《ドラフト秘話》阪神の名スカウトが語る「赤星憲広」4位指名の舞台裏…野村克也監督との知られざる攻防

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2005年、球団として9度目の優勝を飾った阪神。ショートのポジションには全試合スタメン出場を果たした鳥谷敬がいた。

早稲田大学時代に密着マークをして自由枠での獲得に漕ぎつけたスカウトの菊地敏幸氏にとっても感慨深い優勝となったが、不動のセンターとして躍動した赤星憲広の阪神入りも菊地氏の仕事だった。

入団時は身長170センチ、体重66キロ。小柄でプロでは通用しないという見方もある中、菊地氏には活躍を確信した瞬間があった。

前編記事『大卒時はドラフト指名漏れ、五輪では代走・守備要員…名スカウトが明かす「阪神不動のセンター・赤星」が誕生するまで』より続く。

野村克也監督が土壇場でかけた「待った」

この年のドラフト上位指名は即戦力投手の方針で1巡目は逆指名で藤田太陽(川崎製鉄千葉)、2巡目はウェーバーで伊達昌司(プリンスホテル)を獲得しました。

他球団で赤星を評価しているという話はドラフトの前も、終わってからも聞くことはなかったのでどの順位でも獲れたかもしれませんが、4位を想定していました。3位で前橋工業の捕手の狩野恵輔を指名した後、ドラフト会場のテーブルについていた私はすぐに進言しました。

「赤星、行きますよ」

内心に一抹の不安があり、それを払拭したかったのですが、「待った」がかかりました。

「沖原を上に上げろ」

声の主は監督の野村克也さんでした。当時の阪神のショートは田中秀太がメインで守っていたのですが、野村さんは心もとないと感じており、ショートの選手を欲しがっていました。ドラフト会議の2、3週間前のスカウト会議でもシドニー五輪で「1番・ショート」で躍動したNTT東日本の沖原佳典の名前を挙げていたのです。

野村さんは後々、「ドラフト会議の前に赤星の名前は編成からまったく出てなかったが、当時の阪神には足の速い選手が必要だと感じて取ってもらった」と振り返ることがあったのですが、これは勘違い。前述のドラフト会場での発言からもわかるように、赤星を高くは評価していませんでした。自分が推していた沖原を赤星と思い込んでしまっての発言なのでしょうね。

担当スカウトは「反対」だった沖原のプロ入り

私は沖原の担当も務めていたのですが、実はプロ入りには反対でした。プロでも1軍でプレーできるのはわかっていました。しかし、その時点ですでに28歳。結婚もしており、子供もいました。そういう選手を、私は推薦できない。NTT東日本なら将来も安泰ですしね。

関西の担当スカウトがデュプロの藤本敦士を推しており、こちらは23歳。私は沖原を獲りたくないから、そのスカウト会議でも担当スカウトに強くプッシュしろと言っていたくらいです。その場では藤本は絶対に獲れますということで、野村さんも一旦は納得していたのですが、その夜、監督付広報から連絡が入りました。

「監督がどうしても沖原が欲しいと言っています」

そこまで言われては動かないわけにはいきません。後日、NTT東日本に出向き、野村監督の意向を伝えて沖原と話をさせてもらいました。沖原はプロ志望が強く、「何年間だけになったとしてもプロに行きたいです」と訴えてきました。NTT東日本の監督もプロに行かせるのは問題ないとのことでした。それでも言わせてもらいました。

「頑張って人間性も評価してもらえれば、引退後も球団に残れる道があるかもしれないけど、保証はない。NTT東日本にいた方が将来は安心だろう。結婚もしたばかりだろ」

「はい。そうなんですけど、チャレンジしたいです」

あとになって聞いたのですが、当時、沖原のお父さんは車椅子生活をされていて、プロでプレーしている姿を見せることが少しでも励みになればという想いも持っていたそうです。

実際、沖原は1年目から1軍で戦力になって、その雄姿をお父さんに見せている。05年のシーズン途中に楽天に移籍し、08年に引退。8年間の現役を終え、楽天で球団職員やコーチを経て、現在は希望していたスカウト職に就いています。

沖原の強い覚悟を確認して、指名する旨を伝えましたが、「ただ、順位は下になるぞ」と隠さず告げました。私の中では赤星の方が評価は高いですし、JR東日本にも早い段階で獲ることを言ってある。そこのバランスは取らないといけないですからね。

「ここは赤星で行きます」野村監督を説得

ドラフト会場で野村さんに異を唱えました。

「ダメです。沖原はこの後でも間違いなく獲れます。ここは赤星で行きます」

すんなりとは首を縦に振ってくれなかった野村さんをなんとか説得。4位での赤星指名に漕ぎつけ、沖原も首尾よく6位で指名できました。ドラフト会場に入れるスカウトは4人ほどで、毎年、テーブルを囲めるわけではないのですが、私がいなければ順番はひっくり返っていたでしょうね。

正直に言って、赤星と沖原の順位は逆でもどちらも獲れたと思います。ただ、赤星の指名を考えていた球団がなかったであろうことは先にも触れましたが、沖原は7位以降だったらわからなかった。ドラフトが終わってしばらくしてから、ある球団のスカウトが「1番下の順位で残っていたら行っていたかもしれない」と話していましたからね。

私の一存で二人の序列を決めたわけですが、アマチュアでの実績で赤星を上回る沖原への配慮は忘れませんでした。契約金は同程度にしましたし、背番号も赤星の53に対して、沖原には一桁の8を用意しました。

選手を送り出してくれる相手とはその先の関係もあるので、こうした気配りもスカウトには必要なことです。

入団会見で「新庄選手の穴は、僕が埋めます!」

国鉄が民営化されて新会社発足以降、4年前にJR東日本東北の小坂誠がロッテに指名されていましたが、JR東日本としては赤星が初のプロ野球選手。会社もすごく盛り上がって、指名挨拶で東京支社を訪れたときには野球部長だけではなく、会社のトップも同席してこちらが恐縮したことを覚えています。

赤星も入団会見で会場をおおいに沸かせました。

「新庄選手の穴は、僕が埋めます!」

FA宣言をし、ニューヨーク・メッツへの移籍を発表していた新庄の後釜は任せろ、と堂々と宣言したのです。

ただ、私は違和感を覚えました。性格はとても謙虚ですし、プロ1年目の春季キャンプでは周囲に気を遣いすぎて夜中に胃に痛みを発症。トレーナーでも呼べばいいのに朝まで我慢し、結局、急性胃腸炎で2日か3日、練習を休むような男にしては随分、思い切ったな、と。会見後、赤星にその話題を振ってみました。

「間違えちゃいました。『代わりになれるように頑張ります』って言うつもりが失敗しちゃいました」

そう言って、赤星はばつが悪そうにしていました。ですが、タイプは違えど、新庄にも負けないくらい、阪神に貢献してくれたと思っています。

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