わがままを自認する川勝良一が「初めて見る人種だった」と唖然 木村和司は同級生にも「コーラ買ってこい!」と命令
木村和司伝説〜プロ第1号の本性
連載◆第19回:川勝良一評(1)
JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

木村和司氏との出会いについて語る川勝良一氏 photo by Sano Miki
「京都招待っていうイベントが毎年1月か2月にあって、日本リーグの優勝チームと京都出身の選手が集まるチームと試合をやってた。その前座で、広島と京都の高校選抜同士が試合をやったんです」
その時期、高校3年生はすでに部活を引退しているとあって、高校選抜の対象選手は1、2年生のみ。ともに1年生の川勝と木村は、それぞれ京都選抜と広島選抜で出場していた。
「(その直前に行なわれた)全国高校サッカー選手権に県工(県立広島工業高校)が出てたので、(当時2年生の)金田(喜稔)さんと、その同級生の小松(治生)さんはもう有名だったし、和司のことも知ってました」
とはいえ、川勝の言う「知ってた」は、彼らが「選手権に出ていたのを見てた」という程度。実際には「そこまで詳しく知ってるわけではなかったです」。
はたして、同じピッチに立ってみると、川勝は彼我の差を思い知らされることになる。
「広島はもう全国区だけど、京都は全国区でもなんでもない。だから、相手は県工中心の、選手権に出てる有名な選手ばかりなのに、こっち(京都)はみんなマイナーな選手ばかり。試合としてはいい勝負をするけども、個々を比べると、全国区と地方の差、みたいな。そのあと、県工は全国(選手権)でベスト4まで行ってたじゃないですか。だから、京都とはもう全然レベルが違いました」
とりわけ川勝を驚かせたのは、圧倒的な技術の差だった。
「(センターフォワードの)小松さんは選手権でも目立ってたんで『あ、これが小松か』って思ったんですけど、意外と(体が)ちっちゃい。そうしたら、金田さんもちっちゃいし、和司もちっちゃいなって。でも、広島の人たちはちっちゃいけど、技術が高い。
当時の和司は完全にウインガータイプで、右の和司と左の金田さんが両サイドからドリブルでビュンビュン抜いていく。やっぱり抜くフェイントの形を持ってましたよね。だから、結構ウインガーの印象が強くて、あとの人はあんまり......。そのとき、(広島選抜には)イシさん(石粼信弘)もいたけど、全然覚えてない(苦笑)」
その後、川勝はユース代表(年代別日本代表)の合宿でも、木村らと顔を合わせることになるのだが、そこでもまた、「全国区と地方の差」を見せつけられることになった。
「(選ばれている選手は)埼玉、静岡、広島勢が多くて、その他は遠慮がちにしてましたよね。ミーティングでも、金田さんとか、和司とかは一番前に座って、彼らはもう大将みたいな集団で。オレなんかは(地元から)ひとりで行ってるから、しゃべる相手がいないでしょ。隅っこで大人しくしてた。
選手権でテレビに出てたようなヤツらはもう有名だったんで、ユースの合宿で初めて会っても、やっぱ堂々としてた。こっちはもう『早く帰りたい』って思ってんのにね。サッカーに対して取り組む姿勢も全然違うし、うらやましいというか......、『ああ、うまいなあ』みたいな感覚でした」
だが、広島勢に引け目を感じていた川勝も、木村とは不思議と馬が合った。
「オレなんかも相当わがままだったけど、和司は輪をかけてわがままなヤツなんで」という似た者同士は、合宿や海外遠征を重ねるうちに、自然と仲よくなっていった。
川勝が懐かしそうに明かすエピソードによれば、ふたりの関係はこんな具合だ。
同級生であるにもかかわらず、いつも川勝に「コーラ買ってこい!」と命令していた木村。川勝はそのたび、「おまえなあ......」となかば呆れつつも、「じゃあ、どっちが行くか、ジャンケンで決めようか」と提案する。だが、いつも木村は手も出さず、「おまえが行け!」の一点張りだったという。
わがままを自認する川勝でさえ、「関西にはこんなヤツおらん。やっぱ日本は広いなぁ、と。とにかく初めて見る人種でした(笑)」。
「でも、そうやって偉そうにしてても、和司はキャラ的に合ってるっていうか、だから別に嫌われることもなかったし。子どもっぽいっていうより、子どもがそのままちょっと大きくなっただけ、みたいなヤツでした」
(文中敬称略/つづく)◆木村和司が仲間から一目置かれていたわけ>>
木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年〜2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。
川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(北海道コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。
