前回のコラムでも書いたが、2007年4月から3年間にわたって小学校教員を務めていた。はじめての経験に戸惑うことも多かったが、誠実に子どもたちと向き合った3年間だった。退職後、そのときの経験を『だいじょうぶ3組』(講談社)という小説にまとめた。今回、それが映画化されることとなり、今月上旬から撮影が始まった。

 両手両足のない新任教師・赤尾慎之介役は、「手足のない俳優さんはいないから」という理由で僕が演じることに。そして、その赤尾を手助けする幼なじみの白石優作役を、TOKIO・国分太一さんが務めてくださることとなった。

 撮影が始まってみると、以前から聞いていたとおり、やはり待ち時間が長い。それまで国分さんとはフィギュアスケートの現場で一度ご挨拶をしたことがあったくらいで、ほぼ初対面。さて、この長い待ち時間のあいだ、いったいどんな話をしたらいいものか――。そんなことを思案していると、国分さんのほうからこんな話を切りだしてくださった。

「昨日、横浜DeNAベイスターズの監督に就任した中畑さんに番組にお越しいただいたんですけどね」

 僕が大の野球好きと知って、あえてそんな話題をしてくださったのだろう。話を進めていくうち、国分さんもかなりの野球ツウであることがわかってきた。

乙「ところで、国分さんはどこか贔屓チームはあるんですか?」
国「僕は、横浜なんです。もう、大洋ホエールズ時代から」

 ちょっと照れ笑いを浮かべながら、国分さんは頭をかいた。

乙「あれ、国分さん、東京でしたよね? またどうして大洋だったんですか?」
国「たまたま手に入ったチケットが、神宮球場でのヤクルト×大洋の三塁側で。そこで見たスーパーカートリオがやけにカッコ良かったんですよねえ」

 スーパーカートリオ! なんてなつかしい響きなんだ! 当時の1〜3番を任されていた高木豊、加藤博一、屋鋪要は、それぞれが50盗塁するだけの脚力を持ち(1985年には、実際に3人で計148盗塁を決めている!)、「スーパーカートリオ」と持てはやされていたのだ。

当時の大洋はそれほど強いチームではなかったけれど、この「スーパーカートリオ」の3人にかぎらず、個性的で魅力ある選手が多く在籍していた。

乙「やっぱり、遠藤一彦はカッコ良かったですよねえ。あのフォークボール」
国「それから、抑えの斉藤明夫さん。ヒゲをはやしてね」

 2学年しか違わない僕らふたりは、リアルタイムで見ていた選手も同じだから、いくらでも話が弾んだ。気がつけば、初対面の緊張など、どこかへ吹き飛んでしまっていた。

 国分さんとの距離をぐっと縮めてくれた大洋ホエールズの系譜を継ぐ、新生・横浜DeNAベイスターズ。今季は、どうしたってその戦いぶりが気になってしまうだろうなあ。

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