10年ぶりの新作が公開。ホセ・ルイス・ゲリン監督が魅せられたバルセロナ郊外の小さな、貧しい地区の歴史とそこに生きる人びと
『シルビアのいる街で』(2007)などで日本でもファンの多いスペインの名匠、ホセ・ルイス・ゲリン監督。前作『ミューズ・アカデミー』(2015)から実に10年ぶりとなる新作『よき谷の物語』が公開される(7月3日〜)。スペイン・バルセロナ郊外に位置する小さな地区「バルボナ」に生きる人々を3年にわたって追った珠玉のドキュメンタリーだ。川や線路に囲まれ、開発から取り残された陸の孤島のようなバルボナ地区に深く魅せられ、カメラを回し始めたというゲリン監督にインタビューを行った。

ホセ・ルイス・ゲリン監督 ©all rights reserved: josé luis guerin
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10年ぶりの新作となった理由
--前作『ミューズ・アカデミー』から10年ぶりの新作となりました。監督の作品を心待ちにしていた日本のファンも大変喜んでいると思いますが、なぜこれほどの時間が空いてしまったのでしょうか。
ホセ・ルイス・ゲリン監督(以下、ゲリン) どのように説明すればよいか難しいのですが……まず、私の映画には前もって用意された脚本がありません。その場所に行き、土地の声を聴きながら、有機的に作っていく手法をとっているため、時間がかかったということがあります。また、こうした小さな作品をどのようにプロモーションしていくかという、資金調達を含めた難しさもありました。ドキュメンタリーはニュースやテレビのレポートと同じように見られがちで、観客が少ないという現実もあります。しかし、今後はできるだけ映画と映画の間を空けずに、短いスパンで作品を作っていきたいとは思っています(笑)。
--最初は美術館のプロジェクトで訪れたバルボナに監督が魅せられ、製作が始まったと聞いています。この地区のどこにそれほど惹きつけられたのでしょうか。
ゲリン バルセロナに住んでいる人たちでさえ、ほとんどその存在を知らない、本当に小さな貧しい地区だということを知ったのがきっかけです。その小さなバルボナが内包しているものは、非常に「普遍的」なものだということに気づきました。それはとてもシンプルなことで、世界中のすべての街は、元は畑だったような場所の上に成立しており、そこに歴史があり、人々が暮らしている。バルボナに端的にその普遍性を見出すことができると思ったのです。
地域の物語の主人公
--序盤から魅力的な住民たちが登場し、彼らが次第に主たる登場人物となっていきます。彼らを選んだ際に、どのような点に注目したのでしょうか。
ゲリン 個人の性質や、その人が内包する物語はもちろんですが、やはり「この地区を表す人々」という基準で選びました。例えば、炭を売っているアントニオさんは、今は廃墟となってしまった場所の記憶を持っている人であり、その廃墟をとても人間的に表現してくれました。一方で、ニコラスさんは今は地区に新しく建てられたアパートに住んでいますが、年老い、次第に過去の記憶を失いつつあります。他に、アフリカやヨーロッパ、色々なところから逃れてきた移民たちも登場します。現代のロシアとウクライナの問題を表すような、ウクライナからの移民の人も選びました。彼らすべてが、あの地域の物語の主人公だと言えるのです。
元農民、街が衰退していく様を見てきた人、強制的に移住せざるを得なかった人々など、様々な人々の物語を映画は重ね合わせていく。数多くの人々を撮影したが、その大半は使用されなかったそうだ。フランコ政権時代に故郷を追われるなどして最初にこの地域に住み着いた人々は、山や森を切り開き、行政の許可を得ずに住居を建てた。それがやがて村になっていった。
ゲリン スペインやイタリアなど地中海の国々では、都市の周辺に移ってきた人々がバラックを建てて、どんどん街が広がっていくという現象があります。バラックを建てること自体は違法なのですが、一晩で建ててしまい、天井ができてそこに人が住んでいると、警察はそれを撤去できないという法律があるのです。そのため、地域の人々はみんなで団結し、夜の間に一晩でバラックを建ててしまっていました。ヴィットリオ・デ・シーカの映画『屋根』(1956)にも、天井を塞ぎさえすれば自分たちはそこに住めるという描写がありましたね。
人々は生き残りを懸けてまずは家を建て、水や電気、学校といったインフラを獲得するまでが戦いでした。バルボナにもそういう長い過酷な歴史があり、そして今ではあらたな開発にさらされているのです。そのため住民からは、「君は来るのが遅かった。バルボナはもう消え去る運命にある」と何度も言われました。しかし私は、彼らの「現在」を撮ることによって、これまでの「過去」の足跡も一緒に映し出したいと思ったのです。
ここで撮るべき映画は「西部劇だ」
映画には多様な出自を持つ人々が登場する。実に12カ国語もの言語が飛び交い、あたかも現代の移民問題の縮図のようにも見えるが、本作は決してそれを声高に主張するような作品にはなっていない。あくまで人々の日常と地続きの物語として描かれている点に、ゲリン監督のこだわりがある。
ゲリン 社会派映画と呼ばれるものが、現実の豊かさを矮小化してしまう場合があります。政治的に訴えようとするあまりそこに住んでいる人たちの現実を軽んじてしまったり、もっと豊かなものがあるにもかかわらず、メッセージ性を表に出しすぎてしまったりするのです。私は、現実の豊かさを矮小化することは、映画を貧しくすることだと考えています。確かに移民は重要なテーマですが、12カ国語を話す人々のすべてが地域を構成する要素であり、それぞれが皆、自分の現実と物語を持っています。私はそうしたことを並列して提示したかったのです。
ゲリン監督は住民に向かって、「ここでどのような映画を撮るべきか」と質問する。すると一人の老人が「西部劇だ」と答える。意外な言葉が微笑ましく、驚きを感じさせる瞬間だ。ゲリン監督は「西部劇だ」という言葉をどのように受け止めたのかと尋ねた。
ゲリン あの言葉には深い真実があると思いました。あの時、私の中に浮かんだのは「黄昏の西部劇(西部開拓時代の終焉に伴う生き方の喪失や悲哀を描いた作品)」です。西部劇においても、自分たちが開拓した場所が、文明が近づくにつれて、特に鉄道の建設などによって、どんどん破壊されていきます。資本主義が侵食してきて、人々の生活を追いやるという点において、「黄昏の西部劇」はまさにバルボナという場所のメタファーであると思いました。
老人の言葉を受け、ゲリン監督は映画の中で、あるかたちで「西部劇」を表現する。美しくもあり寂しくもあるその場面は、ぜひ映画館で体験してほしいところだ。
ゲリン 膨大な素材を分析する中で、彼が発した言葉からバルボナのメタファーを感じ取り、鉄道建設という脅威を表そうとその場面を作ったのです。客観的というより、私自身が内省し、彼の中に入り込んで、彼が恐れているものや脅威に感じているものは何だろうと考えたときに私の中から湧き上がってきたもので、「西部劇だ」という彼の言葉に対する私からの「答え」でもあるのです。
ドキュメンタリーとフィクションの境界があいまいになっていく
--ゲリン監督の作品は映像の美しさでも知られていますが、窓ガラス越しのショットや、窓に反射する風景を用いた演出は、これまでの作品にも見られる特徴的な手法ですね。本作でも終盤の老夫婦のピアノのシーンに、樹木をかついで坂をのぼって行く人々の姿を重ねる美しいショットに目を瞠りました。こうしたショットには、どのような狙いがあるのでしょうか。
ゲリン 窓に映るバーチャルな映像を重ねると、ある登場人物と、他の人たちを繋げることができるのです。人物をあまりにアップにしてしまうと、その人がどのような状況にいるかということが出せなくなってしまいます。人物にフォーカスしながら、窓に映る映像の中に別の住民たちがいることで、コミュニティ全体を表し、住民同士の繋がりを表現できる。そのためのショットとして使っています。
映画は終わりに向かうにつれて、ドキュメンタリー的な客観性が次第に変化していきます。この映画を私が「ワーキング・プログレス(進行中・未完成品)」と呼ぶ所以がそこにあります。映画自体も、この街も人々も、決して完成形ではなく、常に移り変わっていくのです。
--確かに、ドキュメンタリーとフィクションの境界が次第にあいまいになっていきます。とくにラストは印象的でした。登場人物の多くが集合した祝祭的なシーンは、劇的な終幕を迎えます。
ゲリン 地理的な空間の普遍性と、常に移り変わる人間のコントラストを出したいと考えたというのが一つです。そしてもう一つは、権力の脅威にさらされるのはいつだって「弱い人々」であるということです。このラストは現実への共鳴だと私は思っています。世界中で起こっている排他主義やナショナリズムが常に敵視するものは、そこにいる弱い人々だということを、あのシーンで表したかったのです。
『よき谷の物語』
スペイン、バルセロナ郊外に位置するバルボナ地区。“よき谷”と名付けられたこの場所は川や線路に囲まれ、開発から取り残された陸の孤島でありながら、大都市の近くとは思えないほどの豊かな自然に恵まれた理想郷のようでもある。ここには20世紀半ばから移り住んだ住民の家族と、最近になってやってきた新世代の移民たちが共に暮らしている。文化や生活スタイルは異なるものの、子供たちはともに川で遊び、誰もがよく食べて飲んで、歌い、踊り、ひとときの安らぎを得る。そんな都会のオアシスに、新しく鉄道増設の計画が持ち上がった。住民説明会が開かれ、一部の人々は立ち退きを迫られるが……。
監督・脚本・編集:ホセ・ルイス・ゲリン/2025年/スペイン、フランス/122分/提供:マーメイドフィルム/配給:コピアポア・フィルム/Orfeo Iluso - Perspective Films - 3CAT - Los Ilusos Films - Los Films de Orfeo © 2025/7月3日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
(週刊文春CINEMAオンライン編集部/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)
