チリ戦でノーゴールに終わった久保。なにより結果を求める本人も納得の行く出来はなかったはずだ。写真:Getty Images

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 先日カタールと引き分けたパラグアイ代表のエドゥアルド・ベリッソ監督は、2−2で終わったその試合のあと、コパ・アメリカにアジア勢が参戦することへの異議を唱えた。
 
「全てアメリカ大陸のチームがプレーすることで、コパ・アメリカは意味を成すと思う。私たちは、もっとアメリカ全体のコパ・アメリカを思い描くべきだ。南米だけでなく中央アメリカや北アメリカが全て参加するトーナメントをね。ヨーロッパが南米のチームを参加させるなど見たことが無いだろう?」
 
「私はコパ・アメリカが全てのアメリカの国によってプレーされるひとつのトーナメントであるべきだと思っているだけだ。CONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)とCONMEBOL(南米サッカー連盟)が協力すべきなんだ」
 
 だからこそ、日本はチリ戦で意地を見せる必要があった。ベリッソ監督のコメントに異議を唱える意味でも、チリ戦で勝点を奪う必要があった。
 
 しかし、結果は……。ご存知の通り、0−4の惨敗である。
 
 こうした国際大会で求められるのは内容以上に結果。久保が股抜きを決めた、上田が決定に絡んだのは事実だが、なにより大事なのはそこではないだろう(今後の試合に向けては発奮材料になるかもしれないが……)。重要なのは、そのプレーがゴールに結び付いたかだ。
 
 4−4−2システム(もしくは4−4−1−1システム)の右サイドハーフに入った前田は持ち前のスピードをほとんど生かせず、ボランチの中山はボールを収めるどころか危険な位置でミスを連発。空中戦に強いはずのCB植田もチリのプルガルにあっさり先制弾を許すなど、日本はあまり良いところがなかった。親善試合では華麗なドリブルでひょいひょいと相手を抜いていた中島も、チリの粘り強いディフェンスに手を焼いた。
 
 
 44分にGKと1対1になったビッグチャンスを、続く57分の絶好機をいずれも上田が、65分にふたり抜きから決定機を迎えた久保が決めていれば……、とポジティブに捉えることもできるが、「たら・れば」を言っても仕方ない。したたかに、そして確実にゴールを奪ったチリのほうが一枚も二枚も上手で、正直、相手にならなかった印象だ。
 
 2−0となってからチリのペースが落ちたようにも見えたが、“2点リードの余裕”からあえて彼らはそうしたのかもしれない。実際、余力を残していたチリは終盤にサンチェス、バルガスがダメを押し、4−0としている。日本はチリの術中にハマったと、そんな見方もできるはずだ。
 
 いずれにしても、日本は中盤でボールが収まらず、なかなか呼吸ができなかった。中盤4枚のうち自分の間合いでボールをキープできていたのは柴崎くらい(もちろんミスもあったが、前田、中山、中島よりは存在感があった)で、他の3人はチリの圧力に屈していた印象のほうが強い。
 
 敗因のひとつは先制点を与えてしまった点にある。チリに「日本、思ったよりやるな」という感覚、すなわち焦りを誘うには、やはりゴールが必要だった。41分に先行されるまでは良い試合だった、では意味がない。相手を本気にさせるなら、奪われる前に奪わないといけなかった。
 
 とはいえ、0−1になるまで日本が決定機を作れていたかと言えばそうではない。チリの老獪な守備に手を焼き、良い形でシュートを打てなかった。試合を通して、決定力の高さ、インテンシティの強さを見せつけたのは明らかにチリのほうで、力の差は歴然だったように映った。
 
 
 文字通りの惨敗に終わったチリ戦で、久保、中島、上田は爪痕を残したのだろうか。確かに久保はいくつか好プレーをしたかもしれない。ただ、彼のチャンスメイクは結局ゴールに、結果に、結び付いていない。この事実から行き着く結論は、やはり力負け。肝心なところでプレーの強度、精度を欠いたということになるだろう。

 「0−4」というスコアを見て、パラグアイのベリッソ監督は何を思うだろうか。
 
文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集長)