子育て、家事、義両親の介護と、30年以上家族に尽くし続けた58歳女性。ようやく役目を終えたと思った矢先、夫から離婚を切り出される。夫の残酷な言葉に絶望した彼女は、誰かのためだけに生きてきた人生は正しかったのだろうかと自問する。※画像:PIXTA

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還暦も近くなると自分の人生を振り返ることも増えていく。あのときああしていたら、あのときこうしていればとタラレバを言ってもどうにもならない。だがどうにもならないと分かっているからこそ、悔いも残る。

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突然、夫から「別れようか」と言われて

「ただ忙しく、家族のために生きてきたんです。それなのに、ようやく落ち着いたと思ったら、突然夫が『別れようか』と。どういうことか聞いたら、『そろそろきみを解放してあげた方がいいかと思って』って。ずいぶん上から目線ですよね。というか、もう用済みだと私には感じられました」

怒りをにじませながらそう言ったカヤコさん(58歳)。27歳で結婚し、男女2人の子を産み育て、夫の両親を見送った30年だった。同い年の夫がそんなふうに言ったのは、義母の四十九日を終えた晩だった。

「夫は同じ会社の同期だったんです。夫の希望で、結婚後、私は会社を辞めて家に入った。すぐに妊娠、息子を産んだころ義母が大きな病気をして、子育てと看病に追われました。義母は夫のことが大好きだったから、私たちは夫の実家近くに住んでいたんです。夫には姉も弟もいるのに、二人ともまったく見舞いにも来なかった」

第二子を産んだあとは義父が大ケガをして入院。このときも二人の子の面倒をみながら、義母を支えた。それでも義両親から「ありがとう」と言われたことはなかった。

報われない日々が虚しい

「私がやるのは当然だと誰もが思っていたんでしょう。ごくまれに義弟一家が来ると、義父母は大喜びで歓待していました。義弟の妻のことも『かわいくていい人』と言ってましたね。義弟の妻は料理1つできない。それでも来てくれただけで喜ぶ。

私は餃子の皮まで手作りして、焼いた餃子を義実家に持っていったりしたのに、『あなたはマメね。時間があるのね』と言われたことさえある」

2人の子を育てていて暇なはずはない。餃子の皮を手作りしたのも家族のためを思ってこそだ。おやつも全て手作りだった。

「でも子どもたちが大きくなって何を食べたいか聞くと、ファストフードなんですよね。私のしてきたことは何だったんだろうとよく思いました。夫に愚痴ると『しょうがないよ』と」

子どもたちはどんどん自分の世界を作っていく。親から離れるために成長するのだから仕方がないと分かっていても、40代になると虚しくなっていった。

「私も何か始めなければと思っていたころ、介護問題が降りかかってきました」

夫の両親が相次いで大病を患い、その後は自宅での介護が始まった。

介護と更年期が重なって

本格的に介護が始まったのは10年ほど前。同時期、カヤコさんは更年期による体調不良がひどくなっていた。それでも介護は待ってくれない。

「義父が入院、義母が家で療養、義父が退院すると義母が入院、そんなことの繰り返しでした。最後は私まで倒れてしまい、ケアマネに促されて、ようやく義父を施設に入れることに夫が同意したんです。それでも義母は最後まで家で介護しました。私は夫の実家にほぼ泊まり込みでしたね」

大学生になった娘に、「お母さんは自分の人生に満足してる?」と聞かれたこともあった。だが、正直言って、カヤコさんに「そんなことを考えている暇はなかった」そうだ。

「誰かがやらなければいけないことが目の前にあって、私しかいない。そんな感じでしたから。夫も子どもたちも、私が積極的にやっているように思っていたんでしょうけど、つらかったですよ。だけどつらいと言っても代わりがいるわけでもないから」

義母の面倒を見ながら、ヘルパーさんが来ている時間に自宅に戻り、食事の支度や家事をこなしてまた義母の元へ戻る。そんなことの繰り返しだった。

10年近くどっぷりと介護生活を送り、ほっと一息ついたのが1年前。そんなとき夫から別れようかと言われたから、「用済みってことか」と彼女が思うのも無理はないのかもしれない。

私の人生は本当に正しかったのか

「息子は結婚して家庭をもち、娘は仕事をしながら一人暮らしをしています。二人ともあまりうちには来ませんね。私も息子の妻にはほとんど連絡をしません。彼女に老後を見てもらおうとも思わないし、私のように家族のために犠牲になるような人生を送ってほしくはない。同時に自分の老後も考えなければと思いますね」

夫には「家と全ての預貯金と、あなたの退職金の半分をくれるなら離婚してもいい」と返事をした。夫は「離婚したいわけじゃない。きみを解放した方がいいのかもと思っただけ」と困惑したように言った。

「解放してもらうより、大変だったあの時期に『ありがとう』の一言がほしかった。そういうことを夫は分かってないんですよね」

仕事を続けていればよかったとも思う。そうすれば違う人生があっただろう。今の状態で離婚しても生活できない。だがこのまま今度は夫の介護に突入する可能性もなくはない。

いつでも誰かのために生きてきた人生が本当に正しかったのか、カヤコさんはあれこれ考えてはため息をつく毎日だという。
(文:亀山 早苗(フリーライター))