GAFA」の4社の時価総額は、日本のGDPの5割を超える。1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた日本企業は足元にも及ばない。なぜここまで差がついたのか。神戸大学大学院の栗木契教授は「経営用語の使われ方の変化から、日米の根本的な違いが読み取れる」と指摘する――。
GAFAがビジネスモデルの形を劇的に変えた(写真はシアトルのアマゾン・ゴーの店舗 写真=iStock.com/SEASTOCK)

■日米の逆転はいつどこで始まったのか

1990年代後半のインターネットの商用化以降、世界の成長企業のあり方は変わった。アメリカの企業群であるグーグル(Google)、アップル(Apple)、フェイスブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)のGAFAは、「神にも擬せられる力をもつ」とまでいわれる。共通するのは、市場の変化をとらえた戦略を大胆に編み出していくマネジメント能力の高さである。

GAFAはインターネットという市場を貪欲に開拓した。検索エンジン、音楽配信、SNS、eコマースなどの領域で、新しい稼ぎ方をいち早く見いだしていった。一方、日本の主要企業は、品質の高い製品を提供する管理能力には優れていたが、従前のビジネスモデルにとらわれてしまった。

この差は、時価総額の違いに現れる。GAFA4社の時価総額の合計は2018年11月末時点で300兆円を超え、日本のGDPの50%を上回る。日本企業の時価総額トップ4は、トヨタ、ソフトバンク、NTTドコモ、NTTだが、足し合わせたところで50兆円程度にしかならない。

振り返ると、日本企業の絶頂期は1970年代後半から80年代だった。ちなみにエズラ・ヴォーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が発刊されたのは1979年である。戦後の苦難の時期を経て日本がアメリカに追いついたかに思われた。しかしこの時期にすでにアメリカでは、ビジネスをめぐる社会の関心の変化が生じており、これが、その後の日米の再逆転につながっていったのではないか。

以下では、「Google Books Ngram Viewer」という分析ツールを使いながら、この社会の知識にかかわる歴史問題の存在を明らかにしていく。

■世界最大のデータベース・グーグルの世界図書館の恩恵

グーグルは世界の図書館と提携し、書籍のデジタル化を進めてきた。「Google Books Ngram Viewer」は、その恩恵を無料で利用できるツールだ。1500年以降に出版された本のうち、デジタル化された数百万冊の全文データから、特定の単語の出現頻度を検出することができる。

留意点を確認しつつ、分析のデザインを述べていこう。Google Books Ngram Viewerの検索対象には、日本語文献は含まれておらず、英語文献についても同期間のすべての出版物を網羅しているわけではない。しかし、このデータベースは現時点では世界最大のものであり、言語の使用状況を検討するうえでの有力なツールであることは間違いない。

■単語の使用頻度が人々の社会における関心の指標

広く書籍のなかで、どの単語がどのような頻度で使われるか。その変化を見ることで、社会における人々の関心の変化をとらえることができる。ひいては今がどのような時代かが見えてくる。

Google Books Ngram Viewerは対象データが2008年までに制限される。逆に1500年までさかのぼれることから、このツールは直近の変化ではなく、歴史的な動向を俯瞰するのに向いている。

図表1は、Google Books Ngram Viewerを使い、ビジネス分野の主要単語の使用頻度が歴史的にどのように変化してきたかを検索した結果である。対象期間は1700年以降、2008年までである。

Google Books Ngram Viewerを生かすには、用いる単語の設定をうまく行う必要がある。歴史を俯瞰しながら、今を考えるには、どのような単語が望ましいか。そこにはさまざまな選択がありうるが、今回は現代のビジネスに欠かすことのできない概念を取り上げることにした。

そこで注目したのが、英語圏を中心としたグローバルなビジネス教育におけるMBAの影響力の大きさと、その基幹科目の構成である。MBAとは経営管理の修士号(master of business administration)であり、戦略(strategy)、マネジメント(management)、マーケティング(marketing)、ファイナンス(finance)、会計(accounting)などの諸学が基幹科目として定着している。さらに経営学が企業経営を、市場(market)と組織(organization)の相互作用の問題ととらえてきたことを踏まえて、今回の用語選定を行った。 

なお、Google Books Ngram Viewerを使用する際には、1単語が単位となる。そのために組織行動(organizational behavior)、人的資源管理(human resource management)、サプライチェーンマネジメント(supply chain management)のような、複数の単語を組み合わせなければビジネス上の概念とはならない用語については、今回の検討の対象外となる。

■歴史上いつ、ビジネスという言葉は活発に語られるか

以上の単語を用いて300年の歴史を振り返ることで、何が見えてくるか。図表1で注目したいのは、ビジネス(business)という言葉の使用頻度が急増する時期があることである。

300年の歴史のなかで、ビジネスという言葉が活発に使われるようになる第1期は、18世紀後半であり、第2期は19世紀後半から20世紀初頭にかけてである。第1期は、蒸気機関と機械化による第1次産業革命、第2期は電力と大量生産による第2次産業革命の時期と重なる。

その後のビジネスへの言及は20世紀の中盤には低下していく。意外に思われるかもしれないが、第2次世界大戦を間に挟む50年ほどの時期は、ビジネスの冬の時代だった。しかしビジネスへの関心は、1970年代以降に再び上昇期を迎える。これは、ITがもたらした第3次産業革命の時期と重なる。

新しい動力や生産方法や情報処理などの技術の登場は、市場のフロンティアを広げる。そして人々はビジネスを語りはじめる。このような関係が見てとれる。

■「MBA」が得意とするのは巨大組織の舵取り

さてMBAは、以上のビジネス・ブームの第2期の産物である。第2次産業革命が第1次産業革命と異なるのは、その結果としてスタンダード・オイル、J.P.モルガン、USスチール、デュポンといった巨大な近代企業が、さまざまな産業において続々と誕生したことである。

そして社会は、成功をおさめた産業界の巨人をいかにコントロールするかという課題に新たに直面することになる。国家レベルでは、市場メカニズムの維持が課題となり、カルテル規制や独占規制などがはじまる。個々の企業にあっては、創業者が残した巨大組織の舵取りを引き継ぐ人材が必要となる。これにこたえて、ハーバード大学をはじめとするアメリカの諸大学がMBAという教育プログラムをつくり、拡充していく。

そこでMBAの基幹科目となっていったのが、先に挙げた戦略、マネジメント、マーケティング、ファイナンス、会計などの諸学である。図1では、これらの言葉の使用頻度が、20世紀の初頭から高まっていったことが見てとれる。

それだけではない。さらに大きな転換が、ビジネス・ブームの第3期の到来とともに起きる。

■70年代以降に重要な言葉は「市場」だった

今回の検索で用いた単語の選択にあたっては、対となる概念を取り入れることに留意した。組織(organization)と市場(market)はともに、社会にあって人々の協調と競争を引き出す制度にかかわる概念である。

20世紀の初頭以降は、組織――すなわち目的が共有され、指示や命令がはたらく場――への言及が優勢な時期が続いた。しかし1970年代以降になると、市場という組織の外部に広がる場への関心が高まる。

マネジメント(management)と管理(administration)という、人々を動かし、事を成し遂げる方法にかかわる概念についても、1970年代以降になると、より柔軟で、創発性に富んだマネジメントという言葉――この言葉には「飼いならす」という、組織(畜舎)の外にある市場(野生)への対処のニュアンスがある――の使用頻度が高まる。

そして、マーケティング(marketing)、ファイナンス(finance)、会計(accounting)といった各種のビジネスの職能にかかわる言葉を押さえて、戦略(strategy)という、これら職能に横串を指し、変化への反応を統合的に行うことにかかわる言葉の使用頻度が1970年代の前後から急速に高まっていく。

第2期のビジネス・ブームが20世紀中盤の社会にもたらしたのは、近代企業という、機械仕掛けの装置のような巨大組織と、その管理の問題への関心だった。しかし1970年代以降になると、この組織の外側に広がる市場という大海原、そしてそのもとでのビジネスの舵取りにかかわる戦略やマネジメントといった概念が注目を集めるようになっていく。

■日本企業が絶頂期の裏側でなにが起きていたか

1970年代の前後。これはどのような時期だったか。日本はこの時期に、高度経済成長を果たし、バブルともいわれる空前の好景気に酔っていた。

一方でこの時期以降、ITを用いた革新的なビジネスモデル、あるいは新しいスタイルで経営を行う企業が続々と登場していく。早くも1965年には、IBMが当時としては画期的だったシステム/360をリリースする。それ以降、大型コンピュータを本格的に導入する動きが、政府や企業で相次ぐ。

1975年にはマイクロソフト、1976年にはアップル、1977年にはオラクルといった企業が誕生する。インターネットの商用利用については、1990年代を待たなければならないが、1980年代には先行して社内ネットワークの利用が本格化していく。

グローバルに見てこの時期は、日本企業の絶頂期だった。「アメリカを追い抜いた」との主張も珍しくなかった。しかしその成果を支えていたのは、ジャパン・クオリティ、すなわち工業製品の高い品質だった。日本企業が優れていたのは、戦略を大胆に組み替えるマネジメント能力ではなく、製品の改善を素早く行い、着実に品質を高めていく組織の管理能力だった。

■「ものづくり大国」を標榜していた日本の時代遅れ

同じ時期に、アメリカをはじめとする英語圏の人々の関心は、第3次産業革命に反応したものへと変化していた。新たなビジネスへの関心の高まりの核心は、組織ではなく市場、管理ではなくマネジメントだった。Google Books Ngram Viewerを使うことで、このような転換が生じていたことが確認できる

しかし日本は、この転換を横目に「ものづくり大国」を標榜していた。結果はどうだったか。携帯型音楽プレイヤーにおける日米の企業間のマーケティング競争が、21世紀の幕開けの時期に勃発する。アップルはiPodで、インターネット経由の音楽利用の新たなスタイルを切り拓いていった。これに対してソニーは、ウォークマンの音質の高さで対抗した。

アップルは市場を飼いならすことに挑み、ソニーは組織のなかで品質を磨くことに注力した。そして軍配はアップルにあがった。今にして思えばこれは、成長企業のあり方の歴史的な転換を象徴するできごとだった。

GAFAを生んだアメリカと、日本の逆転。日本企業の絶頂期にあってアメリカではすでに、ビジネスをめぐる人々の関心のシフトが広がっており、この知的潮流のなかから、GAFAをはじめとする新しいビジネスの実践に挑む企業家群が生まれていった。社会における知識のダイナミズムが、ビジネスの歴史を動かしていくのだと思わされる。

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栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『デジタル・ワークシフト』、『マーケティング・コンセプトを問い直す』、などがある。

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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契 写真=iStock.com)