玉寿司 代表取締役社長 中野里陽平氏(左)とアイディール・リーダースのエグゼクティブコーチ・丹羽真理氏(右)

写真拡大

築地に本店を置くすし店「築地玉寿司」。手巻きずしの元祖であり、食べ放題メニューや手頃な価格で人気のチェーンすし店だ。その社長は現在、すしの「大学」をつくろうとしている。「親方について3年かかる修行を、3カ月の研修に変えたい」と語る中野里陽平社長に取材した。

対話を通じてさまざまな課題を解決し、目標や夢を実現することを目指すコーチング。その中でも、経営者に特化したコーチングが「エグゼクティブコーチング」である。本連載では、実際に各社の経営者にエグゼクティブコーチングを受けてもらって、その内容を誌上で再現してきた。

これまで本連載では、「店長をどう育成したらよいか」「管理職になりたがらない社員をどう変えるか?」「高品位ブランドでどう存在感を出して行くか」「次世代に何を残していくか?」といった経営者たちの悩みに対して答えを導き出してきた。今回は少し趣向を変え、こうした悩みをコーチにぶつけ、その結果導き出された方向性や仕組みを、経営者がどのように実現したかという事例を聞いていく。

今回お話を聞いたのは、玉寿司の中野里陽平社長。同社が展開する「築地玉寿司」は、手巻きずしの元祖として知られる人気チェーン店だ。中野里社長は4代目として会社の再建に尽力し、ここ1〜2年は「大学」「舞台」など、一見すし店とは関係のなさそうな新しい仕掛けづくりに奔走している。なぜそのような取り組みを行っているのか、取材した。

■手巻き寿司を巻く数、年間100万本

【丹羽】この連載はこれまで、経営者の方にエグゼクティブコーチングを実際に受けていただくという形でやってきたのですが、今回はこれまでとは趣を変え、コーチングを受けて方針を定めたあと、実際に経営者がどのように悩みを解決し、組織を変えていったのかという事例を伺っていければと思います。まず、玉寿司がどういった会社なのかを教えてください。

【中野里】玉寿司は大正13年創業の老舗で、昭和46年に「手巻き寿司」を初めて提供した寿司店です。私の父が社長をしていた時――高度経済成長のころ、次々と生まれた「駅ビル」への出店を加速させたことで成長しました。バブル崩壊後は、厳しい時期も続いたのですが、2003年に私が4代目として経営を引き継ぎ、現在は直営29店舗を全て「寿司職人の居る寿司屋」として展開しています。従業員は650名、うち正社員が230名です。「気軽に、でもいい寿司を食べたい」というニーズに応えることをモットーに、手巻きは年間100万本巻いています。

■離職率4%の秘訣はコミュニケーション

【丹羽】2016年、船井総研の「グレートカンパニーアワード」も受賞されていますね。

【中野里】「働く社員が誇りを感じる会社賞」という賞を頂きました。玉寿司の特徴は、従業員の離職率が低いことも挙げられるのです。飲食業界は離職率が30%を超えるのですが、弊社はこれを4%にとどめている点が評価されました。

【丹羽】4%! それは一般企業を含めて見てもかなり低い数字ですね。驚かされます。

【中野里】特に板前さんというのは、お店を渡り歩く方も多く、彼らの中でのネットワークがあります。そこで「長く働くなら玉寿司」という評価を頂いているようです。29店舗全員で行う朝礼や私も年に2回全社員と面談を行ったり、「社内すし技術コンクール」を開催したりと、コミュニケーションのあり方には力を入れています。

寿司は今年創業94年になるのですが、これからは社員が自発的に問題・課題に向き合って解決していく、いわゆる「自走式」の会社にしたいと考えています。10年前、私が32歳の時に会社を継いだのですが、当時は借り入れも多く、財政面の整理もしながらの経営再建を行ってきました。その間のマネジメントはトップダウン、自分が率先して何でも決め、実行していく、というスタイルだったのです。

【丹羽】再建にあたっては、リーダー主導で物事を進める必要がありますね。

【中野里】その結果、売り上げも伸びて約10年で経営状態も改善されましたが、そのままのスタイルで行くのは限界がある、とも感じたんですね。次の100周年に向けて、より良い会社とはどういうものなのか? と考え、スターバックスさんなど他社の事例を調べたのです。そうすると、社員が主体的に動く、という共通点があるように感じたのです。

【丹羽】その通りですね。非常時にはトップダウンが有効な場面も多いですが、会社が大きくなってくると、トップが現場で起きていることのすべてを的確に把握し指示を出すことが難しくなってきます。また、このようなスタイルだと、社員は「上から言われたことに対応すること」が仕事になるため、本当に必要なことを自分で考えて取り組む人が少なくなってしまいますね。その結果として、次第に「やらされ感」で仕事をする人が多くなり、モチベーションも下がっていく……。これまでのコーチングでも「熱狂する社員」などを例にモチベーションのあり方について考えたりもしました(参照:「褒めてほしい」若手社員をどう育てる? http://president.jp/articles/-/21198?page=5)。

■新入社員が学ぶ「玉寿司大学」

【中野里】社員からアイデアを引き出すようなコミュニケーションはどのようにしたら生まれるのか? 実は私も2012年からコーチングを学んだり、アドバイザーを招いたりして、私自身、そして組織の文化や体制を変えようという取り組みを始めたのです。そこから生まれたのが、「玉寿司大学」です。まさに今年から始まったばかりなのですが。

【丹羽】大学、ですか。

【中野里】はい。今年は9人の新入社員が学び始めています。昨年までは新入社員を現場(店舗)にいきなり送り込んでいたのですが、まず育成をしっかりやろう、と考えたのです。

寿司職人の世界は徒弟制なのですが、これを変えたいというのは僕の夢でもありました。包丁の入れ方、熱を加えるタイミングなど、何をどう調理すればおいしい寿司ができるのか? ノウハウも不透明なのを体系化された明確なカリキュラムにしたい。この大学作りから自走式で、人間力・接客・調理技術といった具合に分野ごとに役割分担して構築してきたものなんです。

【丹羽】徒弟制の打破と、自走する組織の両方を形にされたわけですね。

【中野里】実は寿司の世界では、かなりの部分が明文化されておらず、暗黙知になっています。ですので、カリキュラム作りは大変でした。特に、考えるまでもなく「当たり前」としてやっていることを文章にしようとすると、「なぜそうするのか」がきちんと説明できないといけない。これが難しいのです。徒弟制の世界では起こりがちな「俺流」「ウチの店ではこうやっている」といったケースも、何が正解なのか人によって意見が分かれることが多い。これから新人にまず教えるとすれば、どういった方法を伝えるのがより良いのかを、ベテランの職人も一緒になって話し合わなければなりません。その作業を通じて、教える側も学べる部分が非常にあるはずなんですね。

この作業は各店の29人の店長たちが中心に頑張ってくれましたが、自分が責任を持つ店の事だけでなく、40歳前後とまだ若い彼らが会社全体の未来を考え、創り出すことができるということで、みな楽しんで取り組んでくれていたと思います。

■「修行3年」を「研修3カ月」に

【丹羽】自走式に至るまでには課題はありましたか?

【中野里】はじめはやはり温度差がありました。店長たちと、その下にいる主任や一般社員との間、あるいはアルバイト・パートさんとの間の温度差ですね。これは今でも、温度差があって当たり前なのか、それともそこも底上げが必要なのかは悩んでいるところです。店長と全く同じレベルは難しいのはもちろんなのですが、情報共有をどのように図るか、など――全員を巻き込むとなると人数が多くなりますからね……。

とはいえ、まずは、この玉寿司大学を通じて、体系だった教育をしっかりと行っていきたいとは思っています。従来現場で3年かかっていた修行を、3カ月の研修でものにできるようにするということですね。そのために、例えば、職人の包丁さばきを映像に撮り、新人と何が違うのかを科学的に比較するといったことにも取り組んで行きます。

【丹羽】なるほど。対象はあくまで新入社員なのでしょうか?

【中野里】まずは新入社員ですが、その後は中途採用の方や、いま働いている職人さんにもその範囲は広げていきたいと思います。調理技術だけでなく、玉寿司の歴史・理念や接客のあり方なども学べる場にしていきたいなと。大学を通じて、そういった取り組みを継続していくことで、先ほどの温度差も小さくなっていくのではないか・自走する組織に近づいていくはずだという狙いがあります。ただ、いずれにしても組織全体に大学の効果が行き渡るのはおそらく10年くらいかかるでしょうし、そのつもりで私も腰を据えて取り組むつもりです。

実は玉寿司では、取引のあるビール会社さんにも協力してもらって各店舗に覆面調査も行っています。その活動を通じて、玉寿司としての品質が各店舗で確保されている面もあるのですが、さらなる技術と品質の向上を目指すために、この大学を生かしたいなとも考えています。現場としても、3カ月で理論的に裏付けされた技術が磨かれた新人を迎え入れるわけですから、先輩としてもちゃんと勉強しておかないと逆転されちゃうよ、なんて話していたりもしますね(笑)

【丹羽】なるほど(笑)。それにしてもミステリーショッパー(覆面調査員)を、ビール会社からというのはうまい方法ですね。

【中野里】相談してみたところ、快く協力してくれまして。もう3年になりますね。

■会社と築地の「物語」を伝え、共有する

【丹羽】先ほど理念の共有というお話もありましたが、玉寿司大学以外にもユニークな取り組みをされているとか。

【中野里】はい。実は2月に「こと〜築地寿司物語〜」という舞台公演をやりました。私の祖母――戦後の混乱のなか寿司職人として玉寿司の2代目を担った女性ですが、彼女の生涯を描いたものです。豪華なキャストやスタッフ(編注:主演は鳳恵弥さん。他に佐伯日菜子さん、元AKB48で現NMB48メンバーの市川美織さんなどが出演。音楽はTM NETWORKの木根尚登さんが担当)にも恵まれ、おかげさまで1600人以上の方にお越しいただきました。

【丹羽】これはすごいですね。

【中野里】玉寿司の歴史を……というよりも、今いろいろと揺れている築地の原点を、命がけで築きあげた人々を描きたかったということもあります。実際、当時の店は空襲で焼け、祖父は戦死したところからの再出発でしたので。彼女は子どもたちの足かせになることをさけるため、国からの支援も受けずにわずかな私財をなげうってゼロから事業を再建しました。そのいきさつを知っているので、僕もリーマンショック後の時代を同じように、M&Aなどに頼ることなく、のれんと社員を守りながら乗り越えることができたのだと思っています。

【丹羽】源流、物語を共有されることは大切ですね。著名な心理学者である河合隼雄氏も「神話」の重要性を指摘しています。

【中野里】そうですね。ただ社史を年表で見るとか、講演で聴かされるというよりも、共感してもらいやすいと思います。もともと時事通信社から出していただいていた祖母の伝記を元にしたものなのですが、舞台プロデューサー、演出の方からも大いに共感していただいて舞台化が進みました。

■社員の高齢化にどう対応するか

【丹羽】そういった価値観が共有されているからこその、極めて低い離職率なのですね。

【中野里】そうですね。玉寿司よりも高い報酬を提示されて、いったんはよそに移った職人さんも、「やっぱり玉寿司の方が良かった」と戻ってこられる方も結構おられますね。

一方で、長く働いていただけるということは、どうしても高齢化が進むということでもあります。玉寿司でも、定年を迎える社員が増えてきており、退職金の比率も高まっていますね。また、現在勤務している社員の中でも、体調を崩す人も増えていますし、当然生産性も落ちてきます。これは日本全般に言えることですが、人手不足・財政負担ともなりますね。

【丹羽】具体的に何か対策を打たれていますか?

【中野里】毎日今までのようには働けない。けれども自分の技術を生かして、寿司を握り続けたい、という人には雇用契約を変え、週3回の勤務でお願いしているケースもあります。もちろん、ファンがついている方など、われわれとしてはその方の能力を見極めてから、ということにはなりますが。

【丹羽】人材の育成にも力を入れておられるわけですが、そこに加わる人材の確保については、何か工夫されていることはありますか?

【中野里】寿司職人の求人といえばスポーツ新聞に3行広告を出すといった形が一般的だったのですが、私はそれを全て止めました。インターネットなど、カラー写真を交え、職場の雰囲気がよく伝わる形の広告に切り替えたのです。結果として採用率が40倍になったこともありました。飲食業界全般に人手不足が叫ばれていますが、玉寿司は実はほとんど困っていないのです。今回作った玉寿司大学も、新卒採用にはプラスに作用すると思いますし、技術コンクールの存在は、腕を磨きたい職人にもアピールできているはずです。

■高校生の採用のため、マンガ冊子を制作

新人の職人の採用にあたっては、全国およそ80の水産高校に「マンガ」を配布しています。寿司職人になりたいという学生さんは、ちょっと面白い、変わった方も多いのですが、彼らを確実に一本釣りしていきたいという思いからです。「江戸前寿司の職人がいる寿司屋は100年たっても生き残る」。そうした考えを先代から受け継ぎました。職人がやりがいを持って働ける環境作りはこれからも一貫して押し進めていきたいですね。

【丹羽】離職率の低さのみならず、人材不足にも悩まされていないというのは、同業の方のみならず、一般企業の方からも学ぶべき点が多くあると思いました。本日はお忙しい中、ありがとうございました。

■最後に

エグゼクティブコーチングを切り口に、さまざまな業種・企業の取り組みを見てきた本連載。「相談に訪れた時点で、問題の多くは解決している」という言い方もできる。たとえ悩みがあっても、それをこのような公開の場に赤裸々に提供し、解決・示唆を得る過程を公開しよう、という決断がある時点で、その経営者の姿勢は非常に前向きで、問題の解決に一歩を踏み出していると言えるからだ。

エグゼクティブコーチングはその歩みに並走し、当事者では気付かない道筋を示す存在だということも、連載を通じて読者にも体験いただけたのではないかと思う。エグゼクティブコーチングのセッションを誌上で再現してきた本連載は、今回でいったん最終回を迎える。改めて取材に協力いただいた経営者の皆さんに感謝し、連載を締めくくりたい。

----------

エグゼクティブコーチ 丹羽真理(Ideal Leaders株式会社 CHO)
国際基督教大学卒業、英国サセックス大学大学院修了後、野村総合研究所に入社。エグゼクティブコーチングと戦略コンサルティングを融合した新規事業IDELEAに参画。2015年4月、人と社会を大切にする会社を増やすために、コンサルティング会社、Ideal Leaders株式会社を設立し、CHO (Chief Happiness Officer) に就任。上場企業の役員・ビジネスリーダーをクライアントとしたエグゼクティブコーチングの実績多数。社員のハピネス向上をミッションとするリーダー「CHO」を日本で広めることを目標としている。

----------

(Ideal Leaders CHO 丹羽 真理、玉寿司 代表取締役社長 中野里 陽平 構成=まつもとあつし)