長崎市出身で歌手、俳優の美輪 明宏さんが20日に亡くなったと所属事務所が発表しました。91歳でした。

原爆を体験し、平和を願い続けた美輪さんを悼む声が県内からも聞かれました。

1899年創業の『中華料理 四海樓』。

6月20日に亡くなった美輪 明宏さんは、子どもの頃から家族でこの店を訪れていたそうです。

(中華料理 四海樓 陳 優継 社長)

「予約や事前の連絡がないので、突然現れてというのが毎回のパターン。スーパイコ(酢豚)が大好きで、“昔ながらの味を変えてほしくない”と常に言ってくれた」

墓参りや仕事で長崎に戻ってくるたびに、ふるさとの味を満喫していましたが、最後に訪れたのはコロナ禍前の2019年だったそうです。

博識で、いつも気さくに語りかけてくれたという美輪さん。

店のサイン帳には『光明』の文字を記していました。

(中華料理 四海樓 陳 優継 社長)

「美輪さんの言動を含め、すべてが『光明』と思っている人はたくさんいると思う」

美輪さんは、10歳の時に爆心地から3.6キロ離れた長崎市本石灰町の自宅で被爆。

夏休みの宿題の絵を描いていた時でした。

(美輪 明宏さん)

「絵を描き終わって後ろへ下がって、2~3メートル下がって確かめようとした途端にマグネシウムが本当に何十万とたいたようなピカッと光った。浦上の原爆の中心地の方に行ったんです、おばたちがいましたので。みんな全滅だった。どこがどこやらガレキの山ですから私は泣きながら帰ってきた』

去年公開された映画『長崎-閃光の影で-』。

被爆者の救護にあたった看護師たちの手記をもとにしたこの作品で、美輪さんは「語り」を担当。

公開に際し、「若い世代の方には、もう2度と戦争を起こさないように、美しい文化に触れて心を豊かにしていただきたい」とコメントを寄せていました。

所属事務所によりますと、美輪さんはこの1年は仕事を控えていて、約3か月前に体調を崩し自宅で静養していましたが、6月20日に老衰のため亡くなりました。

突然の訃報に長崎の被爆者らからは悼む声が聞かれました。

(長崎原爆被災者協議会 横山照子 副会長)

「『ヨイトマケの唄』を聞いた時に衝撃を受けた。被爆後の被爆者の生活(の歌)。被爆者として発信力のある人たちが次々に亡くなっていくことが本当に悲しい。もっと発信してほしかった」

(鈴木 長崎市長)

「長崎市にとって大きな存在。パワフルなメッセージを世界に向けて発信してきた。美輪さんが亡くなられたことが本当にショック」

平和を願い続けた美輪さん。

公式サイトには直筆のメッセージが紹介されています。

『こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません。この世のすべての問題を解く鍵は愛です。愛があれば戦争なんか起こりません』