疎遠だった父親から届いた「突然のメール」 一緒に暮らした期間はごくわずか…それでも「親と同じ墓に入るか」との問いにどう答えたか
先日、東京・多摩地区に住む80歳の父親からメールが届いた。この1年半で3通目のメールだ。受信通知を見た瞬間、「死」のにおいを感じた。というのも、2025年1月のメールは叔母(享年71)の、今年5月のメールは、家族ぐるみで付き合いのあったさる一家の母親(享年92)の訃報だったからだ。【中川淳一郎(ネットニュース編集者)】
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「墓をどうしたいのか」という問い
今回の件は訃報ではなかった。そうではなく、「墓」をどうするか、私(52)と妻(42)の意向を聞くものであった。メールが届いたのは7月1日で、2日後に都営霊園の申し込みが締め切りを迎えるため、急ではあるが返事が欲しいとのことだった。なお、両親とも年内に81歳になる。

最近、“親のサブスク契約を解約するのが大変だ”、といった内容の記事が大きな反響を呼んだ。そうしたこともあり、第一次ベビーブーム世代がこれから次々と亡くなる中、「親の墓問題」は多くの人が考えるべき重要なテーマであろう。そして数十年後、今度は自分が「墓問題」の当事者となっていく。
以下、父親から来た墓をめぐるメールの内容だ。父は三男のため、実家の墓には入らない。私の姉は結婚しており、夫の墓に入ることになる。そんな中、「お前と〇〇さん(妻)はどうしたいか?」と問われ、判断するための前提材料を送ってきてくれた。
・「一般墓地」(いわゆる「〇〇家の墓」)を利用する場合は遺骨があることが前提条件のため、生前申し込みができるのは「合葬埋蔵(樹木葬や納骨堂的なもの)」のみ。ただし、申し込み体数は1〜3体限定。
・よって、私と妻が両親と同じ墓に入ることを考えている場合、都立霊園ではなく、両親が元気なうちに民営霊園を購入しておくのが最善。
・その場合、宗派不問(檀家義務なし)、永代供養(継承者不要)の簡素なもの(樹木葬や納骨堂的なもの)に加え、地理的な利便性と「4体以上」を入れられる5か所を選んだ。この中で我々夫婦が良いと思うものを選んでほしい。
※ここで「4体以上」とあるのは、我々に子どもが誕生した場合のことを考えているわけだ。霊園によって「〇体以上可」は異なるので、そうしたことも墓選びには考慮が必要。
・もしも我々と一緒でなくてもよいということなら、都立霊園を2体で申し込もうと思うので、都立申込期限である7月3日(金)の昼くらいまでに連絡を。
・昨年度の都立霊園競争率実績は、4倍(多摩樹林型)〜36倍(小平合葬埋蔵)と高いので、申し込んでも外れる可能性が高い。結局民営霊園を買うことになる公算が大きいが、取り敢えず応募はしてみる。
最後に一緒になるかどうか
社会人になってから父親とは疎遠になっていたものの、こうして自身の「死」を考えたことで連絡をしてきてくれたのは正直嬉しかった。今回の連絡については、「業務連絡」的な意図は当然ありながら、妻は「あなたがお義父さんを嫌っていて、同じ墓に入るのはイヤだと思っているかどうかを確認したい、というのが一義的な意図だと思う。だから『入りたくないワケがない』という返事をして」と言った。
世の中の多くの父子より、我々は疎遠度合いが高いだろう。この20年で10回ぐらいしか会っていない。そのうち2回は葬式である。そんな父親と「最後に一緒になるかどうか」といった実に重い問いかけをしてきた。だから、最初は一瞬戸惑ったものの「私はあなたを嫌っていない」の意思を伝えるべく、こう返事をした。
「一緒に入りたくない、なんてことはあり得ません。ただ、我々にとっては恐らく20〜35年後の話なので、その時の社会状況とかも踏まえて直前で判断したいと思います。ですから、両親にとって現状最良の選択をしてください。それは立地面、費用面なども含めてです。お気持ちはありがたいですが、今はお二人にとって一番いいと思われる買い物をしてください」
家族会議の必要性
父親は私が4歳時の1977年、32歳でインドネシア赴任となり、1984年まで2年に1回帰ってくるだけだった。そこからアメリカ赴任をする1986年までは日本で一緒に暮らしたが仕事が忙しく、遊んでもらった記憶はほぼない。1984年の5月に駅近くの百貨店でファミコンを買ってくれたことぐらいしか覚えていない。
結果的に1987年10月から母と姉と私は父が待つアメリカに引っ越すが、過ごした期間は4年9ヶ月。日本に戻った大学時代も彼はアメリカにおり、私の社会人1年目の1997年のみ日本にいた。たまたま勤務地が2人ともJR田町駅だったため、1年間は一緒に通勤をした。だが、これが彼と一緒に住んだすべての期間である。再び彼は1998年にアメリカへ行った。
4歳までの記憶はないため、記憶がある期間、父親と過ごしたのは約7年。もうすぐ53歳になるため、46年は離れていることとなる。そんな父親からの「墓」に関するメールは、血縁の重さを思い知らされるとともに、両親の「終活」さらには「空き家の片づけ」「墓じまい」すべてを託された気持ちになった今回の1本のメールであった。
それと同時に、サブスクをどうするか、遺産をどうするか、父母で残った方をどのように対処すべきか、といったことも考えねばなるまい。姉は名古屋、私は佐賀県唐津市と実家のある多摩地区から離れているが、一度家族会議をする必要性も同時に感じたのである。
ネットニュース編集者・中川淳一郎
デイリー新潮編集部
