気づいたら、夏の甲子園が終わっていた。日大三高、10年ぶりの優勝おめでとうございます!! ん……ということは、オリックスの近藤投手が日大三高のエースとして全国を制したあの夏から、もう10年!? 時が経つのは、早いなあ。

 高校野球を見なくなってから、もうどれくらい経つのだろう。テレビにかじりついてまで観たのは、きっと“松坂世代”が活躍した第80回大会が最後だなあ。主役は、もちろん松坂大輔(横浜)。PL学園戦での延長17回完投勝利、明徳義塾戦での逆転を呼び込むリリーフ、決勝でのノーヒットノーランと、まさに漫画のような展開だった。

 松坂以外にも、杉内俊哉(鹿児島実)、和田毅(浜田)、新垣渚(沖縄水産)、村田修一(東福岡)、古木克明(豊田大谷)、吉本亮(九州学院)、赤田将吾(日南学園)、東出輝裕(敦賀気比)、森本稀哲(帝京)など、枚挙にいとまがないほどの逸材が揃い、大会をおおいに盛りあげた。

 元木大介(上宮)フィーバーに沸いた第71回大会も思い出深い。本命と言われた上宮が準々決勝で敗れる波乱。ベスト4には、仙台育英と秋田経法大付と東北地区から出場した2校が勝ち残った。このとき熱投を見せた四強のエース4人中3人[吉岡雄二(帝京)、大越基(仙台育英)、宮地克彦(尽誠学園)]が、のちにパ・リーグの野手として活躍するという意外な共通点も興味深い。ちなみに、この大会には仁志敏久(常総学院)、前田智徳(熊本工)、谷佳知(尽誠学園)など、その後、プロ野球を代表する好打者が数多く出場していたのも面白い。

 ここまで書いたように、甲子園大会で活躍した選手の多くはプロへと進むが、なかには印象深い活躍を見せながらもプロの世界へ進むことなく、そのキャリアを終えた選手もいる。そのなかに、僕が大好きだった選手がいる。1991年のセンバツ大会で、2試合連続逆転サヨナラ勝利をおさめた山梨県立市川高校。“ミラクル市川”と呼ばれた地方の公立高校は、ニュース番組でも特集を組まれるなど、ちょっとしたフィーバーを起こした。その中心にいたのが、エースの樋渡卓哉だ。その夏も快進撃を見せた市川は、ベスト8まで駒を進めている。

エースの樋渡は――、あれ、樋渡は――、あれ?

あんなに応援していたのに、彼がどんな投球をするピッチャーで、どんな選手だったのか、いまいち思い出せない。あんなに応援していたのに、顔もおぼろげにしか出てこない。当時は、市川のスタメン全員、空で言えたのになあ……。

 でも、あの夏、まちがいなく彼は僕のマイヒーローだったのだ。その後、プロ入りすることもなく、名前を聞かなくなった彼だけど、いま頃はどうしているのだろう。慶応大学に進学したものの中退――としか情報がないけれど、きっとどこかで元気に活躍されているにちがいない。粘り強い戦いぶりで、幾度もの奇跡を起こしてきた男なんだから。

 野球好きの方なら、きっとそれぞれにマイヒーローがいるにちがいない。そして、その記憶がほどかれるとき、何とも言えない甘酸っぱい気持ちになるのはなぜだろう。うーん、来年はひさしぶりに甲子園を観てみようかなあ。でも、選手たちの倍の年齢ともなってしまったいま観ると、またちがった感覚になるという気もするなあ。

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