ラモス(以下R):国際試合をやると駆け引きの重要性が一層分かりますね。

担当M(以下M):ラモスさんが一番覚えている現役時代の駆け引きはどれですか。

R:一番うまくいったのはあの韓国戦ですね。

M:ドーハで1-0で勝った、1993年ワールドカップアジア最終予選での試合ですね。

R:韓国はボランチにすごくうまい選手がいたんですよ。彼をどうするかという策をずっと考えてました。すると韓国戦を前にしてボランチの森保一が出場停止になった。そこで思いついたんです。それで僕がオフト監督のところに話に行ったら監督も同じことを考えていましたね。

M:それまでトップ下だったラモスさんがボランチになって相手を引っ張り出したんですね。

R:僕は中盤の底に引いているだけじゃなくて、前後に動いてそのうまい相手選手を食いつかせたんですよ。それで韓国のバイタルエリアが空いたところに吉田光範が出て行くことにして。その駆け引きはぴたりと決まりましたね。

M:いつもはゲームを組み立てる選手が、その日はおびき出す役だとは思いつかなかったでしょうね。

R:相手は試合が終わるまで分かっていませんでしたね。でも僕はどの試合でもそんな駆け引きをずっとやってました。誰が疲れているか、誰が自信をなくしているか、どこのポジションが弱っているか、相手と味方の両方の状態を90分間ずっと考え続けるんですよ。誰が交代選手として入ってきて、どんなプレーをするのか、先まで考えながらやってました。僕は当時、対戦相手は交代選手の特徴まで自分で調べてから試合に臨んでましたから、いろんな予測が立てられて、あまり外れなかったですね。

M:ラモスさんが現役の時、そんなにきょろきょろしていたという記憶がないんですけど、いつの間にそんなところまで見ていたのですか。

R:頭を動かしちゃダメなんです。目の端で見る。視野のギリギリのところまで見ておくんです。するとシュートをする前にGKの動きまで見える。ちょっとバックステップを踏んだらループシュートは止めるとか、そんな判断ができるようになります。

M:ラモスさんが来日した当初、FWだけじゃなくてリベロでプレーしていたのは視野の広さを買われてだったんですね。

R:リベロをやったのはプレーの幅を広げましたね。当時の日本の選手は顔を向けたほうにパスを出していました。だからパスを出そうとしている相手の目をずっと見ていたんです。それで出てきたパスをカットして攻め上がってました。その経験を元に試合を読む力を身につけたと思いますよ。

M:じゃあ、日本の選手もみんなリベロにして経験を積ませるってどうでしょう。

R:そりゃ極端すぎて違うんじゃないですか?

M:では今の日本代表では誰が試合を読んで駆け引きをする役を果たすべきでしょうか。

R:遠藤と長谷部ですね。守りから攻めにつなぐときに、その役が必要なんですよ。ディフェンスラインがその役割をやってもいいけど、攻められ続けているときにDFが組み立てようとするとリスクがありますからね。だから遠藤と長谷部がしっかり状況を把握してリズムを作る。速く攻めなければいけないとか、ゆっくりがいいとかボランチが判断するのが一番いい。それで周りの選手はその状況判断を信じて動くんです。そうすればチームとしての駆け引きができるんです。

M:では次の試合で遠藤と長谷部をリベロに。

R:それ全然違うでしょ!!

【関連リンク】
ラモス瑠偉の「ふざけないでマジメにやれ!!」 - 過去の記事はこちら

ラモス瑠偉ラモス瑠偉プロフィール
1957年2月9日、リオデジャネイロ(ブラジル)生まれ。
1989年11月、日本に帰化し、1990年北京アジア大会、
1992年アジアカップ、1993年ワールドカップ予選などで日本代表の中盤をリードした。
竹を割ったような性格で、厳しく文句も言うけれど、一方で面倒見の良さでも知られている。

オフィシャルウェブサイト
リストランテ・カリオカ