の先端にV字の切り込みを入れる。手術費用の負担やエサやり、ふん尿などの掃除は心ある地域住民が担っているのが現状だ。いわば善意に支えられて地域全体で飼っている猫だから、地域猫というわけ。

 寅次郎を病院に連れて行った前出の山口さんは、

「1パーセントでも助かる可能性があるならば治療してあげたい」

 と思ったが、

「最期は私の腕のなかでグッと重くなって息を引き取りました」(山口さん)

 警戒心の強い猫は簡単には人間に馴(な)れない。寅次郎と少しずつ距離を詰め、正面から顔をぐしゃぐしゃとなでてあげられるまで信頼を得たところ。抱っこさせてくれたのは初めてだった。

 体毛はトラ柄で、きょうだい猫の面倒見がよく、映画『男はつらいよ』の舞台に近いこともあって主人公の名前をつけた。顔をグリグリ押しつけるしぐさをよく見せたため、「グリ」と呼ぶ住民もいる。

 火葬し、かわいがってがってきたほかの住民と骨を拾った。遺骨は自宅にもうけた祭壇に祭っており、多くの近隣住民が手を合わせに来てくれた。

「家族を失った気持ち」

 と山口さんは泣いた。

うちに来る途中で力尽きたみたいで……

 薄いしま模様の「シマちゃん」(推定10歳、メス)と「10年の付き合いだった」と話すのは古澤亜希子さん(49)。寅次郎の死に先んじて、世話していた3匹が昨年11月下旬から立て続けに死亡した。

「シマちゃんは亡くなる2日前から様子がおかしかった。ほかの2匹と一緒に朝ごはんを食べにきたのに、まったく食べず鳴いて甘えるだけ。“どうしたの?”と心配していたら、それきり姿を見せなくなりました。

 近隣宅から“うちの敷地内で猫が亡くなっている”と連絡をもらって駆けつけたら、シマちゃんが塀のそばで倒れていて体がもう硬くなっていたんです。うちに来る途中で力尽きてしまったみたいで……」

 翌日には「ミーちゃん」(推定12歳)がエサを食べなくなり、食いつきのいい高級キャットフードを与えてもペロッとひとなめするだけに。毛づやがボソボソになって動こうとせず、気づいたときには玄関先で冷たくなっていた。

 その2日後には「クロちゃん」(推定5歳)が姿を消し、数日後に死亡。死ぬ直前の様子を目撃した男性の話では、弱々しく寝そべったまま、立とうとしても立てないように見えたと話してくれたという。

「さすがにおかしくないか」

 と古澤さんは感じ取り、ほかの地域猫を世話する住民らに声をかけた。すると、うちに来る猫も最近おかしくて……と類似するケースがほかにもあると知った。

苦しさのあまり自分の舌を牙で貫通させて

 60代の女性は、白黒模様の「げん」(推定10歳、メス)の最期が頭にこびりついて離れない。同12月上旬、エサを食べなくなったのを心配して動物病院で診てもらうと、腎臓の数値が想定値を振り切るほど悪化しているのがわかった。

「3日入院しても回復せず、せめて最期は大好きな娘に抱っこされて死なせてあげたいと引き取ることにしたんです。娘にすごく懐いていたから。でも自宅に戻ると全身の痙攣が始まって……」(同女性)

 呼吸が早くなり、ハムスターのように口をモグモグさせた。やがて犬みたいにハアハアと荒く呼吸するようになり、苦しさのあまり食いしばりすぎて自分の舌を牙で貫通させてしまった。慌てて割りばしをくわえさせた。

 女性の家族は約15時間、食事もせず、つきっきりでげんに声をかけ、体じゅうをさすったという。

「もう、かわいそうで、かわいそうで。こうなるなら安楽死させてあげればよかった」

 と女性は目を赤くする。

猫を診察した動物病院の医師は──

 70〜80代の夫婦は、昨年11月半ばごろから立て続けに、「ちび」(生後半年ぐらい)、「くろ」(推定2歳)、「とら」(同)の3匹を看取った。

「ちびが急にみどり色の液体を吐いたので、病院に連れて行ったら腎臓機能がダメになっていた。亡くなる寸前には痙攣して息を引き取った。見ていられなかった、同じ生き物として。朝、昼、晩のエサやりとトイレをやってあげていて、たいへんな老後になっちゃったと思っていたけれども、1週間ごとに3匹も火葬することになるなんて。ほかにも変死した猫がいるようだし、誰かに毒を盛られたなと思っている」(80代の夫)

 玄関先にはいつも5匹がエサを食べにきていたが、残る2匹も姿を見せなくなった。

「もう1匹もこないのよ。猫が嫌いな人もいるでしょうが、猫も犬も生きているんだから」(70代の妻)

 ちびが死ぬ前の晩、妻は同じ布団で抱いて寝たという。

 猫たちは何者かに毒物を盛られたのか。

 住民に運び込まれた猫を診察した動物病院の医師は、

「故意に毒入りのエサを食べさせられたかどうかは判断できない」

 としながらも、腎臓の数値は異常だったと話す。

「測定機械が想定する数値を超えていましたからね。猫は腎臓の弱い動物で、機能悪化は死に直結しうる。また徐々に悪くなってゆくケースは見たり触診してわかりますが、そうでもなかった。いわゆる急性腎不全です」(同医師)

 複数の住民が別々の病院で診察を受けている。いずれも腎臓の状態を示す尿素窒素の値が基準値を大きく上回り、基準上限の4倍以上にあたる計測不能値が出たケースもある。どうすれば、これほど悪化することが考えられるのか。

「例えばオス猫はおしっこが詰まって急に腎臓に負担がかかることがある。しかし、この場合は見てわかります。ほかにエチレングリコール(※ジェル状の保冷剤などに使われる)や果物のブドウを食べたときなども腎臓に負担がかかることがあります。今回は、似たケースが何件かあるようですから、間違えてブドウを与え続けてしまったというのはちょっと考えづらいのではないか」(同)

 毒物を摂取して死亡したかどうかは、解剖した上で、人間でいうところの科学捜査研究所(科捜研)のような専門機関に分析をゆだねるしかなく、数十万円の費用がかかる見込みという。

 住民らは猫の連続不審死について、地元警察に情報提供している。ただ、猫が食べ残した毒入りのエサや目撃証人などは見つかっておらず、なぜ、死んだのかはっきりしない。状況をみれば、きわめて短期間に限定された地域で集中して不審死が発生しているのは確かだ。

犯行が徐々にエスカレートしないか心配

 ほかにも、行方不明になっている地域猫は多く、「死に場所を探してどこかで息絶えているのではないか」(60代男性)などと心配する声を聞いた。猫が死に場所を探して姿を消す習性があるかどうかは別として、体調が悪化して動けなくなったことは十分考えられる。

 地元商店街の生花店『花武』では、パンダみたいな模様でよく鳴く「ナキパン」と、ゴマフアザラシに似た「ゴマ」という2匹の面倒をみていたところ、昨年12月末ごろからぱったり姿を見せなくなった。

「まるで神隠しにあったみたい。ほかにも10匹ぐらい消えていると聞いた。街からすっかり猫が消えてしまった。繁殖しないよう手術を受けているし、そんなに迷惑をかけているわけじゃないのに猫を蹴る人もいるんだって」

 と男性店主。

 動物愛護管理法は、猫などを対象とする愛護動物をみだりに殺したり傷つけたときは5年以下の懲役か500万円以下の罰金に処すると定めている。故意に毒殺したのであればれっきとした犯罪だ。

「犯行が徐々にエスカレートしないか心配だ。地域猫の次は飼い犬を狙うかもしれないし、小さな子どもに手をかけるかもしれない。人情味あふれる下町なのに勘弁してほしい」(前出の60代男性)

 近隣の動物病院の関係者によると、類似する猫の不審死事案は昨年末にとどまらず、年明け後も1件確認されている。

 そもそもこの地域では、人間と猫が当たり前に共存してきた。昔はドブ川が流れていたためネズミが多く、民家の仏壇のお供え物を食い散らかしたり、商店の売り物にかじりつかれ困っていた。天敵の猫は得意げにネズミをくわえて人間に見せつけたという。多くの商店が猫を飼っていた。

 子どものころからこの街で暮らす前出の古澤さんは、

「だからこそ、猫に寛容な街だった。その記憶がある年配の方ほど、猫のエサを持ってきて“食べさせてあげて”などとかわいがってくれていたんです」

 と打ち明ける。

 文豪・夏目漱石の小説『吾輩は猫である』で鋭く人間観察する語り手の猫は、物語の冒頭で、名前はまだない、と自己紹介している。

 しかし、命を落とした8匹にはすべて名前があった。その名前を何度も呼んでかわいがった住民がおり、突然の死に深い悲しみを抱いている。もし、毒物を与えた犯人がいるとするならば、そのことをどこまで知っているのか。

◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)

〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する

*コメントの一部を修正して更新しました(2021/2/3 15:45)