男子テニスシングルス世界ランキング3位のロジャー・フェデラー【写真:Getty Images】

写真拡大

元ATP広報部長が想い出を証言「彼はコート上の駄々っ子だった」

 男子テニスシングルス世界ランキング3位のロジャー・フェデラー(スイス)は、8月8日に36歳の誕生日を迎える。先のウィンブルドンでグランドスラム最多優勝回数を塗り替えるなど圧倒的な実力を誇り、コート外での振る舞いでもスポーツ界屈指のジェントルマンとして称賛を集めるが、若き日は悪童として名を馳せた。紳士に生まれ変わるきっかけとなったのは、愛する恩師の身に起きた悲劇だったという。

 週間テニスラジオ番組「ザ・テニス・ポッドキャスト」で、元ATP広報部長のデビッド・ロウ氏がフェデラーの思い出について語った。

「我々は数え切れないほどの大会に同伴した。彼はメンタル的に崩れると並以下のパフォーマンスを見せてしまう。感情的になって、ラケットを投げつけることもあった。彼は赤ちゃんのようだった。正直、彼はコート上の駄々っ子だったんだ。ただただ未熟で、少し(成長まで)時間がかかったね」

 のちにフェデラー自身もかつての自分を恥じる発言をしているが、ロウ氏によれば、若き日はラケット破壊や審判への抗議といった“問題児ぶり”は日常茶飯事だったという。

我が道を進む16歳当時…「とても怠惰で、無頓着な感じでコートにやってきた」

 元世界ランキング9位でスイスの先輩であるマルク・ロセ氏も、同番組で16歳当時のフェデラーについて回想している。

「最初に彼と練習した時のことを覚えているよ。彼はスイスの新星だったけれど、とても怠惰でね。普通なら若い選手はツアー中の練習でちょっとぐらい緊張するものだよ。良いプレーを見せたいから、すごくナーバスになる。ただ、彼は全く無頓着な感じでコートにやってきた。ワォって感じだったんだ」

 テニス界に限らず多くの選手や人々や選手から尊敬される今の姿からは想像しがたいが、先輩への気遣いはいっさい感じられないほど、我が道を進んでいたとロセ氏は言葉を続ける。

「(フェデラーのかけている音楽が)とにかくうるさくてね。ピーター・ラングレン(スウェーデン出身の元プロテニス選手)が、マイアミでレンタカーからつまみ出したんだ。(ハードロックバンドの)AC/DCにうんざりしていたからね。彼は大声で絶叫していた。みんな、ロジャー・フェデラーがどんなに元気なヤツだったのか分からないだろう。ラウド系の音楽がどんなに好きか、ということを」

 番組内では、ロッカールームでライバルやプロレスラーのモノマネに興じるなど、“やんちゃ”そのものだったエピソードが紹介されている。

指導を受けたカーター氏が他界、悲しみを乗り越えて翌年にウィンブルドン初制覇

 ロウ氏は「あんなエネルギーで無茶をする人間を私は2度と見ることはないだろう」と少年フェデラーを評したが、生まれ変わるきっかけは突然やってきた。

 フェデラーが21歳となった2002年。9歳から18歳まで指導を受けたオーストラリア人コーチのピーター・カーター氏が交通事故に遭い、37歳の若さで他界したのだ。

「フェデラーは打ちひしがれた。これがフェデラーを信じられないほど急速に成長させた。なぜなら、それまで彼は死について考えることがなかったんだ。彼は一度立ち止まった。悲嘆に対応するために、長い時間を要したんだ。ともに旅をし、毎日顔をあわせて自分が熟知する大切な人間だったからね。フェデラーにとっては大きな痛手になったが、悲しみを乗り越えることでフェデラーは少年から大人になったんだ」

 ロウ氏はフェデラーが「少年」から「大人」になった過程について、このように証言している。

 苦楽をともにした恩師との別れ――。それはラケット破壊などの“悪童”の自分との決別でもあった。そして、カーター氏の事故から1年後、フェデラーはウィンブルドンを初めて制し、グランドスラム初勝利を手にしている。

 若き日に味わった悲しみとそれを乗り越えた自信。その2つがレジェンドに上り詰めた根源にあり、今もフェデラーを支えているのは間違いないだろう。